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ヨガリトリート〜生活をヨガするために〜

ヨガの学び方は「個性別」


ヨガ、ヨーガ、YOGA、YOG、サーダナあらゆる修行を意味する総合的な言葉である古代インド地域で生まれたこの言葉と含まれている意味が、私にとってとても魅力的なのです。
ヨガには実に多くの「生きた知恵」が含まれていて、個人に沿った必要なものを与えてくれます。
しかし、その極意は難解であり、文字に起こすことが容易ではないため憶測が先行したり、極端にスピリチャル化されてしまうこともあります。

元来、修行というものは師匠が弟子を見極め、その歩みを的確に進むための実践的なアドバイスを与えてきたものであり、口伝でありました。
弟子の歩みに必要なものは、「弟子の成長にとって何を体験させるべきか」という刺激(経験)を師匠が如何に見極め示唆するかということ。

ヨガというものは、何か一つの理論を丸暗記してしまうようなものではなく、自己という個性別の「生き方」への理解を模索する勉強です。
師匠は、弟子を個性として捉えなければなりません。
現在の多人数で体操的なグループレッスンような同じ動作を同じタイミングで同じ時間取り組むことは、本来的なヨガの学びとはなりません。
あくまでも存在は個性、個別です。その立場で自己を見つめる努力に集中すること、さらに師匠の側に座し、必要な教えを待つことがヨガを学ぶ人の基本的な姿勢となります。
ヨガは、ヨガを学ぶ人に対し「学ぶ姿勢」を大切にします。
謙虚であり、真摯であり、堅固で弛まない努力を継続する心を求めます。
そして、教えを疑うことも、否定することも、信じ込むこともなく、実践を通じてその真意を確かめていこうとする姿勢を求めます。
しかし、現代のヨガの学びにおいて師匠に出会うこと、学ぶ姿勢に意識を向けることは少し難しくなっているとも感じます。

生活ヨガ研究所のヨガの学び方

生活ヨガ研究所(大阪市中央区)は2011年に開設されたヨガ教室です。
沖ヨガの創始者である沖正弘先生が頻繁に訪問下さった「かたの健康会館」というヨガ道場に生まれた珠数孝が主催をしています。
沖先生の弟子であった両親のもと、幼少よりヨガというものを家庭で見て、体験して育ちました。
今現代に見られるようなポーズ(アサナ)の実習の時間もありましたが、浄化(クリア)、瞑想、講義(座学)、清掃(奉仕)といったより総合的なヨガの実践を当たり前のものとして受け止めていました。
両親のヨガ道場では、厳しさではなく、どちらかというと「優しく」「楽しく」「笑いながら」という時間を大切にされていました。よく歌い、よく笑いました。しかし、怠けるところを見られたら本気になって叱られました。
自分を大切にしないと叱られました。自分を信じないと叱られました。
「やる前から諦めるんやない」
「できないからと言って諦めるんやない」
「できたからといって偉そうにするんやない」

ヨガは、上手くなることでも、凄くなることでも、まして人に見せるものでもありません。競争することも、認めてもらうことも、自分以外になっていくことも目指しません。

「本当の自分でいる」

そのための学びです。
では、本当の自分とは何か?
その気づきを深めていくための時間を「ヨガ」と呼びます。

生活ヨガ研究所では、「自分に気づく」ために
「自分の喜びとはなんだろう?」を問い続けます。
体操をしていても、人と話していても、道を歩いていても、森に座っていても、自分の喜びは何だろう?と問いかけます。

喜びを感じた時、「本当にこれは自分自身の喜びなのだろうか?」と問いかけます。
この内なる語りの繰り返しが、少しづつ自分自身の偏った考え方や、感情の癖、好き嫌いのパターンを気付いていく体験的学びになっていきます。

こうした気付きを深めていくためには、たくさんの先人たちが残してくれた知恵としての経典や理論が参考にはなります。
しかし、あくまでも経典や理論は他人事です。
自分のことは、自分でしか見ることができません。知ることができません。

現代において、師匠と呼べる存在にであることは稀かもしれません。
だからこそ、自分のことを丁寧に観察し、必要な道筋を見極めていく知恵を育てなければなりません。
それが「自分の喜び」への問いかけで養われます。

リトリートというヨガの学び場を大切にしています

生活ヨガ研究所では、スタジオでのレッスンやプライベート(個別指導)のほかに、合宿やリトリートというヨガの学び方を開催しています。
毎年、沖縄、高野山、生駒山、インドなどで合宿を行っています。
期間はそれぞれ1泊のものから10日間のものまで様々ですが、合宿というヨガの学び方には大きな力があると思っています。
合宿形式での学びにおける幾つかの利点を述べてみます。

・日常から離れる
 
1日でも2日でも、日常的な生活(家庭環境、仕事環境、目にする景色)を変えてみることで、五感への刺激が大きく異なっていきます。日常は「慣れの世界」であり、慣れた自分は「自覚」が鈍ります。当たり前のように食べて、働いて、寝ている動物と同じ状態です。自分は実に様々に心を動かし意思決定をなしている生きた存在であるという自覚が生まれる時間として「日常から離れる」というだけでも価値があります。

・静かな場
 一人でいること、自分が何を見て、何を思って、何を感じるのかという「向き合いの場」としてリトリート(合宿)は大いなる力を持っています。
瞑想という形に拘らず、家族から、友人から、他の存在から距離をもち静かにいることが、自分を知るための環境となっていきます。

・仲間と過ごす
 リトリート仲間は、日常生活での関係者とは違います。違う家庭や仕事をもち、違う人生や環境を経験してきた者同士が短期間家族のような時間を過ごすことで自分の心が動いてくのを感じます。
挨拶、何気ない会話、気遣いの一つ一つに「相手」を思いやる気持ちが育まれます。何気なく差し伸べられた手に思いがけない「感動」を感じることもあります。もちろん、腹が立つことだってあるかもしれません。
それでも、短期間に同じ場所に集った人同士には「縁」があるのです。

・文化や風習の違いに触れる
特にインドで感じるのは、「当たり前」は「当たり前じゃない」ということ。道の歩き方、タクシーの止め方や降り方、食事の仕方、あらゆるものが「知ってるのと違う」。
日本の当たり前は、世界の当たり前ではなく、自分の当たり前は、他人の当たり前ではないという「当たり前の事実」に直面します。
自我という、固まった私の意識が音を立てて崩れていく体験ができるのがインドリトリートかもしれません。しかし、その固まった価値観の崩壊が如何に気持ちいいのかは体感した人でしかわかりません。執着という塊の小さな一端でも流されていくような体験が「海外リトリート」の素晴らしさであると思います。

生活ヨガ研究所のリトリートスケジュール

2024年〜2025年のリトリートスケジュールは以下の通り
未告知のものは順次アップしてまいります。
合宿・リトリートでヨガを学ぶ新しい体験をぜひご一緒に。

2024年7月14~15日 高野山ヨガ合宿
2024年8月24~25日 生駒山ヨガ合宿
2024年9月15~16日 高野山ヨガ合宿 ※未告知
2024年11月8~10日 沖縄ヨガリトリート
2025年2月     インドヨガツアー ※未告知


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https://note.com/seikatuyoga/n/nd2cf85f9a668




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