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身体の声に素直になるというメッセージ
アウトドアヨガ祭りという11年間続けているヨガのイベントが先日無事に開催できました。
コロナ禍でも場所を変更したりイベント規模を縮小したりと、継続だけを考えてこれまで続けてきました。
10月30~30日には中之島公園芝生広場というホームゲレンデにてお祝いのような熱気球を眺めながらのイベント開催となりました。
心待ちにしてくださっていた方や、とってもお久しぶりの方、ヨガ祭りは初めてだけどこうして人が集う場所にようやく出向いてくることができた方、そして人との触れ合いの大切さに改めて心震えた方、本当にたくさんの感動が溢れた2日間でした。
ファイナルクラスと母からの電話
私は毎年、アウトドアヨガ祭りの最後の時間を任せていただくことが多いのですが、そこではいつもあまり頭が働かないのです。
イベント当日は、目まぐるしい変化に翻弄されながら、皆の安全や参加者の皆様の満足度に意識をむけ、これからもこのイベントが皆にとって必要なものになるよう心を配り続けているつもりで、終わりころには思考という作用はめっきり成りをひそめてしまっているのです。
そんな中、毎年ファイナルクラスをさせていただくのですが、クラス後いつも自分が何を話したかさっぱり覚えていないのです。
ただ、その瞬間に皆に感謝を伝えたい。そして、大切にしてきたことを率直に言葉にしておきたい。それだけを考えてたぶん口が勝手に動いてるんです。
で、そのクラスに、「母」が参加していたのですが。
翌日電話がわざわざかかってきて
「あんたが昨日のクラスで言うてた事に質問がある。」
「身体の声に正直になるというのは、どういう意味か?」
たぶん、私はそんなことを言ったのでしょう。
そして、母の耳に刺さったようです。
それは、決して不快なものではなかったようなのです。
とても大切な気がする言葉なのだけれど、自分の中でうまく咀嚼できないそうなのです。
「いま直ぐじゃなくていいから、その言葉の解釈を文章にしてほしい」
と、、、、。
あの電話から、1週間たった今、ようやく手を動かし始めています。
しかし、長ったらしい説明をするつもりもなく、できるだけ端的に表現したいなぁとも思っています。
私の想いはこんな感じです。皆様はどうおもいますか?
身体の声って?
身体の声はどうやって聴きますか?
身体は話すのか?声を発するのか?
内側から聞こえてくる声っていうのは、どちらかというと思考。
大脳のフィルターを通過した一つの考え方。
何を食べるか、どれくらい食べるか、いつ何時に食べるか、なんていうことを考えるのは体ではなく大脳。理性。
だから体の事を考えてはいるんだけど、この場合は体の声はきいてなくて体を想っているという状態。
わたしは身体の声は「身体の形」に出ると思ってる。
形にはいろいろあって、姿勢だったり、硬さや柔らかさだったり、色艶だったり、冷温だったり、そして表情だったりする。
体形よりはもっとその場での「現れ」が身体の声。
そして身体の声を聴くというのはつまりは、その時に身体に現れている「形」に気付くこと。
そして正直なるということは、その「形」を隠さないということ。
ヨガに限らないけど、人は、あらゆるシーンで、その瞬間瞬間にしたい「衝動」というのがある。
しかし、「衝動」という動き方は、決していい様には受け止められていない。 衝動的の逆は? 理性的。
理性的に動くことを求められて育ち、それが「社会性」であると信じ込んでる。時には大きな声をだしたくなるし、我を忘れて暴れたくもなる。いつもの自分ではないような弱さに身を包みたくもなるし、泣き言だったり弱音だったりも吐いてみたいし、思い切って悔しがってもみたい。
でも、そんなことしたら、「はずかしい」「みっともない」「ばかげてる」「よわむし」「感情的」
どんどん、身体の動きを理性が押しとどめていく。
身体はただただそのエネルギーを内にとどめるか、別のものへ昇華させていく。
ヨガをしていると、時折、なんだかわからない涙がでてくることがある。
あるいは、誰に対してか判らないけど、ものすごい感謝心が溢れかえってくることがある。そんな時、大声で、涙流して「ありがとうございます」って叫びたくなる。嗚咽しながら、感謝したくなる。身体をふるわせて、涙を流したくなる。
でも、理性がちょっとそれを押しとどめる。
『身体の声に正直になってほしい』というメッセージに込めたこと
身体は、生きてきた中でたくさんの経験をしてきた。
もう一度同じ体験をしたいとも思っているだろうし、もっともっと制限なく表現したいとも思ってるだろうし。
だから、ヨガのクラスの最中に、もしも
美しい音が聞こえたら「素直に」その美しさにウットリしてほしい。
太陽の温かさに感動したら「素直に」その温かさに触れてほしい。
人の優しさに感動したら「素直に」喜んでありがとうを言ってほしい。
もし、そのまま動きたくなくなって土に戻りたくなったら「素直に」動かず自分が土になっていくことを許してあげてほしい。
周りの目を無視し、理性を無視し、その時の身体が一番にしたいことを応援してほしい。
それが『身体の声に正直になる』ということ。
そんなクラス(機会)が僕は好きだ。
だから、僕のそのクラスの時間は、みんながバラバラに動いている。そんな景色が僕は好きだ。
人に優しくなれ
自然にうっとりし
素直で正直者が集う場所
アウトドアヨガは、私にとって一番素直になれる時間だ。
また来年。ここで皆様とあいたい。
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