ヨガと健康
昨日はいのちについて
想うことを綴ってみました。
生と死、その巡りがいのち。
いのちは、生きていることだけでも、生まれることだけでもなく、巡りという現象であるということかな。
健康長寿
およそ世界各国の健康をサポートする生業の方が目指す世界
ヨガをすると健康になるのか?
ヨガをすると長寿になるのか?
どう思いますか?
健康も、長寿も絶対的な指標はありませんね。
健康の定義も、身体、精神、社会、霊それぞれのフィルターで表現され、個性があるものです。
長寿も、何歳以上が良く、以下は悪いというものでもないです。
ヨガという学びと身体的な取り組みを継続していくと
皮膚が強くなり、筋肉がしなやかになり、ガス交換の効率が良くなり、脳は安定し、ホルモンのバランスが変化します。
ですから、風邪をひいても治りやすく、体調不良でダウンすることも減っては来ます。
だからといって、ヨガを取り組むすべての方が、『不全』のない人生を送れるかというと、そうではないのです。
個々に備わった特性
人生を過ごす中にであるあらゆるストレス(出来事)
そして、献身的な時間
こうした、それぞれの人生に与えられた「体力」「気力」を全力で出し切ろうとすれば、気付かない怪我や疲労が小さく溜まります。
それは、聞こえないほどの声が、徐々に大きくなり、健康であったはずのある日ひ、悲鳴となることもあるのです。
しかし、それは「不健康」でしょうか?
不健康とは
もちろん、健康では非ず、健康的ではない考え方や体の使い方、習慣性を指すのでしょう。
病気という症状と、不健康とは少し違うのです。
病気をすることが不健康でしょうか?
もちろん、不健全で乱れた生活習慣を自分でも認識しながら、身体的あるいは精神的な「疾患や不全」に陥った場合にはその人は不健康な時間をすごしていたことになるでしょう。
しかし、健康であることと、病気をしないこととは違いますね。
病気を悪にしない
風邪をひいたり、便秘をしたり、鼻水がでたり、頭痛がしたり、ガスがでたり、熱があがったり下がったり、尿が減ったり増えたり、脈が上がったり、呼吸が浅くなったり、あくびをしたり、、あらゆる身体的な変化は日常に起こります。
その変化の1つの症状に名前をつけて「病気」と呼んだりします。
しかし、その病気は、身体の変化の過程に起こるもの。
健康な人でも、必要に応じた体の反応のなかで、鼻水がでたり、身体が冷えたり、熱を上げたりするのです。逆に健康であるからこそ咳をだしたりウンチを出したりできるのです。
腫瘍、ガン
それそのものも「悪」ではなく、身体の反応のひとつの形。
健康に生きてきてはいても、その反応の形には実に多くの形態があります。
症状の重さの程度に応じ、自分自身の生活の課題を見直す深さが出てきます。
食べ方
想い方
エネルギーへの理解
動き方(働き方)
それぞれに、見直しながらその与えられた症状に向き合うことになります。
何かを悪者にして、それに立ち向かうという構図は
判りやすいのです。
正義と悪という2元での見え方は、悪を懲らしめて無くしてしまうことで世界の秩序が維持されるように思うのです。
必要悪とは言いませんが、悪というものはそもそもなく、「不都合な出来事」が生じる由縁があったという認識でいかがでしょうか?
その不都合な出来事は、自分を責めるものでも、打ち負かすものでもなく、自分を次の生活習慣へ導くものとして、貴重な教材になりうるのではないでしょうか?
症状を消してしまわない
わたしも、肩こりや腰痛になることはもちろんあります。
咳も出ます。
あまりないですが頭痛も経験します。
ヨガの先生でも。。。です。
幼少の頃より
「症状を消してしまうのは薬などでできるし簡単だから、先ずその症状に協力してみたらどうだ。」と。
何とも、変わった家庭だったともいます。
風邪をひいたら、ごはんは食べないほうがいい。
風邪をひいたら、水をかぶる。
そして、どうなるか?を自己体験・研究する。
ヨガと学びを続けていくと、何も心は優しく穏やかになっていきやすいです。そして、消してしまいたくなるような不都合にも、飲み込まれてしまいそうな苦労にも客観的な態度で観察できるようになっていきます。
そうして、健康を保ち、病気を観察し、生活を見直すという循環が生まれていきます。
いかがでしょうか
ご意見コメントお待ちしております。