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ヨガとこだわり

おはようございます

昨日はいのちについて、思うことを綴っていました。

自分の中で、生も死も変わらない流れを感じるのです。

さて、ヨガをしていると、食でも、ライフスタイルでも

何かしらのこだわりが出てきます。

こだわりと執着

どうでしょう

こだわりは大切な心の強さ(体力)な気もします。

しかし、こだわりが強すぎると、執着になる気もするのです。

『シェフのこだわりランチ』は食べてみたいですが、

『シェフの執着ランチ』はちょっと体に悪そう。

『こだわり続けて30年』は気迫を感じますが、

『執着し続け30年』はもう病的なものを感じます。

どちらも、辞書で引けば同じような言葉の意味です。

ヨガに限らず、一つの事を長く続けていくうえで、どうしても「こだわり」という心が出てくるようにも思いますがどう思いますか

こだわりは悪い?

ヨガの教えは、「心の波立ち」をコントロールすることあるとされているのですが、この心の波は「こだわり・執着」が原因とされています。

延期になっている東京オリンピックへの機運が盛り上がっていた2019年頃の海外からの渡航者の中に、いわゆる菜食主義の方がたくさんいらっしゃったそうです。しかし、日本では、隠れたところ(出汁)にカツオやイワシをつかいますから、「外食で食べるものが見つからない」という事態が散見されたそうです。

現在では、日本でもビーガンやベジタリアン対応のレストランや食品を日常的に目にすることが増えてきましたが、それでも海外の方々との意識には大きな隔たりがあります。

私も毎年インドへ行っていましたが、現地に行けば「菜食で過ごせる」ほどに、主義ではなく、自然と野菜生活になってしまう街でした。

そして、その町の方が日本に来ると、食事にとても苦労することになり、お昼もほとんど自炊(お弁当)していました。

菜食がいいとか、悪いとかという問題ではありません。

また、心の問題だけで片付けるほど単純な話でもありません。

宗教的な価値観に基づく意識ですから、むやみに否定したり改心させることもありません。

しかし、生きづらいだろうな?とも思うのは事実です。

どこでも生きる

私の学んだヨガの師は

『出されたものはしっかり味わって食べる』のが基本でした。

その場で食べられる食事が、最高のたべもの

『敵をも味方にする力』という表現を良くしていました。

嫌なもの、自分に合わないもの(毒)も摂取したら体がちゃんと反応し排泄してくれる。

心はありがたく食べる。

からだはしっかり出す力を高めておく。

そうすることで、心は安らぎ、身体は健康に維持できる。

そんな表現をされていました。

世界中、どこにいても「生きられる」心持と体力を養おう。

それができるのがヨガの学びであると。

さて、こだわり

こだわることを、悪いことのようにとらえてしまうのも、「主義、イズムへの偏見」と捉えることもできますね。

こだわることのできる体力と意識力があるということは大変に素晴らしいことと思います。

しかし、そのこだわりが「いつでも捨てられる」状態でなければそのこだわりが自分の心と体へ「不快感」を与えるものになってしまうのではないでしょうか?

好きなことへ力を使いづつける

大切なことを守り続ける

しかし、それはいつでも意志の力でやめることもできる

いつだって、自分の心は、自分がコントロールしている。

そんな姿勢がある「こだわり」は「執着」になりにくにのかなとも思います。


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