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腹黒い人より、めんどくさい人

皆さん、こんにちは。

哲学×アートの活動拠点【Mari.Art.Philosophia】主催の真理です。

日々私の頭の中で絶えず繰り返されている、人生や社会への問いを、できるだけおもしろおかしくシェアしてみるという試み。
ブログ「36歳主婦、哲学をする」へようこそ。

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今回のテーマは「自分の心に正直に在ること」について。

この際だからぶっちゃけて言うと、私すごい腹黒い人間だったんです。
(今も完全に腹白くなったわけじゃないけど)

腹黒さといっても、マンガとかでよくある、積極的に誰かを貶めようとする悪役令嬢的なタイプではなく

どちらかというと、物わかりのいい従順な人間に見られたいがために、自分の本音を偽って振る舞い、その結果を享受していたような「裏コントロールタイプ」。

人間なら誰だって、人によく思われたい、嫌われて一人ぼっちになりたくないという思いはあるけれど、私の場合はこの手の恐れがとても強く、相手に従うふりをして自分の立場を優位にしておきたいという、保身のための言動がかなり板についていたように思います。

子供の頃からそのように振舞うことが多く、大人になってからも「いい人」という仮面を存分に活用しながら、自分の思う安心感を手に入れてたのかもしれません。

しかし、その安心感と言うのは決して揺らぐことのない本質的なものではなく、むしろ自分が被っている「いい子」という化けの皮が外れてしまえば、途端に失われてしまうような、とても脆いものでした。

本当の自分がバレないよう、できるだけ自分の本音は押し殺し、一時の安心感を得るために「いい人」の自分を演じる努力を続けていました。

それはそれで、うまくいっていた部分もありましたが、それでもやっぱり自分の本音を抑圧し続けるようなやり方は長くは続かず。

自分が自分を偽り続ける苦しさ、さらには、それによって相手をコントロールしているという罪悪感に押しつぶされそうになり、いよいよ本音で生きていくしかないというところまで追いやられて、今があります。



そもそも、自分の本音を表に出す生き方というのは、相手の都合に合わせてできるだけ衝突を避けるやり方とは違い、たとえ波風が立ったとしても、そこを超えて相互理解を目指す、丁寧なかかわり。

しかも自分の考えを正直に伝えることが、必ずしも歓迎されるわけではない日本で

「あれっ?」と思ったことをスルーせず「それってどういうことでしょうか?」と立ち止まって対話をもちかけるのは、ある意味では非常にめんどくさい人になる勇気をもたなければいけないということでした。

私という人間は、元来、納得できないことに対して「イエス」と言うのが非常に苦手な性分でして、、

今まで通りの慣習にそのまま倣うこと、本音を言わないお互いの腹の探り合いの関係性などに本当に納得がいかないのです。

かといって、そういったことが絶対ダメだと、頭から否定するつもりはなくて、ただ単に「それは何のためにやるのか」といった本質的な部分が納得できないと、そこにエネルギーを割くことができない。

ミスも多いし、回り道も多い。かなり不器用な方であるし、スマートに物事をこなすというのがとても難しい。たくさんのことを器用にやってのけられるような人間ではないのです。

そんなこんなで、ただでさえエネルギーの分散の仕方が激しいのだから、本当に自分がやりたいことや、生きたい人生を送るためには、何にエネルギーを注ぐのか、どんな時間を過ごすのかを厳選していかないと、とうてい間に合いません。

だからこそ、私がかかわることは、ちゃんと腹落ちして取り組んでいきたい。

むしろ納得できたことには、私という人間のもつエネルギーを、気持ちよく注いでいける。
そのためにも「?」と感じたことについては、自分の気持ちをオープンにして誠実に尋ね、理解をしていきたいと思っているんです。



いっけん丁寧に見えるような道ですが、時と場合によっては「いちいち、なんでそんなことを聞いてくるんだ」と、めんどくさがられてしまうことも度々で。

(私自身、自分のそんな性格をめんどくさいなと感じているのだから、周りの皆さんがそう思うのも本当に無理がないなぁとは思っているのですが)

しかしまぁ、そこの部分については、変えようとしても変えられなかった部分で。
(それを押し込めたり変に取り繕うとするのは、またまた自分を偽ることになってしまうしさ)

だからもう、自分自身の生まれ持った性質と思って開き直り、逆にそんな私だからこそできることを、精一杯やっていくしかない。

多少(かなりかもしれないけど)めんどくさいやつと思われても、表面でニコニコと物わかりのいい人を演じて、本心を隠して不満ばかり溜めているよりも、自分の思いを素直にオープンに表現できる人間でありたいと思うのです。

もちろん、そう在るためには、疑問を感じる自分自身に対するフラットな自己認識や、もやっとした感覚に飲み込まれず、なぜ自分がそう感じたかをもう一段深堀していく姿勢というのが欠けてはいけないと考えています。
(そうじゃないと、ほんとに、ただのめんどくさい人)

私が自分の気持ちに素直で在ろうとするのは、本音の部分で理解し合い、繋がりたいという思いから生まれているということ。

そのために必要なステップだということを丁寧に伝える言葉の力を磨くこともとても大切。

まだまだ修行中ではありますが、そもそも自分の気持ちを隠さずに素直に打ち明けることができるのは、相手を、世界を、自分を信頼しているという心の基盤が整ってきたからこそできることなのだと思って、これからも、勇気をもって自分らしく在り続けていきたいです。

なので、めんどくさい真理を、どうか許してね。

みなさんは自分の心に正直に在ることについて、どう感じましたか?

ちょっと立ち止まって考えてみたよ👀という方は、ぜひコメント欄でシェアしてみてください^^

それではまた次回。
めくるめく思考の世界でお会いしましょう!

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