深夜と誘惑と焦燥感
昼間は映画観たい欲がこんなにも高まることはないのに、深夜になると毎日のようにとんでもなく映画見たい欲が高まる。
「また今度にしようね、明日学校だからね」と幼稚園児の子供に話す母親のような口調で自分に言い聞かせてみようと試みたこともあるが、
"明日は学校"という事実を踏まえた上で心が映画を欲しがっているのだから、その試みは失敗に終わった。
そういう時は黙ってnoteを開き、心を無にして文章を書くのが最前の手段だと、最近学んだ。
ちなみに今も映画見たい欲を鎮めるために、深夜に1人文章を書いてる。
この現象は映画だけではなく、音楽だったり、本だったりでも起こる。
あるとき急に音楽が聴きたくなったり、本が読みたくなったり。
わたしは昔から音楽、映画、読書、ラジオ、お笑い、写真、アート等々、そういうものが好きだ。サブカルチャーと呼ばれる類のものだ。
睡眠時間と学校にいる時間以外のほとんどはそれに使っているといっても過言では無い。
勉強時間だって常に音楽かラジオ片手に勉強しているし、暇さえあれば映画か本を楽しんでる。
そういう類のカルチャーには必ず「造り手」がいるわけで。
音楽だったりが常に傍にあった私は無意識にも造り手への憧れがあった。
そういう憧れだったり、わたしもそういう人になりたい、というのはサブカルと生きている若者なら必ずしも抱く感情だし、そっちの道を目指す人なんぞごまんといるわけで。
ただ私の場合、「そういう憧れ」だったり、「そっち」だったり、「そういう人」だったり、何を目指して何になりたいのかがアバウトで、自分が目指す像に白いモヤがかかっているのだ。
「何者かになりたい」
「何になりたいのか分からない」
「いやなれるでしょ」
「この先何者にもなれないのかもしれない」
という根拠の無い自信と不安が常に私を支配する。
私みたいな人間を世間一般は「何者かになりたい病」と呼んでいるらしい。
実際同世代の方のnoteを覗いてみると、同じようなことを述べていらっしゃる方を見かけた。
これはnote意外の話だが、2つ年上で日本の今の音楽を変えるんだと意気込む男の子がいた。
聴いているジャンルがお互いとても広く、音楽観も合った。
ドアーズやツェッペリン、ブラック・サバス、ストレイキャッツ、パーフリ、Cornelius、くるり、スーパーカー、フジファブリックなど音楽について語り合って、一時期とても親しい仲にあった。
その人も息を吐くように、「何者かになりたい」「自分はこのまま何者にもなれないかもしれない」と言っていたし、「何者かになりたい問題」はサブカルオタクの若者にとって死活問題なんだろう。
私が何者かになれるかどうかはまだ分からないし、それは未来に託すしかないと思う。
未来にしか分からないことでもがいても意味が無い。今できることをしなければ。
私は今、同じような心境にある人を見つけたい。関わりたい。
もちろん趣味が合えば嬉しいけれど、趣味が違えど抱えている心境が同じなら心の蟠りを共有し合える。
先述した男の子には私は勝手に古のロックスターに通ずる精神を感じた。
他にもそういう人を見つけたい。
パンク精神がある人がいいな。
性別も趣味も問いません。私と同じ心境の同世代の方、いませんか。