フリースクールボランティアでの学び
私は1ヶ月ほど前から不登校の子が通うフリースクールでボランティア活動をさせてもらっています。
そもそも、フリースクールという存在を知らない方もいらっしゃると思います。
フリースクールとは民間の教育施設で、様々な理由から学校に行けない、行きたくない子の受けいれ場となっています。
フリースクールによりますが、大体のフリースクールで出席日数を確保する事ができ、不登校の子供たちの中ではメジャーな選択肢になっています。
私は母親が教師で、今大学院で不登校や発達障害について研究をしているのもあって、フリースクールがもともと身近な存在だったのですが、未だ世間での認知度は低いと思っています。
私は地元から1時間ほどの街のフリースクールでボランティアをしているのですが、
私の地元ではフリースクールの需要はなく、開いてもすぐに閉めてしまうそうです。
私の街で過去にフリースクールを開いたことがある方曰く、やはり閉鎖的な田舎では、不登校であることを表に出して、民間団体のスクールに通うことのハードルが高いというのが要因らしいです。
フリースクールでボランティアをしようと思った理由
これに関しては主に2つあります。
1つ目は全日制高校から通信制高校に転校して、家族以外の人との関わりが減ってしまったので、社会との繋がりを保つ拠点が欲しかったということです。
しかし、鬱病を抱えていて、疲れやすく、朝に弱い、いつ体調が悪くなるか分からない、という状況で金銭が関わり責任重大のバイトをすることは困難でした。
しかしフリースクールのボランティアは人との関わりが可能な上、いつ来ても、いつ帰っても大丈夫という緩いルールの上で参加できるので、私の条件にぴったり合うものでした。
2つ目は、ハンデを抱えつつも頑張る子供たちの手助けをしたかったから。
小6の頃、私は学習障害を抱える同級生のお母さんに、
「○○(同級生の名前)くん、昨日2の段のプリントめちゃくちゃがんばってたのー!!まだ無いちゃんどう思う?すごくない?ほんとに最近頑張ってるのーあの子」と言われた時、私はもちろん笑顔で明るい言葉を口に出しましたが、学習障害など知らぬ小六の私は、心の中ではどうしても「二の段なんて簡単だし、がんばってるのか?」と思ってしまっていて、その子にとっての頑張ることの意味を全く理解出来ていませんでした。
しかし、鬱病になって回復期に至る今、がんばって3日間連続9時以内に起きれたことを心から喜んでいる自分を客観視した時、他人からすれば当たり前のことも自分にとっては精一杯の頑張りである、ということの本質に気づくことができました。
その時、世の中の典型には当てはまらなくても、自分のペースで頑張る人を支えたいと思いました。
フリースクールの子供たち
まず前提に知って欲しいのは、フリースクールに通えているという時点で、言い方は悪いですが、不登校カーストの最上位であるということです。
そもそも多くの不登校の子供たちはフリースクールに通うことができず、その結果、ゲーム中毒や引きこもり、昼夜逆転等の生活を送ってしまっているのが現実です。
中にはいじめられた過去を持つ子供もいるため、精神的に厳しい状態にある子供もいます。
また、フリースクール自体が民間の教育施設であるため、通うのにも月々定額(そこそこかかる所が多いです)を払わなければいけないため、貧困家庭の子供たちは通えていません。
その点、フリースクールに通えている子は外に出られるくらいの精神的余裕と、フリースクールに通う金銭的援助を受けられている、本当に上位層1部なのです。
ということを知って読み進めて頂きたいです。
私の通うフリースクールには総勢20人近くの子供たちがいます。
ほとんどが男の子ですが、1.2人女の子もいます。
性格としては様々ですが、明るく、The小学生男子という感じの子が多いです。(フリースクールに入った時はみんな死んだ魚の様な目をしていたそうですが)
学校に通えなくなった経緯は本人たちに聞くのは気が引けて、聞けていませんが、様々だと思います。
それにみんなそれぞれのカラーがあって、もちろん発達障害精神疾患等を抱えていない子もいるし、ADHD、ASD、学習障害、境界知能、グレーゾーンetc、、など人によって抱えているものは様々ですが、お互いを否定し合うことはありません。
私自身も鬱とADHDを抱えているし、もう1人のボランティア(先輩)も社交不安障害を抱えておられると聞いたので、みんながみんな生きづらさに理解があります。
私が彼らを見ていてすごいなと思うのは、自分たちで一人一人が居やすい空間を理解し合って過ごしているということ。
お互いの特性や性格をすごく理解しているし、学校生活でよくあるグループやカーストなどが全くなく、みんなが一人の人間としておなじ立ち位置にあるのはボランティアの私から見てもはっきりとわかります。
私自身もそうでしたが、小学生ながら人一倍敏感でグループやカーストなどに溶け込めない、もしくはそれらに嫌悪感を抱く子が多いので、カーストやグループが全く形成されないのだと思います。
彼らが生み出すフリースクール内の雰囲気や彼らの考え方を見ていると、私より大人のように感じます。
小中学生ながら、私のうつ病についてもかなり理解してくれていて、世間では感じる偏見の目は全く感じません。
私自身もとても居心地がよく、何か生きづらさを抱えながらも働きたいと思う方には天職だと思います。
一人一人をピックアップしてその子について専門家の母親と一緒に考えると、やっぱりその子たちには同年代の子達にとけ込めない特徴、特性がいくつかあることが分かったのですが、(勝手に考察推測しちゃってごめんなさい、一応専門家の元でやっています)
フリースクール内では本当に全員が馴染んでいるのを見ると、学校教育には向き不向きがあることを感じました。
そもそも、クラスに30人いてその全員に同じ方法が向いているなんて有り得ませんから。笑
あと、ここに通う子たちはみんな総じて生きる力があると思いました。
みんなフリースクールの活動で、キャンプをしたり、料理をしたり、不登校についての講演会をしたり、中には海外研修に行ったり、、、それらを通して様々な生きる力を持っている子が多いです。
学校では得られない生きる力を持っている子達が多く、学校教育で得られるテストで高得点を取る知識がなくとも、上手く生きていける力をみんな持っています。
フリースクールでは何をするのか
フリースクールは学校と同様週5日開いていて、時間割も決まっています。
といっても、1時間目は国語、2時間目は理科、3時間目は数学、、、といったような時間割ではなく、朝の会の後、10時から12時はスタディーサポート(勉強)、12時から13時までは昼休み、13時からは探求(それぞれが好きなことをする)、最後に掃除、などといったとてもざっくりした様なものです。
スタディーサポートの時間はそれぞれが参考書で自習を進める時間になっています。
そこで私は質問を受けて勉強を教えたりしています。
単刀直入に言うと、不登校の子供たちの学力は正直とても低いです。
学習障害や境界知能の子もいるし、障害はなくても勉強についていけなくて不登校になる子もいます。
ごく稀ですが、中には高機能自閉症の子で反対に頭が良すぎて周りに馴染めず、不登校になる子もいます。
どちらのタイプの子も私がボランティアをしているフリースクールにはいて、それぞれが自分のレベルに合った教材で勉強しています。
先述した通り、私は世の中の当たり前に当てはまらない、自分のペースでの"頑張り"を応援したいと思っているので、全員の頑張りを褒めたいです。
多分先述した時間割を見たみなさんは勉強の時間の少なさに驚かれたと思います。
普通の小中学校では勉強を6時間ほど行いますが、フリースクールでは2時間。
しかも授業ではなく、友達とおしゃべりしながらの自習で、プリントを数枚、参考書を見開き1ページ進める程度です。
それにゲーム等の遊びができる時間もとても長いです。
でも、フリースクールはそれでいいんです。
学校教育の代わりには全くなりません。
あくまで教育機関ではなく、不登校の子供たちの居場所。
塾のようにスパルタ教育をしていてはこの子達は来ないし、ある程度の緩さがないと居場所にはなりません。
という趣旨で勉強時間やゲーム時間を緩くしているフリースクールがほとんどです。
わたしの葛藤
私は似通った経歴を持つ親戚家族、似通った学力や家庭を持つ高校の友達に囲まれて、価値観と考え方が偏ってしまったので、全く縁がなかった不登校の子供たちと触れ合って、その子たちが抱く色々な考え方や生き方を学びたいと思い、価値観を豊かにするために、このボランティアを始めました。
実際、私が望んでいた通り、彼らは私よりみんな年下で、中には10歳も年下の子もいるのですが、それぞれが豊かな価値観と生き方を持っていて、それに触れられるというのはとても価値があることだと出会えて感謝しています。
しかし、家族や親戚、高校の人達が抱く「いっぱい勉強して難関大学に行って大手企業に就職するんだ!エリート一直線!!」という考え方だけに長年囚われてきた私としては少し戸惑いがあります。
ハンデを抱えながらも頑張ろうとする人を応援したい、自分のペースでの頑張りを褒めたいという考えを持ちつつも、中学生で約分の勉強をしているのを見たとき、少し心の奥の奥深くで軽蔑する心が芽生えたように感じられて、浅はかな邪念を抱く自分が大嫌いになりました。
一人一人を尊重したいというのが本望でありながらも、もしかしたら心の奥深くで軽蔑しているのかもしれないと思うと本当に苦しくなります。
また、私は子供たちだけではなく、親御さんともお話することがあるのですが、その時に子供たちの未来が明るいことを保証できないのに、自分の躓いた経験後のいい部分だけを切り抜いて、明るい未来が必ずくると言ってしまうことも私の悩みの1つです。
私自身ただの下っ端ボランティアで、その子たちの人生を100パーセント大成功させられる能力などないのに、親子ともに前向きでいて欲しいという一心で発言してしまうこと、発した夜すごく後悔してしまいます。
それらの事を父に相談すると、今までとは全く違う環境で、今までとは異なる価値観に触れて、葛藤しているのだろうと言っていますが、
それを一言に葛藤と言ってしまっていいのかどうかも、私には分かりません。
非常に長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。
フリースクールのことについての理解がより深まる世の中になるといいなと思っています。
あの子供たちに出会えてよかった。