カマラ・ハリス米副大統領のジャマイカン・ルーツ、ボブ・マーリーを語り尽くす!/『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』
女性初、黒人初、アジア系初として、カマラ・ハリス米副大統領が誕生しました。彼女のルーツとしては、日本では「アジア系」であることも強調されますが、今回の記事では彼女のブラックとしてのルーツ、父方の、ジャマイカに注目したいと思います。
藤田正さん(以下、藤田) ジャメイカ~!
――興奮しないで。落ち着いてください!
藤田 すみません(汗)。大坂なおみさんのお父さんは、同じカリブ海のハイチの出身。ハリスさんのお父さんはジャマイカです。日本では何だか遠い話だな~と思っている人もいるはずだけど、広い意味でのブラック・ミュージックに親しんできた者たちにはどちらも大変に重要な島(国家)だし、アメリカ合衆国の音楽界にも、特にジャマイカン・ポップ・ミュージックはボブ・マーリーをその象徴として今も甚大な影響を及ぼし続けています。うたい方、音像の作り方、作曲法、踊りなどなど「これってジャマイカのネタじゃん」と、ぼくらはいっくらでも指摘できますよ。
――へー、そうなんですね。ボブ・マーリーといえば「レゲエ」ですが。
藤田 たしかに世界的な音楽用語としては今も「レゲエ」は生きています。でも1960年代から1970年代までの約20年の「レゲエの時代」と、それ以降とではジャマイカ音楽は強烈に変質してきた。分かりやすく言えば、日本の歌謡が、浪曲大全盛の時代から美空ひばりの演歌へ、そしてユーミン(松任谷由実)へと変貌して行ったのと同じです。ただ世界的偉業という意味では、ジャマイカ黒人が起こした文化革命からすれば、日本歌謡は残念ながら小さなものです。カマラ・ハリスさんは間違いなくジャマイカという「父の国」を誇りに感じているはずで、その中心をなしたボブ・マーリーらが発信したメッセージを政治家としての自分の活動に取り入れている、ということです。
――なるほど。2020年11月に出版した『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』でもボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはかなり取り上げましたよね。アメリカン・ブラックの歌じゃないのに、なぜ?と思った人もいるかもしれませんが、そういうことだったんですね。
藤田 アメリカ合衆国は「移民」という活力と影響力なしにあり得ない国家です。
――かつて、その役割は奴隷が担っていました。
藤田 そうです。ぼくはこれまで何度も書いてきたけど、例えばラップ・ミュージックって、極論すれば「ニューヨークの最貧地域に生まれた最新のカリブ海音楽」なんです。その震源地、サウス・ブロンクスは、プエルトリコ人、ジャマイカ人らが生きるために移民したカリブ海系の集住地区だよね。レゲエ、サルサ、ラップは「血筋」として繋がっているし故郷と直結している、という理解なくして、アメリカ合衆国の文化的大動脈は理解できません。日本ではジャズの発祥地みたいに言われるだけのニューオーリンズって、地図を見るだけでも想像できるけど、あの地は「カリブ黒人文化の最北端」だからね。国境があろうとなかろうとアフリカ、カリブへと繋がる交流は密接に続いている。繰り返しますが、こういうことって音楽に接していると一番にピンとくる。ボブ・マーリーやレゲエって、広く黒人にとっては「兄弟姉妹の音楽」なんですよ。
――カマラ副大統領のお父さんであるドナルド・ハリス氏(スタンフォード大学名誉教授)は、1978年に彼女を連れてボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのライヴに出かけたそうです。
藤田 彼女が13歳の時ね。大変な感銘を受けたそうです。黒人とは。差別とは。団結とは。抑圧とは。革命とは。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、歌とリズムと踊りで、そのすべてに応えていた。調べたんだけど、それは1978年7月21日のバークレイのグリーク・シアターです。音質は悪いけど、YouTubeにこの時のライヴ録音があります。むっちゃくちゃに凄い。この会場にジャマイカンとしてのハリス親子がいたのかと思うと、激しく感動します。副次的なことになるけど、この時代の米ブラック・ミュージックって、甘ちゃんが多かった。ディスコ全盛の時代です。札束と性的乱交と薬物にまみれた享楽のみの音楽が支配的だった。ボブ・マーリーを頂点とするレゲエは、この状況に、キツく批判を加え続けたんです。音楽状況としてこのレゲエのメッセージに応えたのが、ラップ以降の米ブラック・ミュージックです。もちろんザ・クラッシュとか、新しい真摯なロック・バンドの活動も欠かせないです。
――文化運動としての「ブラック・ライヴズ・マター」は、そういった流れを引いているんですね。
藤田 そういう見方は重要だと思います。
「立ち上がれ! 闘え!」と最貧国からきた戦士=神、ボブ・マーリーはうたい続ける
――私も、名盤といわれるボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの『バーニン』は持ってます!
藤田 1973年の名作! スラム街の若者3人が揃った、最後のアルバムです。「ゲット・アップ・スタンド・アップ」「バーニン・アンド・ルーティン」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」ほか、全世界の貧しき民に圧倒的な力を持つ重要作が並んでいます。
「ゲット・アップ・スタンド・アップ」(ライブ@ミュンヘン 1980年)
――『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』では「バーニン・アンド・ルーティン」に特に行数が割かれていますね。
藤田 燃やしてしまえ! 略奪しろ! という非常識極まりないメッセージがなぜうたわれるのか、ということ。1992年の「ロス暴動」がまさに「バーニン・アンド・ルーティン」だった。書籍はそれに触れています。
2020年、ボブ・マーリー生誕75周年を記念してリマスターされたMV「バーニン&ルーティン」
俺は警官を撃ったとうたう「アイ・ショット・ザ・シェリフ」
――藤田さんはジャマイカにも行かれているし、ボブ・マーリー、そしてジミー・クリフにも日本で取材されたとか?
藤田 ザ・ウェイラーズは1979年の唯一の東京公演を取材しました。菅原光博カメラマンとの共著『ボブ・マーリー よみがえるレゲエ・レジェンド』(Pヴァイン社)に書いたけど、超厳戒態勢の宿泊ホテルに潜り込んでメンバーに取材したり、ボブ・マーリーなる「神さま」ともちょっとだけ会いましたよ(笑)。みんな本当に慎ましくて、服装も地味だった。いわゆる芸能人じゃないんだよね、彼ら彼女たちは。世界の最貧国からやってきた戦士でした。
――ジミー・クリフとも会った。
藤田 日本でレゲエといったら、最初はジミー・クリフだった。クリフは素晴らしいシンガーです。彼はムスリムで、かつジャマイカの自然食(アイタル・フード)しか口にしない人です。ボブ・マーリー一行はシェフを連れてきて、実はこれも日本のホテルでは大騒動だったんだけど、クリフも日本での食事に困っていた。食材選びからして他人に任せられないし、禁止されているホテルの自室内でこっそり煮炊きをしてたんだよね。ぼくは吉田ルイ子さんに紹介されて、クリフと3人でクリフが作ってくれた夕飯をいただきました。
――ルイ子さんって、『ハーレムの熱い日々』(講談社文庫)を書いた写真家ですよね。
藤田 黒人文化を、単なる学者のお勉強じゃなくて、ナマの声を日本に届けた草分けの一人です。その方が、クリフに惚れ込んで彼に張り付いていた。彼もまったくチャラチャラしていない人だった。
――映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』(1972年)の主演としても、世界にレゲエを紹介した。
藤田 貧しい田舎の青年が、都会のキングストンにやってきて、ついにはお尋ね者になるという物語。実話に基づいているんだけど、これも「バーニン・アンド・ルーティン」と同じように虐げられた人々の声がベースになっている。
映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』のサントラにも収録。ジミー・クリフ の名曲 「メニー・リヴァース・トゥ・クロス」
――それで、ジャマイカへの旅は?
藤田 これを語り出すと止まらなくなるので、またの機会に(笑)。ただ、カマラ・ハリスのお父さんがボブ・マーリーに特別なものを感じていたのは、ジャマイカの各村々を訪ねたぼくはわかります。ドナルドさんってセント・アン教区の中心的な町であるブラウンズ・タウンの生まれなんです。山の中の町。で、さらに山道を登って少し行くとボブ・マーリーが生まれたナイン・マイルズがある。お父さんにとって、故郷セント・アンの偉人でもあるんですよ、ボブ・マーリーは。娘のカマラさんにお父さんは、このこと、しっかりと伝えているはずです。
――ボブ・マーリーも生きていれば、今年で76歳。2月6日が誕生日です。
藤田 1981年に彼はガンで亡くなりました。36歳という若さですよ! ハリス親子が彼のステージを観たのは、美しい「イズ・ジス・ラヴ」が大ヒットしていた時。アルバムでは『カヤ』(1978年3月発売)のためのツアーでした。「イズ・ジス・ラヴ」って一応はラヴ・ソングなんだけど、注意しなくていけないのは、「神(ジャー)がパンを我々に分け与えてくださる。それが愛の本質じゃないか?」と問いかけていること。このメッセージって、いよいよ人類が困窮の淵へ向かおうとしている2021年に改めて耳にする時、まさに予言のように思えるんだよね。カマラ・ハリスさんも、その危機感、忘れない政治家であってほしいと切に願います。
――レゲエという音楽の本質ってなんなんでしょう?
藤田「ゲット・アップ・スタンド・アップ」と「バーニン・アンド・ルーティン」。そして「イズ・ジス・ラヴ」を聴けば分かります。
「イズ・ジス・ラヴ」
トップ画像は、藤田正=著、菅原光博=写真の『ボブ・マーリー よみがえるレゲエ・レジェンド』表紙を使用しました。同書籍では「ボブ・マーリーの一生」について藤田さんが書いています。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「バーニン・アンド・ルーティン」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」とBLMの関係性について詳しく書いた『歌と映像で読み解くブラック・ライヴズ・マター』はこちら↓