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ニットセラピーでメンタルケアする・記録5日目『その(編み目)一目は呪いではありません』

いびつなかたちその2

マイペースに行っているニットセラピーは本日(12/29)で編み納め、ハングルでは뜨개질 테라피 (tu ge jiru terapi)「編み物セラピー」という言い方をします。編み物治療法という風にもいうみたいです。

【ミニ単語帳】
치료법
(chi ryou pob) 治療法
편하게 (pyo na ge) 楽に
테라피 (te ra pi) セラピー

(12月29日)お見苦しい落書きを申し訳ありません

好きな人に『これよかったら…(受け取ってください)』は、決して怨念ではない

(まあ場合によってはそういう目的で作ってる人もいるかもしれないが)その昔、16歳のころ(私は日本の高専服飾クラス)だった教室で『好きな人に手作りのものをあげる』といった類の話を数人でしていた。

バレンタインデーは『手編みのマフラーにする』といった同級生に、もう1人の同級生が『もし手編みのマフラーを誰々にあげるのなら重いと思われて引かれんで』『なんかの怨念やと思われんで』とクールにいってる子がいた。

それを聞いて、どうしようと困っている様子の同級生。編み物の授業はなかったものの当時どんなものかは知っていて、大抵の子が編めていた。(私は編んだことないまま今まで来た)

私は『え?怨念?』と問いかけつつ、頭の中で『どういうことがそう思わせるか』について考えた、

一目一目時間をかけて編んでる人の時間も何もかも全てがそのマフラーに練り込まれ、注ぎ込まれてるイメージ⁈と想像していた。そういう見方をすれば重いかもしれないが、そんな私は手編みのものをもらうのが大好きだった。

受け取り方は人それぞれで、それに萎縮して編まないのもおかしいと思うのよ

引き続きのリリアンも

様々な価値観の人が存在する。
確かにネガティブな意味合いで思う人もいるかもしれないが正直捉え方(受け取り方)次第というか、、今ほど編み物や手作りの良さみたいなものが浸透していない時でもあったので、、。クッキーなどの飲食系の手作りが無理な人もいた。(そういう人がいるのは事実)

とはいえ『苦労して(思いをほどほどに込めて)編んだのだから〜』という気持ちもあるわけである。

なので例えばあげる方ともらう方がいて手編みのマフラーを渡して相手が心の中で『重いなコイツ』と思った時点で、この社会に於ける『感謝』という気持ちをしらんやつだ、『そういう人』だと思うことにしようと思った。

暗黙のなんちゃら問題

そういう暗黙のなんちゃら的なことは言われないかぎり知りようがないのも事実、、自分で掴んでいかないとわからない何かかもしれない。もらう人のことを好きかそうじゃないかにもよる気がするし、考え出すと答えのない問題である。

同時に相手への配慮や気遣いをこういうことを通して学べたらいいと思った。その同級生は手編みマフラーをやめ「手作り」自体をやめた記憶がある。

『思いをカタチにする』を探求し続けたい

編んでいる一目一目は、相手への想いにも変化するし、マイセルフできるセラピーとしても染み渡らせることができる。

気遣いも手作りのものや文章にも変化できる。という考え方をしたい。2025年も私は編み編み、縫い縫いすると思う。成長もエンドレス。



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趙せいか
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