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(浅井茂利著作集)ホワイトカラー・エグゼンプション導入論の不思議

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1580(2014年7月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利

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 ホワイトカラーに対する労働時間規制の適用除外、すなわちエグゼンプション導入の議論が盛り上がっています。しかしながら、導入の理由には、まったく説得力がないように思われます。本来、まともな議論の対象にならないような主張について、政府で議論されているのは、きわめて不思議です。
 2013年12月5日に規制改革会議がとりまとめた「労働時間規制の見直しに関する意見」によれば、労働時間規制の「改革の目的」は、「多様な形態で働く者それぞれの健康を確保し、創造性と高い生産性を発揮できる柔軟な労働環境をつくる」こととされています。今回は、「多様な形態の働き方」「健康の確保」「創造性」「生産性」というキーワードについて、「労働時間の新たな適用除外制度」創設の論拠となりうるのかどうか、見ていこうと思います。

多様な形態の働き方

 規制改革会議の「規制改革に関する第2次答申(2014年6月13日)」では、「一律の労働時間管理になじまない働き方(中略)が目立って増えてきている」と指摘していますが、「一律の労働時間管理」とは、いったい何を意味するのでしょうか。
 あらかじめ決められた時刻に出社し、決められた時刻に退社するというのが、「一律の労働時間管理」であるならば、これになじまない働き方が増えている、というのはそのとおりです。
 しかしながら、そもそも労働時間は、個人ごとに管理されなければなりません。残業や休日出勤が皆無の場合とか、製造ラインや監視業務、販売などのように残業が職場ごとに設定されている場合には、「一律の労働時間管理」と言ってもよいかもしれません。しかしながら事務職のような職場では、例えば1日の所定労働時間が8時間の場合、8時間から先の残業は、完全に個人ごとに管理されているはずです。現行の制度の下でも、「一律の労働時間管理」などされてはいないのです。
 子育て・介護のために所定労働時間を短くしたい、働く時間帯を柔軟にしたいというニーズに対しては、短時間正社員なり、フレックスタイムなりを整備するのが筋です。労働時間規制の適用除外では、子育てや介護をしようとする人にも、通常の場合と同等の仕事量が与えられることになるので、通常の場合より早く仕事を終わらせなければ子育ても介護もできないことになります。
 また、海外と取引しているような職場では、常昼勤の職場と勤務時間がずれるのはやむを得ないことです。しかしながら、それは工場の夜勤と何が違うのでしょうか。現行の労働時間規制で問題なく対応できるはずです。もちろん海外で昼間の時間帯でも、国内が深夜なら、国内では深夜割増が支払われて当然です。
 現在の労働時間規制は、「19世紀の終わりぐらいから20世紀にかけて、当時の労働者の主流であった『工場で集団的に働く従属的労働者』をモデルとしてつくられてきた」と言われています。歴史的にはそのとおりです。しかし、だからどうなのでしょうか。19世紀に作られた制度でも、機能しているのならそれでよし、機能していないというのなら、そのことが定量的に立証されるべきです。「名ばかり管理職」のような現場と法の乖離が問題だという人がいますが、法を守ればよいだけの話です。泥棒がいるから窃盗罪をなくそうというのは、筋違いです。

創造性の発揮

 産業競争力会議の雇用・人材分科会「中間整理(2013年12月26日)」では、「柔軟な発想が求められる今日、『時間に縛られる』働き方からの脱却が求められており、労働時間の長さで成果を測り、賃金を支払うことは、企業側にとっても、働く側にとっても、必ずしも現状や実態に見合わない状況が生じてきている。このため、一律の労働時間管理がなじまず、自ら時間配分等を行うことで創造的に働くことができる労働者に適合した、弾力的な労働時間制度を構築する」ことを主張しています。
 仕事上のアイデアは、いつ湧いてくるかわかりません。勤務時間中かもしれませんが、通勤中、食事中、入浴中、寝る前か、テレビを見ている時か、山に登っている時か、まったくわかりません。夢の中でかもしれません。もし労働組合が、勤務時間以外は仕事のことを考えるな、仕事について考えている時間全部に賃金を支払え、と言っているならば、「柔軟な発想」が「労働時間管理」になじまない、という理屈も成り立ちますが、誰もそんなことは言っていません。
 また、創造的な仕事というのが、アイデアをひねり出すことだと思ったら大間違いです。アイデアが浮かんだら、まず過去の事例や先行研究を調べ、実験をしたり、統計を集めてデータを揃え、それを分析し、アイデアの成否の可能性を探らなくてはなりません。社内の他の部署や取引先との調整も必要です。そうした上で、その企画を文章なり、パワーポイントなりにまとめて、上司や同僚、取引先や顧客など自分以外の人に理解してもらえる、説得できるかたちにする必要があります。
 創造的な仕事においては、実はアイデアを練る時間は、労働時間の中にほとんどカウントされていなくて、労働時間の中で実際に行われているのは、地味で地道な実務作業です。単なるアイデアを具体的な企画にするための、地味で地道な実務作業をおろそかにすれば、その企画の成功はおぼつきません。こうした作業に、残業代を払うのがおかしいことだとは思えません。
 ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」の中で、次のようなモーツァルトの台詞があります。「陛下に申し上げて下さい、オペラはでき上りましたって。ええ、頭の中ではね。」皇帝陛下にしてみれば、いくらモーツァルトの頭の中で完成していても、何の意味もありません。神童モーツァルトといえども、自らの作品を世に出すためには、譜面に書き起こすという実務作業が必要で、モーツァルトの生涯の多くはそれに費やされたわけです。同じ戯曲で妻のコンスタンツェが、モーツァルトの死後、楽譜の値段を音符の数で決める、という話が出てきます。コンスタンツェが夫の芸術に無理解だった例として出てくるのですが、モーツァルトの生涯が楽譜を書くことに費やされていた以上、「音符の数 ≒ 楽譜作成にかかった時間」で評価するのは、きわめて正当だと思うのです。
 もちろん、アイデアを口にすれば、あとの作業はすべて部下やアシスタントにやってもらえる人、メロディーを口ずさめば、楽譜に起こすのもハーモニーや伴奏をつけるのも、他人にやってもらえる作曲家、そうした人々が「創造的に働くことができる労働者」であるならば、「労働時間管理」がなじまないといってもよいでしょう。しかしながら、会社の中にそういう人がどれだけいるのでしょうか。

ホワイトカラーの生産性

 日本のホワイトカラーの生産性は低い、ということがよく言われます。そのため、労働時間規制の適用除外にすれば、「何時間働いてももう残業代は出ないんだから、同じ仕事をするんだったらなるべく効率よくして早目に帰ろうというので、それが労働時間が短縮するほうのインセンティブに働く可能性があります」(水町勇一郎規制改革会議雇用ワーキング・グループ専門委員/東京大学社会科学研究所教授)という発想が出てくるわけです。
 しかしながら、第一に、日本のホワイトカラーの生産性が本当に低いのかどうか、これがよくわかりません。
①日本の生産性は低いが、日本の生産現場の生産性は高い。従って、ホワイトカラーの生産性は低いはず。
②日本の製造業の生産性は高いが、非製造業の生産性は低い。非製造業で働いているのはホワイトカラーなので、ホワイトカラーの生産性は低いはず。
といった理屈なのだと思いますが、まず①については、日本の生産性が低いというのは付加価値生産性、生産現場の生産性が高いというのは物的生産性です。このふたつを比較して、ホワイトカラーの生産性が低いという結論を導き出すことはできません。
 ②は、付加価値生産性の話ですが、
*非製造業=ホワイトカラーではない。建設、電力、運輸、小売、サービスなど、現業職種に従事している人が、産業を支えているのは非製造業も同じであり、非製造業の生産性がホワイトカラーの生産性を示すわけではない。
*付加価値生産性を決定するのは、もっぱら競争の激しさである。競争が激しければ、価格が下がって付加価値は低くなるし、規制などによって競争が少なければ、価格が高止まりし付加価値は高くなる。
と言えるのではないでしょうか。製造業の競争が熾烈であることは、誰でもわかりますが、非製造業でも、製造業以上に競争の激しい産業はいくらでもあります。
 次に、残業代が出なければ早く帰るようになるのか、という間題です。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」の時代には、そういうことがあったかもしれませんし、現在でも皆無とは言いません。
 しかしながら、多くの人々は、日々仕事に追われているのではないか、というのが筆者の感覚です。残業を減らすためには、人を増やすか、無意味な仕事をなくすかのどちらかしかありません。
 もし、残業代のために、遅くまで残っている人がいるとしたら、まずは職場管理がきちんとできていない、ということになります。残業代というのは、「時間あたり賃金 × 割増率 × 時間」ですから、労働時間規制の問題ではなく、上司の指導や人事評価の問題です。そして何よりも、会社と従業員、職場内の信頼関係がきちんとしていれば、だらだらしている人などいないはずです。
 「労働者の側にも、短時間で成果を上げても評価されずに不満を持つ労働者が存在する」との指摘がありますが、短時間で成果をあげられる人のところには、仕事がどんどん集まって、たくさんの仕事をこなす、それが周囲に評価される、というのが評価の高まる道筋です。40時間の仕事を30時間で仕上げても、節約した時間にそれ以上の仕事をしないのなら、会社としては、高く評価する理由は何もありません。

健康の確保

 規制改革会議の「第2次答申」では、「健康を徹底して守るため、労働時間の量的上限規制、休日・休暇取得促進に向けた強制的取組など長時間労働を直接的に規制する制度の導入が必要である」と提案しています。ぜひ、適用除外制度創設とのバーターとしてではなく、また全勤労者に適用するものとして、導入して欲しいと思います。
 わが国の残業規制は、ヨーロッパのような労働時間の直接規制ではなく、アメリカのような割増率による規制だという人がいます。しかしながら、アメリカの割増率50%に対し、日本は25%、しかも日本は算定基礎に入らない一時金の比率が高いので、企業の現実の負担率はもっと低くなります。この水準では、仕事量が過重な場合、追加の人材を確保するより、従業員に残業させたほうが安いので、残業を抑止できません。日本の長時間労働を是正するためには、割増率を残業が抑止できる水準まで大幅に引き上げるか、直接規制かのどちらかしかありません。
 ただし直接規制の場合、「産業医学とかの観点から科学的にこれ以上やったら健康を損なう蓋然性が高いという基準をきちんと定めて、これを労働時間規制として上限設定をすべき」(水町教授)などという水準では、どうしようもありません。
 休日はもとより、平日においても、家庭生活、地域生活がきちんと営めるような水準で、実効的な規制をしていくことが不可欠です。

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