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(浅井茂利著作集)企業家精神の回復こそわが国の最大課題

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1674(2022年5月25日)掲載
金属労協主査 浅井茂利

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 本欄ではたびたび、日本における「人への投資」が不十分であることを指摘してきました。しかしながら、不足しているのは「人への投資」だけではありません。わが国の産業・社会はいま、DX(デジタル・トランスフォーメーション)、CN(カーボンニュートラル)、新冷戦という大変革期を迎えていますが、これに対応するための研究開発投資、設備投資も圧倒的に不足しているものと思われます。長期にわたる不況の間に委縮してしまった企業経営者の意識・行動の抜本的な転換が不可欠なのではないでしょうか。 

大変革の時代に研究開発投資、設備投資が伸びていない

 日本の研究開発投資や設備投資が多いのか、少ないのかを判断するのは、容易ではありませんが、政府の「新しい資本主義実現会議」に提出された資料「賃金・人的資本に関するデータ集」を見ると、
*民間企業の研究開発投資額の推移(実質)を見てみると、2008年を100として、2018年にはドイツ135、英国133、米国131、フランス120(2017年)となっているのに対し、日本はわずか106にすぎない。(2008年以前はデータが揃わず非掲載)
*民間企業の設備投資額の推移(実質)を見てみると、2000年を100として、米国145、フランス142、ドイツ126、英国116に対し、日本は110に止まっている。
という状況にあります。
 小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏の作成したデータによれば、2019年における国民1人あたりの研究開発費は、韓国1,935ドル、米国1,866ドル、ドイツ1,586ドルなどに対し、日本は1,375ドルにすぎません。2018年の国民1人あたりの設備投資は、韓国1.49万ドル、米国1.45万ドル、ドイツ1.21万ドルに対して、日本は1.07万ドルに止まっています。ネット上では、韓国の産業・企業の危機説がたびたび話題になりますが、現実にはそうなっていない理由がわかるような気がします。
 民間企業の研究開発投資や設備投資は、とりわけ2010年代後半における伸び悩みが顕著となっており、まさに、DX、CN、新冷戦が本格化しているにも関わらず、設備投資、研究開発投資がおろそかにされていると判断できるのではないかと思います。
 ちなみに、DXとCNに新冷戦を加えることについては、違和感があるかもしれません。しかしながら、先月号の本欄でも触れたとおり、ロシアによるウクライナ侵攻という現実を前にし、自由にして民主的な国々と、専制的・人権抑圧的な国々との経済のデカップリング(切り離し)がもはや不可避であることが、誰の目にも明らかになったと思います。しかも新冷戦では、ロシアは脇役にすぎません。長期化が見込まれる中国との新冷戦に対応した、生産拠点や研究開発拠点などバリューチェーンの抜本的な再構築が不可欠となっており、そのためには当然、国内や東南・南アジアにおける設備投資の大幅拡大が不可欠となっています。
 賃金については、清算主義(金融政策において、中央銀行から金融市場への資金供給を引き締め気味にすることにより、人員整理や人件費の引き下げを促し、企業を筋肉質にして競争力を高めるという考え方)に基づく金融政策と、グローバル経済の下での熾烈な国際競争が総額人件費抑制・人件費の変動費化ありき、という企業の姿勢を招いていたわけですが、「人への投資」だけでなく、研究開発投資、設備投資についても、同様のことが言えるのだと思います。アトキンソン氏はこれについて、「日本経済の最大の問題は、企業の緊縮戦略にある」と指摘しています。緊縮「戦略」などという前向きなものであればまだよいのですが、実際には、供給力過剰・需要不足の中で、多くの企業が長期的な発展ではなく、目先の利益確保に汲々としている、ということなのではないでしょうか。 

円安を国際競争力確保に活かしてこなかった

 2013年以降の量的・質的金融緩和によって円高是正が進み、2022年に入ってむしろ円安の行き過ぎが懸念されているところですが、輸出産業がこの円安を積極的に活用してきたようには見えません。
 2015年平均を100とした輸出物価指数を見ると、「契約通貨ベース」では、超円高の状況にあった2012年度に109.5だったのが、直近の2021年度には106.3となっており、わずか2.9%低下しているだけです。一方、「円ベース」では、2012年度の87.7に対し、2021年度は101.7と、16.0%も上昇しています。輸出企業が円高是正・円安に対応して現地価格を引き下げることをせず、もっぱら目先の利益を享受していたことは明らかだと思います。
 このため輸出数量を見ても、2017年、2018年の2年間はやや多くなっているものの、それまでの2013~16年の4年間は、2012年の水準を下回ってしまっています。貿易収支も、2013年以降の9年間のうち、貿易黒字となったのは2016、17、20年のわずか3年間にすぎません。
 これまでの間、円高是正・円安はわが国経済全体にとってプラスに働いてきたわけですが、円高是正・円安がわが国の競争力強化に寄与するためには、
*海外での販売価格を引き下げ、シェアを拡大する。
*円高是正・円安で得た利益を、「人への投資」、研究開発投資、設備投資に注ぎ込む。
の少なくともどちらかが必要だと思いますが、どちらも積極的には行われなかったということだと思います。
 再び円高になった時に困るじゃないか、ということかもしれませんが、そうした後ろ向きの姿勢が、円安を活用してグローバル市場に攻勢をかけ、シェアを奪い返すという積極策を妨げたのだろうと思います。
 昨今の円安については、「悪い円安」という見方が一般的ですが、これまでの円安を有効に活用してこなかった「つけ」が回っているのだと思います。 

株主第一主義、M&A重視の問題

 消極的な研究開発投資、設備投資については、株主第一主義、それも短期的に利益を得ようとする株主を重視せざるをえない状況も要因のひとつになっているものと思われます。政府も、「ROE(自己資本利益率)8%」などという目標を示し、こうした状況に迎合してきたことは否めません。
 しかしながら、世界はすでに株主第一主義を脱し、ステークホルダー資本主義が主流となっています。人権デュー・ディリジェンスの拡大、法制化・義務化はその中の流れです。日本でも、岸田内閣の掲げる「新しい資本主義」は、ステークホルダー資本主義そのものであり、従業員はもとより、顧客、バリューチェーン企業、地域社会、そして長期的に利益を得ようとする株主を重視した経営への方向転換が期待されるところとなっています。
 また、一部の業界あるいは政府の一部には、イノベーションはスタートアップ企業にやらせて、大企業はそれを買収すればよい、という雰囲気があります。ただし、P.F.ドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を見ても、「大企業はイノベーションを行わず、行うこともできないとの通念」があり、それは「半分も事実ではない。まったくの誤解である。まず多くの例外がある。企業家としてイノベーションに成功した大企業の例は多い」と指摘していますので、そうした誤解は以前からあったようです。
 「時間を買う」などと称してM&Aを行っても、そもそも業績や株価に貢献する事例が少ないこと、社内人材の軽視や売却側人材のモチベーションの低下につながりかねないこと、などに留意しなくてはなりません。
 もちろん必要なM&Aは行っていけばよいのですが、早稲田大学教授(東京大学名誉教授)の藤本隆宏先生は、筆者のインタビューに対し、「雇用を守るためにジタバタすることこそ、プロセス・イノベーションとプロダクト・イノベーションの原動力であり、産業の新陳代謝の源である。成長戦略は、『良い現場』がジタバタする自由を与えることがその第一歩である」と指摘されています。社内で行う仕事を定義して、それに人をあてはめるようなやり方で、イノベーションができるとは思えません。
 経済誌が行っている上場企業の平均年収の集計を見ると、上位に来るのは軒並みM&A支援会社ですが、筆者には、異常なことのように思われます。 

国の支援について

 さらに、国の支援についてですが、本誌2021年5月25日号で触れているように、日本の場合、政府の科学技術予算が国際的に見てとくに少ないかどうかはともかく、政府負担研究開発費の支出先の割合(企業、大学、公的機関、非営利団体)を見ると、企業に対する支出は、米国17.6%(2018年)、英国19.9%(2016年)、フランス16.1%(2017年)、ドイツ7.9%(2017年)となっているのに対し、日本は4.4%(2018年度・OECD推計)と極端に低い状況となっています。1998年度には7.6%を占めていたのですが、これが徐々に低下してきました。
 企業に対する直接的な支援を拡充する必要があるということで、金属労協の政策・制度要求では、CNを推進するためのグリーンイノベーション基金(2兆円)の増額や、CN以外の科学技術課題の研究開発を支援する基金の創設などを主張し、「経済安全保障重要技術育成プログラム」が5千億円の規模(当初は2,500億円)で新設されました。
 ただしここで注意しなくてはならないことは、研究開発、そしてその費用は、あくまで企業主体であるべきだということです。民間企業の打ち上げたロケットで民間人が国際宇宙ステーションを訪問する時代、電気自動車の開発や生産設備に対し、10年間で5兆円の資金を1社で投入する時代に、「国頼み」、「おんぶにだっこ」の姿勢であれば、到底、成功はおぼつかないだろうと思います。国からの支援は、企業に研究開発投資を促し、民間資金を引き出す呼び水のようなものでなくてはなりません。
 以前にご紹介したかもしれませんが、ニューヨーク・パリ間無着陸飛行を最初に成し遂げたチャールズ・リンドバーグは、成功の要因のひとつとして、予算が少なかったことを挙げていたようです。リンドバーグは他の挑戦者に比べ半分から数分の1の予算しか確保できず、このため単発(エンジンがひとつ)の飛行機で我慢せざるをえませんでした。しかしながら当時の技術では、エンジンが複数ある飛行機でも、大西洋上で1基が止まれば墜落は避けられなかったので、たとえばエンジンが止まる、止まらないという確率を単純に1:1とすると、単発機の場合、墜落の可能性は2分の1、双発機で2基のエンジンのうち、少なくともどちらかが止まる確率は4分の3ということになりますので、単発にすることによってリスクを下げることができたのです。ワシントンのスミソニアン博物館でご覧になった方は多いと思いますが、そのほかにも、前方の窓がないというような、常識にとらわれない工夫が施されていました。予算は少ないほうがいいのだ、と言いたいわけではありませんが、さまざまな制約を乗り越える努力こそ、イノベーションを成功させるカギなのではないかと思います。

「経営者よ 正しく強かれ」

 長期にわたる不況の中で、多くの経営者の意識・行動が委縮してしまったことは、否定できないし、やむを得ないことだったと思います。最近でも、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻は、企業経営を消極的なものとするのに十分な要因です。しかしながら、どんな惨事があろうとも、企業はDX、CN、そして新冷戦に間違いなく対応しなければなりません。
 前述の『イノベーションと企業家精神』では、「企業家は変化を当然かつ健全なものとする。彼ら自身は、それらの変化を引き起こさないかもしれない。しかし、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。これが企業家および企業家精神の定義である」としています。旧日経連のスローガン、「経営者よ 正しく強かれ」の実践が望まれるところです。

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