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「ジョブ型人事」にどう対処するか(2)

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1690(2023年9月25日)掲載
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 2023年5月、政府の「新しい資本主義実現会議」がとりまとめた「三位一体の労働市場改革の指針」に基づいて「職務給(ジョブ型人事)」を導入するとすれば、前号で整理したとおり、
①企業内のそれぞれの職務について、職務内容と必要なスキルなどを明示した職務記述書(ジョブディスクリプション)を作成する。
②個々の企業の実態に応じて、賃金が職務に紐づく職務給を導入する。
③職務記述書に基づいて、職務と、それに必要なスキルを持つ人材とのマッチングを図り、人材を最適配置する。ポスティング制度も活用する。
④社員は、自分の希望する職務への異動やキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、上司と相談しつつ、自分の意思でリ・スキリングに励む。
⑤社外からの経験者採用にも門戸を開く。転職により賃金が増加する者の割合が、減少する者の割合を上回るようにする。
⑥国内外のグループ企業で共通の制度とする。
ということになると思います。
 こうした賃金制度、人事制度は、一見、ロジカルで、大変美しいもののように思われます。しかしながら、多くの従業員に適用することが果たして現実的なのかどうか、慎重に考察していく必要があると思います。

職務記述書と職務給について

 まず第一に、職務ごとに職務内容と必要なスキルを明らかにする職務記述書(ジョブディスクリプション)、および賃金を職務に紐づける職務給に関して検討してみましょう。ちなみに、職務記述書は、「職務ごと」に作成されるものであって、「従業員ごと」にその担当している職務内容を記載したものではない、ということに留意が必要です。
 賃金を職務に紐づける職務給制度の下では、当然、職務記述書の作成が必須となるわけですが、職務給でなければ、職務記述書を作れない、というわけではありません。職能給制度の場合でも、スキルと職務を結び付けるために職務記述書が必要であれば、作ればよいだけです。
 ただし、ある職務において遂行することが求められる職務内容や、職務内容の遂行に必要なスキルはつねに変化しています。新しい技術が導入されれば、当然、職務内容やスキルの変化は避けられません。
 それだけでなく、「乗組員」型人材活用スタイル(前号参照)の場合や、「モジュール」型(同)でもチームで仕事を行っている場合には、たとえ同一の職務であったとしても、人によって分担する職務内容が異なっている、ということがあると思います。個人ごとに能力に違いがありますから、それぞれが相対的に得意とする職務内容や作業を受け持つことによって、チーム全体の成果を高める必要があるからです。
 また、チームで仕事を行っている場合、チームのメンバーがそれぞれ分担する職務内容は流動的です。メンバーが変われば受け持つ職務内容も変わらざるを得ません。メンバーが変わらなくとも、若手メンバーに徐々に高度な職務内容を担当させていくということがあれば、そのたびにメンバー全員の職務内容が変化する可能性があるわけです。職務内容が変化すれば、職務記述書を書き換え、賃金も変更しなくてはなりません。先輩の賃金を引き下げる必要が出てくるかもしれません。
 本来、同一の職務の従業員であれば、職務内容は同一でなければならず、職務内容が異なるのであれば、もはや同一の職務とは言えないはずです。職務給制度を厳密に運用しようとすると、結局、「職務ごと」の職務記述書や賃金ではなく、「個人ごと」になってしまうという矛盾が生じることになります。職務ごとに職務記述書を作成し、賃金を職務に紐づけることが本当に現実的なのかどうか、意味のあることなのかどうか、疑問と言わざるを得ません。
 結局、遂行すべき職務内容と必要なスキルを職務記述書によって規定し、賃金を職務に紐づけることが現実的に可能なのは、
*「駒」型人材活用スタイル(同)の仕事において、複数の従業員がまったく同じ職務内容を遂行している場合。
*「モジュール」型人材活用スタイルの下で、一匹狼的な仕事を行っている場合。
に限られるのだろうと思います。
 米国では1990年前後から、
*詳細に定義された職務のあり方が、一方では従業員の柔軟な働き方や能力開発を制約し、他方では環境変化に対する組織の適応力を制約している。
*環境変化が激しく新しい業務が絶えず発生する状況下では、常に新たな職務の設計や既存の職務記述書の見直しを行わなければならない。このことは、環境変化の程度に比例して職務を改廃するコストが高まることを意味している。
との認識が広まって、
*既存の職務と等級を大括り化し、従来よりも幅広い働き方を促したり、職務価値よりも従業員の能力的側面に注目した処遇を行う「ブロードバンディング」
*高い業績の者の思考特性や行動特性を人材育成上の指標として評価や処遇に活用する「コンピテンシー」
という仕組みが広がりました。職務が大括り化されれば、職務記述書も当然、包括的なものとなります。
 職務と職務等級が大括り化され、同一職務等級における賃金の幅が拡大し、その中で、成績とコンピテンシーによって賃金決定がなされること、そして、「コンピテンシー」という概念が、「基礎的な職務遂行能力」(前号参照)とかなり似通っているように見受けられることからすれば、もはや賃金が職務に紐づいている、とは言いがたく、職能給そのものと言ってもよいのではないでしょうか。
 米国では「脱職務主義」「職能給化」が進んでいますが、日本における「職務給(ジョブ型人事)」導入の動きは、これと逆行するものであり、「百年に一度」と言われるような大変革を勝ち抜いていくためには不適当と言わざるを得ません。
 なお、職務給は職能給に比べて、賃金水準の世間相場を形成しやすい、ということは言えると思います。米国では、「脱職務主義」「職能給化」が進む中で、賃金水準の世間相場とどのように両立させていくか、が模索されているようです。賃金は個社の支払い能力に応じて決めるもの、という意識の強いわが国とは対照的です。
 昇進に関して、米国では、上位等級の職務に空席が生じた場合に、空席補充のための昇進が行われるだけ、という説明がよくされますが、職務内容や働きぶり、スキルが高度化した場合には、本人の職務自体は変わらないまま、相応しい職務等級に引き上げるということも行われているとのことです。

キャリアプランの実現について

 従業員が、
*自分の希望する職務への異動やキャリアプランの実現をめざし、
*自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、
*上司と相談しつつ、自分の意思でリ・スキリングに励む、
というのは、職業人としての人間形成と自己実現のために、大変すばらしい、理想的なプロセスのように見えます。しかしながら問題は、
*従業員のうち、どれだけの人々が適切に自らのキャリアプランを描くことができるのか。
*どれだけの人々が、自ら計画した能力開発を貫徹し、キャリアプランを実現することができるのか。
*相談される上司は、部下のキャリアプランや能力開発に責任が持てるのか。
ということだと思います。
 「指針」では、個人に対し、「将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択肢を把握しながら、生涯を通じて自らの生き方・働き方を選択」するよう求めていますが、少なくとも、個人で「将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択肢を把握」することなど不可能です。現状では、デフレを容認しない金融政策が行われているので、人手不足の状況となっていますが、金融政策次第では、たとえ超少子高齢社会であっても、過剰雇用の状態に戻ってしまう可能性もあります。
 いまはDXを開発する人材だけでなく、DXを使いこなす人材が求められていますが、ICT(情報通信技術)の使い勝手がよくなれば、DXを使いこなすという発想すらなくなってしまいます。古い例ですが、かつて、自動車を運転するためには、クラッチの操作によるギアチェンジという技術が必要でした。AT限定免許の登場によってその必要がなくなり、そしてこんどは運転技術そのものが不要になろうとしています。ICT分野も同様です。
結局、DX開発人材などを含め、高度専門人材については、「自分の描くキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、自分の意思で能力開発を行っていくこと」が可能であり、不可欠でもありますが、高度専門人材ではない普通の従業員にとっては、こうしたプロセスは絵空事と言わざるを得ません。
 また、残念なことではありますが、多くの場合、人間の意思(意志)はそれほど強いものではありません。自主的な能力開発で初志貫徹できる人は、あまり多くありません。多くの人々については、仕事上の必要に迫られて取り組む能力開発が最も合理的で効率的だと思います。「指針」の背景には、意思(意志)の弱い人間は、ついてこれなくてもしょうがないという考え方があるのかもしれませんが、筆者は普通の人、多くの人が活躍するためにはどうすべきなのかを考えるべきだと思います。
 キャリアプランや能力開発に関して相談を受ける上司にしても、将来どころか、次の人事にさえ責任が持てないのですから、結局、過去の経験や事例、活用できる社内制度を紹介することぐらいしかできないと思います。特定の従業員に対し、会社に明確な育成方針がある場合には、上司から強い働きかけがあると思いますが、そうした場合は、逆に「自らの生き方・働き方を選択」することになりません。
 また、仮に強い意思(意志)を持った従業員が、自分の思い描くキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、自分の意思で能力開発を行っていったとしても、自分の描いたとおりのキャリアプランが実現することは、むしろ例外です。挫折した従業員にどう活躍を促すかが、人材マネジメントの最重要課題とならざるをえません。

スキルと職務とのマッチングの問題

 「指針」では、職務給によって賃金の客観性、透明性、わかりやすさを確保することを主張しています。しかしながら、前号でも触れたように、そもそも職務への任用、すなわちスキルと職務のマッチングにおいて、客観性、透明性、わかりやすさが確保されなければ、賃金の客観性、透明性、わかりやすさも確保できないということになります。
 たとえば大学入試であれば、点数順に合格通知を出せば、客観性が確保されます。法学部と経済学部のどちらも合格した受験生が、どちらに入学するかは、受験生本人が決めればよいことで、大学側には関係ありません。
しかしながら、職務への任用の場合はそうはいきません。仮に、ある職務に必要なスキルがひとつだけだったとしても、そのスキルの最もすぐれた人をその職務に任用すればよい、というわけではありません。職務に必要なスキル、個人の保有するスキル、個人の性格などをすべてデジタル化し、任用の成功事例、失敗事例、その時々の事業環境といった情報をすべてインプットすれば、誰を任用すべきか、AIが判断してくれるかもしれません。しかしながら、たとえば「あなたはスキルは十分だが、あなたと衝突しやすい性格の人と同じ課に所属することになるので、その職務に任用できません」という説明があっても、すんなりとは納得できないのではないでしょうか。
 また、ある従業員を育成するために、多少スキルが不足していても、ある職務に任用するということは当然あると思います。この場合、ほかの希望者や、スキルの条件を満たす者を納得させるためには、そうした育成方針を公表する必要がありますが、公表が可能な場合だけではないと思います。公表をしたらしたで、こんどはそうした育成方針が納得を得られないということも考えられます。
 なお、「職務給(ジョブ型人事)」の一部として、ポスティング制度が挙げられていますが、ポスティング制度は職能給の下でも実施可能であり、職務給を導入すべき根拠とはなりません。実際、すでに導入済みの企業も少なくありません。また、米国においても、内部公募が優先であることに留意する必要があります。

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