(浅井茂利著作集)「食料自給力」の議論
株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1589(2015年4月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利
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2015年3月、農林水産省は5年ぶりの新しい「食料・農業・農村基本計画」原案を発表しました。本誌が発行される頃には、すでに閣議決定されているものと思われます。
従来より金属労協では、わが国の農業や農政について語る際に、圧倒的な影響力を持っている「カロリーベースの食料自給率」に関して、疑問を呈してきました。
今回の「基本計画」原案でも、2025年度のカロリーベースの食料自給率の目標として、従来の50%から引き下げた45%が盛り込まれていますが、一方で、われわれの指摘に真正面から答えた「食料自給力」の概念も、新たに打ち出されています。
新しい「基本計画」をきっかけとして、今後、日本の農業力の強化に向け、本質的な議論が展開されていくことが期待されるところです。
食料自給率に関するわれわれの指摘
2011年10月に発行した金属労協政策レポート第37号「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に早期参加表明を」において、日本の食料自給率に関し、われわれは次のような指摘を行いました。
*カロリーベースの食料自給率はわが国独自のもので、外国に関するデータも日本の農水省で算出していることは比較的知られている。しかし、分母が1人1日あたり2,458kcal、分子が946kcalであることは、案外知られていない。(2010年度の数値)
*まず分母の2,458kcalだが、これは「供給熱量」であり、摂取されずに廃棄される食料品も含んでいる。食料安全保障で自給率を論じるのなら、供給熱量ではなく、「必要熱量」を分母にすべきである。厚労省のデータから必要熱量を算出すると、ラフな計算で2,100kcal程度となり、これを分母にすると、自給率は約45%となる。
*また約2,100kcalというのは、通常の生活で体型を維持するために必要な熱量なので、非常時だから少し痩せても構わないと考えれば、必要熱量はさらに少なくて済む。1,900kcalで我慢すれば自給率はほぼ50%になる。
*次に、分子である国産食料品の熱供給量946kcalであるが、農水省の資料によれば、水田のうち湿田以外の2分の1に、「いも類」を作付けし、残りの全水田でコメを作付けすれば、国内で2,135kcalの供給が可能とのことである。非常時の際は、そうした対応により、カロリーベースの食料自給率は、ほぼ100%になる。
*作付けから収穫までのタイムラグがあるし、季節的な問題もあるが、少なくともこうした客観的な事実を認識した上で、冷静な判断をしていく必要がある。
*また、この例のように、カロリーベースの食料自給率を引き上げるには、いも類の作付けを奨励すればよいが、特段にそうした政策が実施されているわけではない。
*葉物野菜、花卉といった、カロリーの低い、あるいはカロリーのない農産物を作っている農家が増えれば自給率は低下してしまうが、それを批判する者は誰もいないし、むしろ自立した強い農業、儲かる農業としては必要なことである。
「食料自給力」の概念を打ち出した農水省
金属労協政策レポート第37号は、2010年策定の「食料・農業・農村基本計画」を踏まえて作成したもので、直接的に農水省に提出していませんが、民主党のすべてと自民党・公明党・社民党の一部の国会議員に配布していますし、農水省の記者会にも持ち込みをしていますので、農水省内でも見ていただいているのではないかと思います。
2015年3月の新しい「食料・農業・農村基本計画」(原案)では、従来のカロリーベースの食料自給率に加え、カロリーの必要量を分母、潜在生産能力を分子とする、「食料自給力」の指標が提示されました。
食料を国内で自給できるかどうかが重要になってくるのは、基本的には非常時です(この問題については後述)。仮に非常事態が発生する確率がゼロならば、比較優位の原則からすれば、国内では、農産物の中でも付加価値の低いものについては、海外に委ねたほうがよい、ということになります。
ですから、自給の議論は、非常時を前提とすべきです。非常時であれば食物を無駄にすることも、食べ過ぎるということもなくなるでしょうし、時間は必要ですが、とりあえず人間が生存するために必要な農産物に転作したり、休耕田を耕すということにもなるでしょう。従来の「食料自給率」は、非常時におけるこうした変化の可能性をいっさい無視し、分母は供給されているカロリー、分子はそのうちの国産のカロリーとした数値ですから、非常時の備えとしての自給の議論の材料としてはそぐわない、と言わざるを得ません。食料自給率の低さが強調されることにより、過度に危機意識が醸成されてきたということも否定できないでしょう。
「食料自給力」の状況
新しい「基本計画」原案で打ち出された「食料自給力」の指標では、まず分母を、1人1日あたりで必要なカロリーとし、具体的には、2013年度の試算値で2,147kcalとしています。従来の自給率の分母(供給カロリー)は2,424kcalなので、分母が約11%縮小しています。(余計なことですが、分母が縮小すると、率は高くなります)
次に分子ですが、これは4つのパターンについて、算出しています。
第1のパターンは、栄養バランスを一定程度考慮しつつ、コメ、小麦、大豆を中心にカロリーの最大化を図るケースです。この場合、国内で供給可能なカロリー」は1,495kcalとなるので、必要カロリーに対する比率(食料自給力)は70%となります。
第2のパターンは、栄養バランスは考慮せず、コメ、小麦、大豆でカロリーを最大化する場合で、国内供給が可能なカロリーは1,855kcalになるので、自給力は86%となります。
第3のパターンは、栄養バランスを一定程度考慮しつつ、いも類を中心にカロリーを最大化する場合(コメがなくなるわけではない)で、供給可能なカロリーは2,462kcal、自給力は115%に上昇します。
第4のパターンは、栄養バランスは考慮せず、いも類を中心にカロリーを最大化する場合で、供給可能なカロリーは2,754kcal、自給力は128%と最大になります。
「食料自給力」は悲観的な水準ではない
第1のパターンで100%になっていれば、とりあえず安心できると思いますし、新聞紙上でも、第1のパターンの試算から、「3割不足」といった報道がされています。しかしながら非常時ということを考えれば、第1のパターンと第3のパターンの中間的な食生活(第2のパターンではない)で100%が維持されれば、そんなに悲観する必要はないのではないでしょうか。
ちなみに、第3のパターンの食事メニュー例は、
朝食:8枚切り食パン1枚、サラダ1皿、焼きいも2本、リンゴ5分の1
昼食:焼きいも2本、野菜炒め1皿、粉吹きいも1皿、煮豆1鉢
夕食:白米1杯、浅漬け1皿、粉吹きいも1皿、焼き魚1切れ
となっています。さつまいもとじゃがいもが1日2食か、とは思いますが、第3のパターンでは100%までは少し余裕があるので、多少の工夫ができるのではないかと思います。
食料安全保障の問題
繰り返しになりますが、食料の自給が問題となってくるのは、非常時に食料が賄えるかという、食料安全保障の観点です。ただし、ひとくちに非常時といっても、色々な状況が考えられますから、どういう非常時に対してどういう備え、ということを具体的に検討し、バランスのとれた対策を講じていかないと、ある備えが、かえって食料安全保障を損なうということになるかもしれません。
非常時として考えられるケースは、まず大きく分けて4つ、すなわち、
①気候変動や火山の噴火などによる全世界的な不作。
②気候変動や天候不順による局地的な不作。
③周辺有事や海上封鎖で日本の港に貨物船が入ってこられなくなる。
④輸出国における有事や、輸出国との関係悪化による禁輸措置。
といったことが考えられます。
いずれにしても、このような事態の回避に最大限努力すること、日本の自給力を高めることが重要なのは当然ですが、たとえば③の場合、輸出国の農業生産者は日本に輸出できないと困るので、自国政府に対し、日本の周辺有事の抑止、解決促進を求める圧力をかけることになります。食料輸入が非常事態の抑止力になるわけです。
また②や④の場合には、普段からなるべく多くの国々と取引していることが、食料安全保障上、重要となります。主要農産物を特定の国に頼るのは危険ですし、また、困った時にだけ買いに来るお客さんよりも、日頃のお得意さんが大事にされるのは、貿易の場合も同じだからです。
カロリーの呪縛を逃れ、儲かる農業に
カロリーベースの「食料自給率」の向上が、わが国農政の最大目標である限り、農政としてやるべきことは、国内で供給されるカロリーの増加ということになりますが、そうした政策が現実的でないことは明白で、実際、そうした政策になっていません。
今回の「基本計画」原案で「食料自給力」が明らかにされたことにより、少なくともカロリー面での食料安全保障上の不安は、あまり大きくないことが立証されたと言えるでしょう。食料安全保障上で重要なのは、カロリーそのものではなく、
①非常時に必要な食料が供給できるよう、農地がきちんと耕作され、農業の担い手が持続的に存在する。
②多様な農業輸出国と信頼関係を構築している。
ということになります。補助金や輸入障壁によって、これらを実現することは不可能です。
今回の「基本計画」原案を見ると、2013年現在の農地面積は454万haですが、このうち作付けされているのは92%、417万haに止まっています。37万ha、奈良県全域に相当する面積が利用されていない状況にあります。
一方、農業の担い手に関しては、「農村では都市部に先駆けて高齢化や人口減少が進行し、農業就業者が高齢化、減少するとともに、集落を構成する人口も減少している」と指摘されています。農業就業者は60歳以上が約7割、50歳末満が約1割、40歳未満の新規就農者で定着するのは年に1万人程度の状況にあります(労働力調査によると、2014年の農業就業者は201万人)。
農地にしても、担い手にしても、これを持続的に維持・確保できるかどうかは、当然のことですが、農業を儲かる産業にできるかどうかにかかっています。そして儲かるかどうかは、結局、農業に従事する人自らの創意工夫に帰結します。そうした点からすれば、「基本計画」原案において、農産物ごとの「生産努力目標」が掲げられていること、しかもコメや麦などはもとより、そば、なたね、てん菜、きのこなどについても個別に生産量の目標が掲げられている点については、強い違和感を抱かざるを得ません。農協は改革の一歩を踏み出したところですが、農業の構造改革のためには、農政の構造改革も不可欠であろうと思われます。