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寂しいお別れの中に

12月となりました。今年の締めくくりを油断なくしっかりさせていただきましょう。

11月30日は年に一度の妙深寺京都組の御講を奉修させていただきました。古くから長松寺は所属の信徒をいただかないことになっています。とはいえお教化のご奉公は何より大切ですから、住職や淳慧師、博子姉のお教化や御縁が重なって「京都組」が生まれました。

今年の御講では参詣者全員から「今年のよかったこと」を話していただきました。本当に素晴らしい話ばかりで胸がいっぱいになりました。

今年、京都組では寂しいお別れもありました。92才でご帰寂になった千鶴子お母さん。16年前にお教化させていただいた方のお母さま。ゼロからのご信心、いろいろなことがありました。思い出たくさん。

最後の最後、台湾展の準備の合間、今達さんに病院まで送っていただいて、今生最後のご挨拶ができました。

たくさんの出会いと、たくさんのお別れ。

何もかもがあり得ないほどの奇跡で、最後の最後まで感動、感激でした。介護も、看病も、看取りも、お見送りも、すべて手抜きなし、ご信心の教えのとおりに大切なことを大切になさって、全ての場面であり得ないような現証をいただかれた。すごかったです。

さみしいけれど、その寂しさの中にきっと有難さがあります。もしかしたら、寂しさがなければ有難さもないのかな。心から、学ばせていただきました。全員の現証の御利益、本当にありがとうございました。

12月、今日は20時近くまで教務会でした。ありがたいご信心だけれど、新鮮で純粋に保つことは難しいものです。末法の世界では本当に難しい。みんなが自己主張し、本当は利己主張なのだけど、結果として自ら孤立や孤独の道を選んでゆく。賢い選択だと思って寂しい生き方を選んでしまう。取り返しのつかない間違いを人は喜々としてしてしまうものですね。

とにかく、感謝と感動を忘れて仏道修行はありません。感謝と感動、歓喜、感激を失ったなら、佛立仏教徒ですらなくなります。だから、難しい、だから、修行です。

ここで出逢えたみんなと共に、喜びを噛みしめたいものです。今生人界、生きている間だけ、功徳を積むことが出来ます。無常だからこそ際立って有難いです。

南無妙法蓮華経
ありがとうございます。

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