「厳しい時代を生き抜くために」 妙深寺報 令和4年5月号 巻頭言
「厳しい時代を生き抜くために」 住職 清潤
『妙深寺報』令和4年5月号 巻頭言
時代は変わりました。この節目、この混乱の世界で生きる運命です。覚悟して臨みましょう。
コロナ禍に続いて、ウクライナ・ロシア戦争、その戦火は世界中へ燃え広がろうとしています。経済危機、気候危機。今やSDGsが空々しく聞こえるほど事態は悪化しています。
シベリアでは史上最大級の山林火災が発生し、その黒雲は北極海にまで到達しています。消火にあたるべき兵員はウクライナに派遣されており、史上最悪だった昨年の二倍まで延焼しているとのこと。あまりにも愚かなことです。
京都のガソリンスタンドの看板に驚きました。もはや1リットル200円の日も近いです。税金を投入しても追いつきません。
さらに防衛費も増額が必要とはもはや狂気の沙汰です。それしか答えはないのでしょうか?それが正しい選択なのでしょうか。
因果の道理に照らせば、人間の選択は間違いだらけです。選択を間違えば必ずしっぺ返しが来ます。この政治を選んでいるのも私たち、恩恵に預かってきたのも私たち。人のせいにはできません。
誤った認識、都合のいい歴史観、偏った考え方が蔓延して、世界を後戻りできないほど壊しています。壊されているのはウクライナの街だけではありません。ずっと以前から多くの人の心が壊れ、狂っていたのでしょう。世界中で矛盾が溢れ、増幅していました。
謗法とは人間が因果の道理から逸脱し、自ら不幸を招く状況の中にいることです。謗法の中にいるならばその人に迷いはありません。間違っているとは露ほども思わず、罪の意識もなく、むしろ間違ったことを堂々と、誇らしげに自信を持って語るものです。
そして、謗法は広がっていく。慢心と偏心と迷信が広がっていく。
仏教とは自己との対決であり、自分を知り、自己を磨く行いです。
仏陀の時代から仏教は世の中の矛盾を鋭く突いて、迷信のような固定概念、時の世を支配している考え方、常識にすら異を唱えて、それらに流されて生きる虚しさや哀れさを説きました。
政治家は「風」を大事にしますが仏教者は風に揺らぐことのない真理を尊びます。普遍的な価値観、因果の道理、何ものにも囚われず、その中に生きることが真の自由であり、それ以外の生き方は自由なようで自由ではない、様々なものに縛られて、たった一度の人生を台無しにしていると教えています。
末の世で、世の風潮に流されず、三毒強盛の凡夫でありながら自己を失わず、自己を発見し、自己を維持し、自己を磨いて生きる。
これこそが真実の仏教であり、南無妙法蓮華経のご信心、その道、その果報です。
残念ながら人間が作った宗教は、人間の可能性を限定します。ただ救世主を待望し、鬼や悪魔を設定して他を害することを肯定します。そのような論理、価値観、思想、信仰、宗教が実際多くあるのです。
いま、戦争を推し進める人たちの話を聞いていると、呪術や妖術を信奉し、生贄に子どもや幼女を捧げていた頃の人間と進化がないように感じます。プロパカンダを盲信する人びとを誰も笑うことはできません。西側諸国でも多くの人びとが様々な手法によって思考を左右されています。
真実の仏教は、神も仏も、鬼や悪魔も自分の中にいると説きます。
全宇宙の真理も、人間界の矛盾も、すべて自分の中にあります。調和を取り戻すため、調和を維持するために、上行所伝の御題目があり、御題目口唱という修行があります。このような教えに出会えたことは奇跡の中の奇跡、人生で何よりも尊いことなのです。自己に向かい、自己を磨く。御本尊に向かうのも、御題目をお唱えするのも、すべてこのことです。
私には不思議に思えてならないことがあります。それはこれほど健康意識が高まり、食材でも産地を気にしたり、農薬の有無やその種類、オーガニック、有機栽培、無農薬栽培、調味料から甘味料、油から添加物にまで関心を持ち、そこにこだわっている人も増えている世の中です。
そこまでストイックでなくても、ビールはこのメーカー、ガソリンスタンドはここ、コーヒーはこれ、などと色々なこだわりがあります。
そうであるにも関わらず、精神的なことについては一切おかまいなし、どうでもいいという態度でいるのは奇妙であり、不思議です。タバコはもちろん、口にも身体にも悪いものは入れないという態度の人が、心には産地偽装や添加物だらけのものを入れても平然としているのが不思議でたまりません。レストランにこだわる人が自分の家の宗派を知らないとか、シェフを選ぶような人でも自分のお葬式の導師は誰がしても構わないなど、本当に極めておかしなことです。
実際、書店にも動画サイトにも首を傾げたくなるような人たちの本や動画、話が溢れ返っています。どこで修行したの?論拠はどこにあるの?経典にあるの?思いつきなの?私たちが見るとほとんどが産地も分からない、危険な添加物や甘味料、有害な防腐剤を多用し、エビデンスのないものばかりです。心にも頭にも、偽造や偽装されたものを入れてはいけません。
日蓮聖人の御妙判。
「仏の曰く悪象等に於ては畏るゝ心なかれ、悪知識に於ては畏るゝ心をなせ。何を以ての故に、悪象は但身をやぶり意をやぶらず、悪知識は二共にやぶる故に。此悪象等は但一身をやぶる。悪知識は無量の身、無量の意をやぶる。悪象等は但不浄の臭き身をやぶる。悪知識は浄身及び浄心をやぶる。悪象は但肉身をやぶる。悪知識は法身をやぶる。悪象の為にころされては三悪に至らず。悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る。此悪象は但身の為のあだ也。悪知識は善法の為にあだ也と」
インドで最も恐れられた動物はライオンや虎より怒れる象でした。その悪象を恐れるよりも悪い知識、間違った考え方、論理、価値観、思想、信仰、宗教を恐れなければならないと説かれているのです。
私たちは「道理証、文証、現証」という三つの証がなければ信じるに値しないと教えられています。
いい加減な話、思いつきや思い込みで作られた話、信仰や宗教もマーケティングのみで偽造や偽装されたものが溢れています。
だから末法なのです。覚悟して、人に流されず、人のせいにせず、真実の仏教を真実に、強く、明るく、正しく、生き抜きましょう。
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