「ジャニーズの音楽」について茂木健一郎氏の発言になぜ人々は憤るか
自己紹介
こんにちは!
関東を中心にプロドラマーとして活動しております、金本聖潤と申します🥁
日頃は X (旧Twitter)にて、自身のライブ情報や世の中の事象について私見を発信していますが、noteに投稿をするのは今回がはじめて!
高校生の時以来、ろくにレポートなどを書いてこなかったし、ブログなども書いてこなかった身としては、僕ごときの駄作文が全世界に放たれることに恐怖以外の何物も覚えないのですが、、、笑
昨今、自身の文章力では140文字では表現しきれないなあと思う出来事が増えてきたこともあり、遂にとうとうデビューしてしまいました。
関東の音楽業界の片隅で生きている世間知らずな僕ですが、時間を見つけては思いの丈を綴って参りたいと思います。
noteを投稿するにいたった経緯
さて、記念すべきnote第一段を投稿しようと思ったのは、脳科学者:茂木健一郎氏が「ジャニーズの音楽性」について述べられたこちらのポストがきっかけでした。
要約すると「ジャニーズの音楽は偽物だ」という意味であると解釈して差し支えないと思います。
私は音楽業界に身を置いていますから、ジャニーズの現場に携わっている(こられた)恩師・知人も何人かおられまして、当然その方々はみなさま音楽家としての矜持を持ってジャニーズの現場に立たれていることを知っているわけです。
なので、(芸能界の方とはいえ)音楽業界外の方からそのようなことを言われることについては、正直「何様なの?」と思ってしまうわけです。
また、ジャニーズ事務所が今抱えてる問題とその音楽性とはそもそも別の話だと考えているので、論点をずらされていること対しても苛立ちを覚えました。
そんな金本(以下、筆者)はつい感情的になってしまい、以下のような異見を示す引用をしました。
うん、怒っておる。我ながら怒ってますねえ、、、
なるべく感情に任せて発言をしないように気をつけている身としては、
その夜くらいに「やってしまった…orz」と反省タイムが始まるわけです。
というのも、茂木健一郎氏ともあろうお方。
ある程度の炎上効果を期待してこのような過激とも言える発言を投下していることは、冷静な脳みそで考えれば明らか。僕よりちょっと僕の2億倍くらい頭が切れるお方なわけですからね。。。
「まんまと乗っかってしまった…」というやるせなさと、「でも看過できんしな…」という怒り、2つの感情が頭の中で渦巻きました。
そして、9月13日14時現在、14,000件を超える怒りの引用ポストやリプライの一部や、茂木氏のその後の発言を拝見したうえで、
「人々は茂木氏の発言に対して何故こんなに憤っているのか」についてしっかり向き合ってみようと思ったわけです。
【茂木氏の主張】
茂木氏は一連のポストをまとめたものをご自身のブログに掲載されています。
以下、氏の言葉を当該記事より引用・掲載します。
”ジャニーズにだまされないでほしい。人生がもったいないし、人生の時間が無駄になるから。ジャニーズはほんものじゃない”
”ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない。ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく。”
”「世界に一つだけの花」だって、SMAPの楽曲じゃなくて、槇原敬之さんの楽曲だ。槇原敬之さんの生き方、人間性があってこそあの歌の詞、メロディが生きてくるわけで、SMAPが歌っても、それは偽物でしかない。”
[前提として]
これめちゃめちゃ大事なんですが、
茂木氏のような発想、考え方はあって然るべきであり、また、認められるべきものであると考えています。
言論の自由・思想の自由・表現の自由は絶対的に保証されるべきものであり、筆者もまたそこに則って氏の発言に対して、X上でイーブンな立場として引用という形で批判をしているわけです。
茂木氏ご自身もこのように言及されていますね。
大賛成ですし、声を大にしてこのような発信をされることには敬意すら抱きます。
実際お会いしてお話したらきっと素敵な方なんだろうな、とかまで思います。
マジで。
個人的にはSNS上でも歯に衣着せぬ物言いをされる方に対して好感を持つ方なので、発言の内容については批判的なスタンスでかなり厳しい内容もポストしましたが、ご本人に対しての嫌悪感は(今は)全くと言っていいほどありません。
発言はその人の一側面でしかないですからね。
Xのポストから伺い知れる人柄なんて氷山の一角の1/10000ぐらい。
ビッグハートでラブアンドピースでバッチグーよ。
というわけでこのnoteは茂木氏の発言に対する批判ではなく
「というか、わしらなんでこんなムカついたんかな???」
という、筆者含めた炎上させてる側の心理分析的なお話をしていく流れとなります。
[音楽家としての視点]
まず筆者自身が音楽家として茂木氏の発言に反駁するとすれば、概ね以下のような内容になります
・そもそもジャニーズの楽曲の商業音楽としてのクオリティは超一流であり「ほんもの」であるといえる
・一般論として「いい音楽」「よくない音楽」という価値観は確かに存在する。しかしそれは個々の好みの範疇の部分とも言える
・「ほんもの」のアーティストは存在する。が、何を以て「ほんもの」とするかもまたあくまでそれぞれの感性に委ねられるべきである。
・自身の価値観を第三者に押し付けて「教養がない」とマウントを取るような発言は、特に芸術という分野においてはナンセンス。
茂木氏のツイートに対して筆者は上記のような形で引用ポストにて異見を述べました。
またフォローしているミュージシャンのツイートからは以下のような声が上がっていました。(言葉のニュアンスを少し変えて記載しますね。)
・音楽家は教養を得るため、だれかに教養を与えるために音楽に向き合って演奏しているのではない
・自身が誰かの楽曲をカバーした時、それが「偽物だ」と言われるとしたらそれは悲しいことだ。
・ジャニーズのアーティストは作詞作曲もする人もいるし、ジャンルを以てして「ほんもの」か否かを決めるのは偏見である
・本物か偽物かを決める概念はそれぞれだが、提供先がアイドルだとしても我々職業作家は偽物の音楽を作っていない。
筆者も自身のツイートで述べたように、茂木氏の発言をアーティストに対して「冒涜的であり、偏見である」という想いが含まれてことを伺い知ることができます。
もちろん、ここに全ての意見を書き切ることはできませんが、上述の音楽家たちの意見はミュージシャン同士であれば概ね本能的な部分で共感できるものではないかと想像しています。
とはいえ、世間一般の業界外の方はここまで音楽的な内容について触れられたことについて、我々職業音楽家のようにはお怒りになるとは思えません。
では何に対して怒りを覚えているか?
筆者の考えとしては、
茂木氏の発言によって大切な思い出やそれぞれの人間性を踏みにじられたように感じた方が多くいたことにより、氏のツイートがここまで大きく炎上したのではないかと考えます。
以下、個人的な考えを音楽以外の例え話を交えながら述べさせていただきたいと思います。
【音楽以外のケースで考える】
・サイゼリヤ問題から見る今回の炎上
”〇〇は本物で、△△は偽物。△△はセンスない。”
「この論理の構造、他に何処かで見たことあるな…」
と思い、たどり着いたのが「サイゼリヤ問題」でした。
”サイゼリヤはたしかに安いが『うまい』と思う感性は理解できない。サイゼリヤで満足してる人は感覚が『貧しい』”
という趣旨(細かい内容は確かではないですが、概要として)の一般ユーザーの方のツイートが2022年6月あたりに炎上したのは記憶に新しく、この際も当時のTwitterでは様々な意見が飛び交っていました。
その中で料理研究家でありYouTuberのリュウジ氏が以下のようなツイートをしたことが多くのユーザーからの反響を呼びました。
筆者はこのリュウジ氏の主張に「3億回くらい『いいね!』したい!」と、感銘を受けたことを覚えています。
閑話休題。。。
この当時問題となった一般ユーザーのサイゼリヤに対してのネガティブな主張と今回の茂木氏の主張はどこか重なるところがありように思いませんか?
構造としては、
ジャニーズ(アイドル)
= 大勢に向けて量産されている無個性な存在(偽物) = サイゼリヤ
モーツァルト(アーティスト)
=独自性があり洗練された主張を持つものを求める人こそ辿り着く芸術的な存在(本物)= 高級料理店
といった形になると思います。
筆者をはじめ、リュウジ氏のツイートに賛同した価値観の持ち主が、今回の茂木氏の投稿に対して強い反発心を抱いているのではないかと推測しています。
突き詰めれば「好み」である部分に対して、マウント気味の主張をされたことが強い不快感をもたらしたのではないかと想像しています。
あとは例えば
親「ジャンクフードばっかり食べてないで、良い物を食べなさい!」
っていうのが茂木氏の言い分だとしたら、
子「うるせえ余計なお世話じゃ!ほっとけ!」
って言いたくなったり、そういうことってありますよね。
きっとそういう感じなんだと思います。
※筆者は「ジャンクフード」や「サイゼリヤ」がジャニーズの音楽に対して決して適切な比喩表現にあたるとは考えていません。我々の身近に存在する分かり易い例として取り上げているだけである、ということをご理解くださいませ。
ちなみにアタクシ、カップ麺もサイゼリヤ大好きです。
あゝ、サイゼのマグナム白ワインとペヤング飲みたい。
・料理と音楽が持つ共通点
さて、前項では「サイゼリヤ問題」と今回の騒動の共通点について述べましたが、料理と音楽は更に本質的な部分で共通していると思います。
それはズバリ
【聴覚・味覚以外の情報が結びついて記憶に残っていること】
です。
次項では、茂木氏の発言に憤った一人として一体何が強い拒絶の感情をもたらしたのか、筆者なりにたどり着いた結論を述べてみたいと思います。
めちゃめちゃ長くてごっめ〜ん、まことにすいまめ〜ん。
【茂木氏が(図らずも)否定してしまったもの】
・五感に付随した記憶
みなさんは音楽を聴いていると、かつて見た光景を思い出したりすることはありませんか?
例えば筆者は槇原敬之さんの曲を聞くと、幼少期に父親が運転する車に乗っていたときの光景を思い出します。ウルフルズの「笑えれば」を聴くと高校生の時に付き合ってた彼女に振られた日のことを思い出したりします。
SMAPの「らいおんはーと」を聴くと小学1年生のとき過ごした街の商店街や、幼稚園のときに好きだった女の子のことを思い出します。(ませてやがる)
味覚で言えば、ビッグマックを食べると、休日マクドナルドに家族のお昼を姉と買い出しに行った記憶とかを思い出しますし、サイゼリヤに行くと高校の男友達とつるんでずっとドリンクバーで繋いで馬鹿話をしたこととか…
C.C Lemonを飲むと祖母宅の居間での団欒をふと思い出したりします。
それが、匂いなのか景色なのかはそれぞれだと思いますが、
そんな五感に付随する記憶の情報ってきっと皆さんお持ちだと思うんです。
そしてその記憶たちはきっとそれぞれの人にとって、とっても繊細で大切な宝物なんですよね。
筆者の場合、自分の深層心理と向き合う中で茂木氏の発言により傷ついたのは、音楽家としての自分のアイデンティティではなく、もっと本質的な一人の人間としての自分の過去の記憶であるという結論に一旦たどり着きました。僕の場合は、幼少期にSMAPの大ファンだったことも手伝ったかもしれません。
茂木氏の発言とは別に、昨今のジャニーズ事務所性加害問題で心を痛めていらっしゃるファンの皆様も、どこかでそのようなもやもやの部分をお持ちなのではないかと思うんです。
ジャニーズを否定することは、そこに付随する記憶であり人間性であり、自身のパーソナルな部分を否定することになってしまう。
サポーターとして熱心であればあるほど、その恐怖は計り知れないと思いますし、覚悟を決めるには時間が必要です。
そして、茂木氏は今回、世の中の多くの人々が無意識に自身の内側のデリケートな部分へとアクセスできる「音楽」という情報を、高い場所からいとも簡単に踏みにじるような発言をしてしまった。
実は筆者は茂木氏の仰っている内容について、共感こそできないものの、「確かにそういう考えもあるよね」となんとなく理解はできるんです。
茂木氏はこのようなポストに対し、好意的な引用もされていますね。
うん、一音楽産業に携わるものとしてわかる、わかります。
ただ、個人的には
公人とも言える存在である茂木さんにはその言葉の裏に本当に伝えたいことがあるのであれば、もう少し言葉と伝え方を吟味してほしかった。
そして、茂木氏の主張からは、ジャニーズだけでなくアイドルが歌う商業音
楽全般が「にせもの」であると受け取ることができます。
であれば、
現在窮地に立たされている「ジャニーズ」という固有名詞をあげてその音楽性のみを攻撃するのは卑怯ではないか?言うのであれば「アイドル産業は偽物」と主語を大きくして発言してほしかった。
と思ってしまうのが正直なところです。
このあたりは、今後茂木氏ご自身がどのような発信をされるかに注目したいなと思う部分でもあります。
おわりに
さて、自分で思ってたよりもえっらい長くなってしまいましたが、いろんな寄り道をしてここまでやってまいりました。(5時間位かかった)
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
お楽しみは、、、いただけなかったですよね。
つらつらと自分の気持ちを整理するために駄文を紡いでしまいました。
最後に、茂木氏のこのようなポストをご紹介したいと思います
こういうことを言える茂木氏は本当に芯の強い方ですね。
”意見の多様さを大切にしたい”というのは本当に共感できることですし
「賛同しない=敵である」
ということではないのです。
みんな飛び出てるところあれば凹んでいるところもある。
ぶつかりながら、うまいこと受容しながら前進するしかないのです。
[前提として]の項目で、筆者自身は”茂木氏に対しての嫌悪感がない”と明言したのはそういったことでもあります。
人間は不器用で愚かな生き物ですから。どこまでも進化途中なんです。
考えるキッカケを頂いたことに感謝したいなと思います。
そしてこの度のジャニーズ事務所の騒動で心を痛めておられる皆様で、もしこのnoteを最後まで読んでくださった方がいたら
みなさんが愛した(愛する)彼らは、決して偽物なんかではなく、彼らとともに生きているあなたの人生は紛れもないホンモノだし、とても素敵な人生であるとぜひ誇っていただきたいです。
好きなものを「好き」と胸を張って叫ぶことができる世界は、守り続けられるべきです。
社会が良い方向に進むことに貢献できるように、イチ音楽家として筆者なりに頑張りまーすという決意を示した上で、記念すべきnote 第1弾の幕を下ろさせていただきます。
ありがとうございました。
またいつか。