医聖・野口英世博士の劣等感 (野口英世記念館見学記 その2)
禍々しい原色を見せてフォルマリン壜に収まった毒蛇の実物標本、ガラガラ蛇の実物大の標本と骨格標本、それに実験に多く使ったというチンパンジーの剥製などには、英世が取り組んだ現場の臨場感が溢れ見る者を慄然とさせる。
実際に使用した単眼式の光学顕微鏡もあった。病原細菌などを検索・検出するため英世が愛用した高価な顕微鏡であったが、医用機器の発達した今日の眼には古風な型式の機器にしか見えない。しかし検体の標本を相手に連日のように覗き込み、病原体を必死に探し求めた目前の機器は当時最新鋭の光学顕微鏡であり力強い味方であった。この他使用した多くの書籍やピンセット、メスなどの器具類も展示してあった。何れも英世が傍らに置いて愛用し真剣に息吹きをこめた貴重な遺品であり思わず惹き込まれる。
展示品の中に記念写真が多かった。また知人と交した多くの書簡や、特に母上からのたどたどしいの手紙もあって胸を打つ。功績を称える現地や関係国、それに日本国家から受けた褒賞・勲章の類の数々に改めて野口英世の偉大さが実感できるのである。
記念館を一巡して奥に進み、一旦外に出ると疎らに樹木の立つやや広い庭があった。見上げると木々が枝を広げて葉がよく茂り、その間に見える空が青く空気が清浄に感じられる。横に隣接して田舎風の小さな古ぼけた平屋造り藁葺き屋根で、場違いに感じられる住居が一棟建っている。これが英世の生まれ育った生家で当時のまま保存されていた。古く黒ずんだ板敷きの居間の一隅に、英世が火傷を負ったという囲炉裏があり、自在鉤を下げた当時のひと間である。傍らに寄り添うように狭く暗い土間があり貧しく見えた。
「ほう、あれかね。あれへ落ちたのかね?」と見学の誰かが呟き、振り向くと同じ思いなのであろう、全員がいっせいに囲炉裏を見つめる。火の中に転げ落ち、手に大焼けどする幼児のいたいけな姿がそこに浮かぶのか「一才半だろう、熱かっただろうに。可哀そうになあ…」と見学者の中から別に中年の親父さんが声を搾り出すようにいう。
十九歳で上京する際にナイフで「志を得ざれば再び此の地を踏まず」と刻み付けた一本の柱が居間一隅に残り、英世の不退転の決意を見せている。決意文から有名な漢詩、壁に題すが心に浮かんだ。
男児立志出郷関 学若不成死不還
(男子志ヲ立テ郷関ヲ出ズ 学若シ成ラズンバ死ストモ還ラズ)
埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山
(骨ヲ埋ム豈墳墓ノ地ヲ期センヤ 人間到ルトコロ青山アリ)
猪苗代湖が望める前庭には重厚な基石を踏んで〝忍耐の碑〟と〝生誕地碑(遺髪塚)〟の大きな二基の石碑が建っている。遠くアフリカの地で悲運にも殉職したが、出郷の際に立てた志の通り偉業を成し遂げた英世の魂が、遺髪とともに懐かしの我が家へ帰ったのだと静かに掌を合わせた。猪苗代湖方面からの微風が頬にひんやりと秋を告げている。
見学は終えたが庭を後にしつつ何かを忘れている気がした。記念館へ戻り売店へ寄った。案内書や伝記をはじめ記念はがき、手帳、テレホンカードなどさまざまな記念の品が土産物として売られている。一冊の案内書を手にとってページを繰るうち或ることに気付き、「あ、これ、英世の心だったんだ!」と呟いてしまった。静かな館内に声が響いた。