医聖・野口英世博士の劣等感 (野口英世記念館見学記 その1)
二十年ほど昔、私は福島県猪苗代湖畔にある野口英世記念館を見学した。東北自動車道を北上し、磐越自動車道へ入って少し走ったところで、工事担当者の指図に従い一般道へ下りた。この先はまだ道路工事が未着工とのこと…そんな頃であった。親切に担当者が記念館までの順路を教えてくれたので、その通り少し走ると左手に記念館はあった。
そう大きくないが、低い木造家屋が散見される中、鉄筋コンクリート二階建ての記念館は大きく立派で目を引いた。確か薄茶に塗られた外壁であったと記憶するが、初秋の陽に映え目立っていた。見学者専用の広い駐車場に、入館者のらしい車が何台か止っている。受付に順番待ちらしい何人かがいた。私もその後ろへついたが、かねての希望が叶えられる喜びに心が弾んでいた。
私が野口英世博士の名前を知ったのは、小学校三年生くらいの頃である。生家の近くに雑貨店があり、その店の福さんというお兄さんが見せてくれた〝野口英世物語〟という紙芝居からである。お兄さんは絵が上手で、店の仕事の合い間に有名な物語りを元に絵を描き、夕方などに近所の子供10名余りを店の一隅に集め見せてくれたのである。
「貧しい百姓の子として生まれた野口清作は赤ん坊の時左手に大火傷してしまった。意地悪な友達から「手んぼう!」と悪態をつかれるなどいじめられたが、お母さんや学校の先生に励まされ、じっと堪えて勉学に励みお医者さんになった。名を英世と改めその後アメリカへ渡り怖い蛇の毒の研究をし、伝染病の予防や治療に役立つ研究に努め業績を上げた。英世は研究に一層励み世界の人々に貢献できる立派な人になった。アフリカで黄熱病という伝染病の研究中その病に罹って惜しくも亡くなった。研究の途中であり英世もさぞ残念だったことと思う」というストーリである。
終った後、紙芝居を片付けながらお兄さんは必ず「みんなも一生懸命勉強すれば偉くなれるんだ」と子供達を励ましてくれた。お兄さんの達者な〝語り〟で紙芝居に夢中になっていた子供達は.、黙って頷いたり低く「はい」とか「うん」などと返事をしていた。
お兄さんはほかにも、風の又三郎とか、坊ちゃんなどの話、二宮金次郎やシュバイッアー博士という偉い人達の紙芝居も描き揃えていていたが、野口英世物語が一番好きであった。清作がいじめられながら懸命に勉強する姿を自分の身に重ねて見ていたのであろう。お兄さんにねだり何度も何度も見せてもらい、絵もすっかり覚え物語も暗記してしまった程である。紙芝居が終ると「おれも野口英世みたいになるだ」「うん、おれもだ」などと口にしながら子供達は薄暗くなった宵の道を歩き家に戻って行った。
成人してからも紙芝居は心に残り、いつの間にか本を何冊か購入して読んだが、子供の頃見た紙芝居の記憶がずっと記憶に残っていた。それが嵩じぜひ一度、記念館を見学したいと思っていた。記念館は福島県の猪苗代湖畔にあることも地図で調べて知っていた。
記念館にかなりの人が博士の業績を偲び静かに見学していた。時々何かに感嘆する呟きが洩れ、野口英世を畏敬する雰囲気が漂っていた。私も順路に従って展示フロアーをじっくり見学して回った。そこには紙芝居や偉人伝で知ったと同じ〝忍耐〟を旨とした英世博士の実像や多くの写真、遺した業績などが展示されていた。そこは野口英世博士のサクセスストーリの世界であり、医学研究に凄まじいまで挑んだ英世の生涯が広がっていた。