医聖・野口英世博士の劣等感 (野口英世記念館見学記 その3)
店番の若い娘さんが妙な顔でこちらを見る。案内書には英世の少青年時代からロックフェラー医学研究所を経て、アフリカで殉職するまでの活躍の過程が豊富な写真とともに載っている。そう、その写真集であった。
独り研究に打ち込む研究室での姿や研究スタッフ達と一緒の記念写真、また英世のため催された歓迎会であろうか、多人数と写った記念の集合写真などが多数収まっている。入館当初は展示された多くの物品に気をとられ、写真はどこに英世がいるか眼で探す程度だったが、もう一度館内を回り改めて英世の写った写真を見直した。案内書で被写体となった英世の写真に共通したポーズのあることに気付いたからである。
全身と上半身、独りから二人、それ以上の集合写真と場面によって違うが、英世はたいてい左半身が写らないようなポーズで撮られている。一人では研究室で試験管を右手に高く掲げている姿の写真で偉人伝によく出ていて大変有名で私も何回か見た。珍しいのは南米エクアドルの送別会で英世はエクアドル名誉大佐の称号を授与され、制服・制帽・長靴に長剣を佩いた軍装姿で独り写った記念写真である。右足を僅かに前に出し右半身を正面に向けた立派なポーズであるが、左の腕は左後ろへ回し手は隠れて写っていない。
その他、二人並んで椅子に腰掛けての写真では右手に持った帽子をさりげなく左手首の上に載せる。二人以上のでも同様の意識が働いたのであろう左手は写っていない。集合写真では決って隣の人物の右後ろで左半身が写らない位置に立っている。
華々しい研究成果を発表し名声が上るにつれ「ドクター野口は最前列の中央へどうぞ」となるのであろう、勧められるまま正面の椅子を占めるが、この時はたいてい腕組みし左手を右の脇の下へ入れている。晴れがましい記念の集合写真であり、後列の大勢が直立不動で写る中で、前列正面に坐り少し前屈みで腕組みの姿である。他の集合写真でも腕組み姿は英世だけの場面が見られ異様な感じを受ける。
外国人が椅子で足を組む姿に日本人は「何と失礼な」と不快に思うが、外国人にしてみれば「敵意を持たず歓迎する姿勢」であり最高の礼儀だとされ、子供の頃から家庭や学校などでその意味を教えられこれを実行しているという。写真とはいえ腕組みしてじっと正面を見据える英世の姿は、「敵と対自する・油断めさるな」と他者を警戒する姿勢になり、腕組みの英世と一緒に写真に収まる外国人は気が休まらなかったのではないか。
敵意云々の気持など全然ない英世は、火傷による〝障害者〟であり、劣った左手をかばいつつ、「この手がてんぼうでなかったらよかったのに、残念だ」との考えが強かった。この消極的な心こそ劣等感で、この感情に苛まれる日々であった故、他者の前で障害の左手を隠す癖になった。それ以外に他意はなく無意識に体が動く悲しい所作であった。
すべての人間は「自分はこの点少し劣る」という劣等意識を持つといわれる。しかしこの意識を跳ね返し「劣る点を改善して少しでも向上しょう」と積極的に考え努力する姿勢の時、劣等意識はあっても劣等感はないのだという。劣等意識が常に自己否定つまりネガティブに傾く時、これが劣等感であるという。
思えば清作は二歳の時左手に酷い火傷を負い不具者になった。本人は自覚できなかったが四~五歳の頃、友達と遊びの中で左手の障害を知り、友達と自分は違うと自覚するようになった。