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身辺雑記(2019年6月24日~6月30日)
2019年6月24日(月)
来週から仕事がはじまると思うと、なんだかあっという間だなという感じで、残された休みの日に何ができるかなあ、などとぼんやりと考えていたら病院から連絡がくる。
健康診断の結果だったら、電話でそう伝えてくるはずと思いながら病院に足を運ぶと、血液検査の結果がヤバめだから大学病院に行ったほうがいいと紹介状を渡される。
『白い巨塔』を読んだばかりなので、めちゃくちゃ不安な気持ちで大学病院へ行き、やたらきれいで近代的な病院でいくつか検査をしてもらう。
自覚症状はほとんどないけど、超音波撮って専門の先生に診てもらったほうがいいね、ということで次回どうしますとなって、仕事はじまったら休めるのかわからないので、仮予約をして帰る。
画像診断料で歌集5冊分くらいの費用を払う。痛い。
ヤクルトはルーキーの清水をスタメンに回さなければ回らない感じ。まずはたくさん経験を積んでほしい。
2019年6月25日(火)
ふだん行っている病院にも早めに行っておこうと思い、夕方の予約を取る。今までの病歴を振り返って、なんとなく気分障害の原因に発達障害があるのかもしれない、と相談する。いくつか検査をしてもらって、子どものころからのエピソードを聞いてもらったところ、可能性はあるので薬を飲んでみましょう、ということになった。話を聞いてもらうとやっぱり気持ちは落ち着く。
うちの親はわりと放任だったし、転校とかも多かったので、環境の問題だと思っていたのだけど、環境に過剰適応して自分を失わないように気をつけて生活しよう、と改めて思う。
2019年6月26日(水)
昨日は遅くまで病院にいたので、朝から薬局に行く。新しい薬について詳しく説明してもらって、脳の効く薬をのめば生きやすくなるのだと納得する。
職場へのあいさつ用のお菓子を買おうと思い、東京駅の大丸に行く。個包装で賞味期限がある程度あってと思うとラスクが手堅いなと思う。近くにフルーツサンドを売っているお店があったので、お昼を食べる。
選挙が近いので「武器としての世論調査」を買う。ここまで沈黙した選挙戦はかつてない感じで、無党派層がほんとうに選挙に行くのかが、まったく分からない。
2019年6月27日(木)
なんだか体力も気力も削がれてしまって、一日ぼんやり過ごす。脳にも内蔵にも爆弾を抱えて社会人として生きていけるのだろうかとか、新しい仕事に上手くなじめるだろうかとか、職場に挨拶に行けるのだろうか、とか。
2019年6月28日(金)
気力は回復しないものの、お世話になっていたしたくさん迷惑も掛けたのだから、きちんと挨拶に行くことにする。私物の整理に時間が掛かるかと思っていたけど、あっさりと終ってしまい個別にあいさつ回りをしておく。ラスクが意外と好評でよかった。何人かお会いできなかった方もいるのだけれど、何かの縁があれば自然とつながるものだしなと思い、職場をあとにする。4年間は長いようで、結構あっというまだったように感じる。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。
2019年6月29日(土)
結婚してから17年が経った。お互いに予定が入っていたので各々で楽しむということにする。
中野サンプラザで田口綾子さんの『かざぐるま』の批評会に参加する。パネリストは大辻隆弘さん、佐藤弓生さん、馬場めぐみさん、柳宣宏さんの4名。歌集のモチーフの変遷と作者自身の葛藤や自己戯画についてなど多くの意見が出た。
個人的な意見としては、『かざぐるま』の「私」は自分を含めた世界を相対的に眺めているところに視座があるのが特徴だと思う。なりかわりの歌にも主体が「いない」のではなく、主体が投影しているものがどのように周囲から見られているのか、を描くところに主眼があるように思う。家族詠も職場詠も個々の関連性(親と主体、個々の生徒と主体)だけではなく、家族や職場という場における、主体をとりまく人々の行為や感情をどこか外から眺めているところがあって、モチーフは一見ぶれているようにも感じるのだけれども、初期の歌から一貫して、世界の切り取り方は変わっていないと感じた。
娘から見た親との葛藤、歌集の章立て、国語教師としての中世の文語へのこだわり、「まひる野」という結社の特徴、など興味深い話がたくさん聞けて良かった。
家に帰って、家族でささやかにお祝いをする。妻は「きのう何食べた?」展を楽しんできたようで、それぞれが気持ちよく時間を過ごすのがいちばんよいのかなと思ったりした。
ヤクルトは打線がまったくつながらない。棋聖戦は渡辺二冠が勝ち。
2019年6月30日(日)
今年の髙瀬賞は、姉野もねさんの「胸を張るひと」に決まった。おめでとうございます。佳作の三作品もどれもレベルが高く圧倒された。
評論・エッセイ賞は今年も受賞作品はなかったが、浪江まき子さんの「中田有里歌集『マヨネーズ』からこれからの写生を考える」が佳作となった。来月の掲載が待ち遠しい。
わたしの作品は、ともに予選通過という結果。
15首については、今井千草さんからの「無機質な機器と、対する太田さんの柔らかな心の動きに好感を持ち一票を投じた」という評がものすごくうれしかった。「でもあまり票が集まらなかったのは何故だろう?」という問いの答えは、一首で採れる歌が少ない、表現に粗い部分が多い、構成を意識しすぎて説明的な表現が目立つ、というところなのだと考えている。一首を作品として立ち上げるという、表現の基礎がまだできていないのが大きな課題。
一方で評論は、講評をいただいた「書評以上のものではない」というところは、書評は書けるようになっているのだ、と受け止めている。正直に言うと、短歌人以外の結社からはじめての書評の依頼原稿を抱えていて、とにかく一冊に向きあって書く、ということのみを意識して書いた。とはいえ、この分量があれば、何かしらの論点を立てなければ読み通してもらえないということは確かで、書いただけで満足していてはだめだなあと思った。
いずれにしても、読者の立場に立てていない事実を指摘してもらえたことに感謝をして、来年もがんばろうと思う。
ヤクルトは15本もヒットを打ったのに、まさかの逆転負け。ヤクルトらしいといえばヤクルトらしいけど。