「奴隷ラムシル」連載化構想 その10 恐怖について
「恐怖」というと、何を思い浮かべますか? ホラーやスリラー? ゴキブリ? 明日のテスト? 暗い道で誰かが後ろを歩いている気配? いろいろあります。この世には怖いものばかりです。私など饅頭が怖いのでお願いだから私に饅頭を送りつけるなんて事はしないでください。特に怖い饅頭は2つあって、大宮あたりで売られている「十万石まんじゅう」、それと川崎で売られている「追分まんじゅう」が最大に怖いです。お願いであす、あれだけは絶対に送らないでくださいね。送りたくなったら住所教えますけど。
まあ、饅頭はちょっと横に置いておきますが、恐怖の話ですが、今日も昔の映画の話からです。この映画のタイトルをよく覚えてはいないのですが、もしかしたらキアヌ・リーブスが出ていたコンスタンティンだったか?、それとも似たような別の作品だったか? まあ、説明しましょう。
その作品の設定では、世界が何層かに分かれているか、それとも分かれてはいないが人間には感知できない別の存在がいるかというようなものでした。そして何かある兆候は人間にはわからないのですが、主人公が気付きます。何かある時には蝶が飛ぶのです。でも、基本的にその存在というのは人間よりも数段高いレベルの存在なので人間にはわかりません。その高い存在は人間の事など何も考慮せず、好き勝手に何かするのです。ある時、それに気付いていた研究者が、主人公に言います。「奴らは人間よりよほど高い存在で太刀打ちできるものではない」主人公は言います。「奴らと話す事はできないのか?」答えはこうです。「君はゴキブリに何か説明した事があるかね?」
ひえ〜! これ、ものすごい恐怖を感じませんか? 私は感じます。と、ちょっとわかり難いと思いますので、別の例をあげます。
実はこれは私の母親と弟の事です。私は彼らと離れて暮らしていますからあまりやりとりに参加していません。でも、なんとなくわかります。弟は母(80代半ば)に対してよく怒っています。そうなるには確かにそれなりの経緯はありますが、その話はちょっと置いておきます。80代ともなりますと、なかなか新しいものや事は受け入れられないという事が言われます。弟はなぜかそれをそのまま母に適用して考えているようです。そして、スマホの話です。弟は母にガラケーを持たせていました。高齢者向けにキーパッドのついたあれです。私もちょっと使ってみたのですが、あれ、けっこう難しいのです。お友達からメッセージが入っても受信する手間、返信する時にどうするか、入力・・・すごく難しいです。結果、母はそれを持っているだけで使う事ができません。そして私も教えられません。母はそれでお友達とやりとりしたりできず、自信が無いので番号を教えられません。(番号を教えるのは簡単でも、メッセージをもらって受信や返信ができないと思っている) そこで、どうせならスマホにしてはどうかという事になります。当然でしょう。なぜならスマホは最近けっこう簡単ですし、誰でも教えられます。でも弟は「どうせ出来っこない」と否定してその事はやろうとしません。
そして次の段階はこうです。弟は自治体の福祉課の人に何か相談を持ちかけるのです。母は今こんな状態で問題があります。それからどこかのデイサービスの人とも何か話す事になります。そしてある日突然、もう面倒はみられないからと言って、そしてこれは母の為だからと言ってケアマネか誰かを突然、家に連れてやって来るのです。本人のいない場所、本人の聞いていないところで何かが話され、そして判断されてしまいます。これは誰にも起こり得る事なのです。
ここでちょっとさっきの恐怖を思い返してみてください。弟が人間より高い存在、母は人間。もしくは弟は人間、母はゴキブリです。母はそうは思わないですが、弟は自分を自然と高いところに置いて相手である高齢の母を判断してしまっています。すると母に起きるのは、まず情報遮断です。スマホにすれば月に1000円程度で好きなマヒナスターズが過去にステージで歌った姿がいくらでも観られます。(マヒナスターズは調べください。私もよく知らないので) 孫たちが今日どこで何して楽しかったか、どんな美味しいものを食べたかをリアルタイムで知る事ができます。好きだった山登りは今はもうできませんが、誰かが上高地や剱岳登って撮った写真を見る事ができます。そうした情報が、弟一人の判断で遮断されます。人は、他人を見る時にある判断を下します。他人をどこかのカテゴリーに入れてそれなりの人として対処します。判断される方は、相手が多数であればまだ良いのですが、母のように足腰が弱ってしまい弟一人のような状況ではクリティカルです。
私の言う恐怖、少しわかってきましたか? ではもう一つ。
お話の主人公ラムシルですが、自分はある程度幸せな状況にいるとずっと考えてきました。仕事をしていれば収入はけっこうあり、欲しい物はほとんど買えます。それに、自由です。好きな事ができるのです。ですが、もしその裏側が見えてしまった時、どう感じるでしょうか? 恐怖は感じるでしょうか?
ラムシルは自分の仕事であるカラクリを知ります。自分は自由で何でも欲しい物が手に入ると思いますが、そもそもその「欲しい」は自分自身の感覚だったのでしょうか? あなたはアップル社が発売した新型iPhoneのCMを見て、買いたいと思います。その感覚はあなた自身の中からのものですか? もし、仮に新型のそうした物を持つのが良い事、嬉しい事、すべき事とどこかで密かにインプットされていたとしたら? それはあなたが本当に自由な存在だと言えるでしょうか? それをあなたの上の存在が仕掛けていた事を知ってしまった時、あなたはそれをどう感じるでしょうか?
わかった?
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