親戚。5/13 Vol.45
2006年、栗山房の駅がオープンした。
売上も順調。
納得感があったお店をつくれた。
そしてスーパー時代の社長に連絡をいれた。
スーパー時代の社長とのエピソード
詳しくは↓
https://note.com/seijiest23/n/naecad994af09
https://note.com/seijiest23/n/n29116a5c925b
「もし良かったら自分がつくったお店をみてもらえませんか?」スーパー退職後、はじめての電話だった。
「元気で何よりだよ、楽しみだな!電話してくるぐらいだから相当、自信あるんだろ?」と
社長は笑った。ひとつ返事で約束が決まった。
約束は1ヶ月後。
すごく楽しみだった。
認めて欲しかった。
褒めて欲しかった。
ちょっとは大人になったと言ってもらえるか。
ダメ出しでも良いからみて欲しかった。
ところがその3週間後、社長が
交通事故で亡くなった。
________________________________________
自分はこれ以来
誰かに認められたいって
おもう気持ちはなくなった。
心の中で社長と約束した
『死にもの狂いで頑張ります』も
誰も答え合わせなんてしてくれない。
このことがきっかけで自分は
厳しさと妥協をいっさい、許さなくなった。
スタッフに対する緊張感も厳しさも
ピークだったとおもう。
仕事は楽しいけど
それよりも張り詰めた緊張感が凄かった。
この頃、社内では
房の駅の存在感が段々と強くなっていた。
自分は先代がスタートとした卸部門を
完全に見下していた。
大した人材もいないし
やる気もないし
活気もない。本気でそうおもっていた。
だから同じ会社なのに
販促物も知恵もノウハウも
共有する気はまったくなかった。
会社は自分のせいで
完全に真っ二つだった。
そんな自分は先輩だろうが歳上だろうが
気に入らなかったら
とにかく噛みついていた。
当時の常務「まさゆきあんちゃん」
(現小川屋味噌店顧問)がナンバー2。
親子ほど歳のはなれた親戚で
小さい頃はお兄ちゃん的な存在だった。
あるとき、社内チャットみたいなものを
使いこなせない常務に対して
「物足らない、あんたが手本にならないから
みんなが着いてこない」と食ってかかった。
激しく言い合いになったあと常務が
「わかった、ちゃんとやれるようにする」
と言ってその場はおさまった。
それでも無礼を詫びない自分は最悪だ。
そしてワープロ、パソコン、着いていくのが
やっとだというようなことを言った常務に
対しても厳しい言葉で追い討ちをかけた。
関係は完全にギクシャクになった。
それから数年後、
常務と2人で終日、移動する日があった。
車中で先代の父を支えた日々の話を
聞かされた。
楽しそうに昔話をする常務と
常務から慕われている先代である父に
嫉妬みたいなものを感じた。
そして車中で部長だった自分に常務は諭すように
「この会社は1つにならなきゃいけない」って
言われたのを強く覚えている。
その言葉はナンバー2の貫禄そのものだった。
あーーーーーーーーーーーーーーー
自分ちっちゃいなぁーーーーーーー
ちっちゃすぎるだろー
ってガツンときた感じだった。
この時
自分でつくった垣根、壁、鉄壁を壊して
大嫌いな卸部門の営業部に切り込む
覚悟が決まった。
会社を1つにする戦いのはじまりだ。
『せいじ殿の13人 2003-2015』
Vol.41-Vol.50(全10話)
この2年後、常務の一言で
自分は専務になることが決まった。
専務になったことよりも
常務に言ってもらえたことが
すごくすごく嬉しかった。