情報を介して人との距離が近く、しかし関係の希薄な時代に

 スイッチひとつで明かりがつく。そこに知らない人がいる。ラジオもテレビも一方向の情報であったが、ことインターネットの発達によって双方向の情報伝達社会が加速した。

 執筆というものは元来大変手間の掛かる作業であって、推敲に推敲を重ね仕上がった原稿の一部を世に出すのも命懸けだった。ところが現代、我々は容易に情報を発信することができる。データに変換された思考は誰を相手とも選ばず、ただ暴力的に電子の海に旅立ち、沈んでいく。

 画面を介したコミュニケーションは素早く容易で快適さもある一方、繋がる世代と揶揄されるような危険さも孕んでいる。連続的だが希薄な関係性。加速していく会話。集団は暴走しやすい。そんなつもりじゃなかったと、何か起きてからでは遅いこともある。対面する日常生活でさえ些細なことですれ違うのに、どうして画面越しに違わずにいられようか。

 繰り返し流れるニュースは次第に感覚を麻痺させる。事実は繰り返し報道されるほどに現実味を失い、フィクションへと色を変えていく。芸能人も、ひとりの人間だ。私と同じ、貴方と同じ、感情のある人間だ。

 批判は容易い。何かに原因を求め、誰かに責任を押しつければ満足感を得られやすい。私は何かを叩きたいのではない。ただ、この困窮する社会において皆の心にひと匙の優しさを保つことができたらと、切に願っている。

 三浦春馬さんのご冥福をお祈り申し上げます。


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渡邊惺仁
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