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都合いいなぁ、自分。

人生は勉強の繰り返し。と、普段から意識してても、雑念に囚われているとそれを見逃すことが常です。


noteで既に2回も登場している祖父が、またもや気付きを得るきっかけをくれました。

祖父のことについてのノートはこちら



祖父の経緯をざくっとまとめると、

祖父は住み込みで働いていたお店のオーナーのバツイチの娘(私の祖母)と結婚。
後に店主となる。血の滲むような努力で、店を繁盛させ、義理の娘(私の母)と息子(私の叔父)を血の滲む様な努力で育て上げた。無口で職人気質の祖父は、祖母や祖父を傷つける人たちが心ない言葉を放ってもじっと耐えていた。
しかし長年持っていた恨みも原因となったのか、10年以上前から、パーキンソン病になりゆっくりと身体が動かなくなってきた。
それがきっかけとなり、祖母と叔父に毒を吐いたり、わざと手を煩わせるようなことをし始めた。

といった感じです。

毎年お盆に、御詠歌を上げるという行事が祖父母宅で行われます。

私には9ヶ月になる子供がいるので、コロナを懸念して、今年は集まりには行きませんでした。

昨夜母から電話があり、

「じぃじぃ(祖父の呼び名)と正面対決してきた」

と、母が言いました。

一体何事かと思い、話を聞いてみると、、

対決の話の切り口は、最近の祖父が、他の家族をわざと困らす行為について言及したことだった。

母が

「認知症だったら考えないといけないから、いつもしてる行動は、覚えてるかちゃんと教えて欲しい。」

と、祖父に問いをかけてみたところ、こう言ったそうです。

「わしは、こいつを(祖母を指して)ボコボコにしてやりたいくらい恨んでる出来事があったんや。」

それを聞いた母も私も、思い当たる節はあるのですが、ここではその話は伏せておきます。

話が進むうち、祖父がヒートアップして、母が今までの人生の中で、祖父から聞いたことない言葉聞きます。

「どんな思いで、義理の娘と息子を育ててきたか。」

電話口で母がそれを言った時、私は耳を疑いました。

私の前でも誰の前でも、祖父が一度も口にしたことがない、

「義理」

という言葉を使ったのです。

意外と母は、その後も祖父に強気で真正面から話したそうです。


しかし情けない私は、母と電話を切った後涙が止まりませんでした。

(決して悲劇のヒロインになっているわけではないと信じています。そうだったら100発くらい自分を殴りたい。)

本物の子どもや孫のように育ててくれた祖父。
私が18歳の時に兄から告げられるまで、義理の祖父なんて1ミリも気がつかなかったくらい、愛でてもらった。

無口な祖父が、「お前になんかあったら、わしの手でそいつを殺してやる。」と言っていたことも昨日のように思い出せる。

けれども、今まで祖父が、義理の娘、義理の孫、という意識でいたことを思い、何も言葉に出来ませんでした。

そして、自分の子どもを持てるチャンスがあったのに、ある出来事がきっかけでできなくなってしまった祖父。自分の義理の娘にも、義理の孫にも子どもができて幸せそうな姿をみて、嬉しい反面、羨ましいという気持ちもあって、さぞかし苦しかっただろう、と思って胸が苦しくなりました。

そして、何より、今まで祖父のことを、都合よく捉えてた自分への怒りと悔しさと恥ずかしさで行き場のない苦しみが襲ってきました。


私は常々「祖父は、私のことを本物の孫と思ってくれていて、心から尊敬する。もう祖父も義理ということも忘れてるでしょ。本当に偉大な人だ。」と言っていたし、思っていました。

それは完全に私の都合の良い捉え方です。

自分が祖父の虚像を作っていたことに、初めて気が付きました。

祖父の苦しみを、理解しようとも、見ようともしなかった。

むしろ見たくない心が動いていたのかもしれない。

自分に都合の良いように物事を捉えるのが嫌で、物事をありのままに見ようと努力していたつもりだったのに。

結局、していたつもりだっただけなんだと。

自分を責めていた気持ちが落ち着いた頃には、恥ずかしさだけが残りました。

しかし、これは自分にとって大きな勉強にも繋がりました。

他人が自分の都合の良い捉え方をしてるのは、簡単に見破ることができるのに、自分がそうなっていることには全く気がつかなかった。


鳥瞰俯瞰がいかに難しいかということを思い知らされたし、自分の甘さを痛感しました。

身を持って心の勉強を教えてくれている祖父の背中を?やはり見続けたいし、これからは見守る気持ちもしっかり持っていきたいと思います。


今回の私の「都合の良い捉え方をしていた自分」への気付きは、かなりの打撃という、おまけ付きになりました。
しかし河合隼雄さんがいつもおっしゃっているように、「人は一回死ななきゃ生まれ変われない」(成長の過程で何かを得る時に、死ぬ思いをするというような意味)ということなのだろうな。と感じました。


ちなみに祖父にこの気持ちをダイレクトに伝えると、きっと傷つけてしまうと思ったので、祖父の好きそうなお菓子を見繕い、残暑見舞いとして送りました。

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