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不幸が足りない

不幸が足りない

10年以上前に、故蜷川幸雄監督と小栗旬が対談していた番組で「小栗がそう言ったんだよ」と、蜷川監督が回想していた小栗氏の言葉だ。

結果的に私の解釈と、小栗氏の意図は真逆と言っていいほど異なるものだったが、この言葉にハッとさせられた。

小栗氏の意図としては、彼は裕福な家に生まれなに不自由なく育ったため、役者として自分には深く理解しきれない事がたくさんある。それには不幸が必要だ。と言ったものらしかった。


しかしその言葉を聞いた時、私が昔から抱えていた苦しみの謎が解けた気がした。

私は物心ついた時から、何とも言えない精神的な苦しみに悩まされていた。

しかし、その苦しみの原因が全く見当たらないし、周りにも相談できなかった。

それに私の家族はとても裕福という感じではなかったけれど、祖父母の助けもあり、お金には全くといって良いほど困っていなかったし、心配をした事は一度もなかった。

両親は私と兄の目の前で喧嘩したことはほとんどなく、友人や先生たちにも「本当に良いお父さんとお母さんだね。」と頻繁に言われるほどだった。

やりたい!の一言で、何でもお稽古事を習わせてくれた。

休みの日は、父が森へ連れて行ってくれたり、家族で遠出したりもした。

大型連休は、必ず旅行もして行き帰りの車内では家族でカラオケ大会。

家に帰れば母の心のこもった料理が待っていたし、朝起きると、母が満面の笑みと共に「おはよう」のハグをしてくれ、美味しい朝ごはんを用意してくれていた。

それは前の晩に大喧嘩したり、母が風邪だとしても、例外はない。

終わりのない話も、毎日母が笑顔で聞いてくれた。

これだけだと、甘やかされているだけに聞こえるかもしれないが、母は躾も怠らず、玄関の外に出されたことも何回もあった。


一見、誰がみても私の人生に問題はない。

実際、家族と一緒にいる時は、苦しみが緩和された。

短気なため、怒ってしまうこともあったが、基本的には家が安心できる場所だった。

しかし、何をしてても苦しみが襲ってくる時は時を選ばない。

遊んでようが、美味しいものを食べてようがそれはやってくる。

「なぜ皆こんな苦しいのに、普通の顔をして生きていられるのだろう。」とさえ思った。

それが小栗氏の言った

不幸が足りない

の一言で表現されるのだ。

もちろん両親にも祖父母にもそのような環境で育ててくれたことを心から感謝している。
もしそれがなかったら、もっと精神的にひどい状況になっていたいただろう。

しかし、私には決定的に現実的不幸が足りなかった。

いつも一緒にいた友達は家庭環境が複雑で、経済的にも厳しい状況にあり、喧嘩したときに、お前みたいに恵まれた環境に育った奴になにがわかるんだと叫ばれたくらいだ。

※気分を害される方もいらっしゃるかもしれないので、予めお詫び申し上げます。

生育歴のことで傷つく事がある方は、この先読むことを控えていただくようにお願いいたします。


足りなかった不幸はなんでもよかった。

両親に問題がある、兄が非行に走ってる、持病がある等、、

周りからみて、

「だから苦しいんだね。」

と思ってもらえる何かがあったら、少しは楽になるのかな。と何度も考えた。

しかし幸か不幸か、私には高校生に上がり祖母が一緒に暮らすことになるまでは、そのような要素は皆無だった。

祖母と一緒に暮らし始めてからは、驚くスピードで家庭のバランスが崩れていった。

むしろそれが有り難く思うくらいだった。

"やっと私は声を大にして苦しいと主張できる"と。


19歳になる頃には、その苦しみの原因の一つが発達障害から来るものだとわかり、また少し楽になった。

大人になってから発達障害のことを知り、似たような気持ちになった人もいるのではないかと思う。

発達障害と言っても、実際に検査を受けたわけではない。

あくまで自己診断と、ずっと発達障害の子供たちに関わる仕事をしている母にグレーゾーンといわれているだけだ。

検査をしたらどういう結果になるかは想像できない。

また自分の発達障害の話は、違う記事で書くことにする。

この「不幸が足りない」という言葉に腑に落ちほんのわずかに楽になったと同時に、では不幸が欲しいのかというジレンマに苦しめられたのも、今となっては微笑ましい話だ。

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