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夜の帳のその向こう
夜があまり好きではなくて、それはどうしてだろう、ときどき考えるけど、やっぱりたぶんいちばんの理由はさびしいからだと思う。
夜更けに考えごとをしているとひどく深刻になったり、余計につらくなったり、挙げ句の果てには自分を少しきらいになったりしてしまう。
夜に書いた文章だって、そのまま載せてしまうのはちょっと…ということが多い。感情に任せた言葉を連ねた、悲劇的な文章になるからだ。
だから私は夜中に手紙を書かないし、noteもあまり更新しない。そういうネガティブすぎる文章は、他者の目に触れるものとしてふさわしくないと思うからだ。
そのかわり、日記のような、私だけが見る、私だけのための文章は夜に書くことが多い。その方が読み返したとき面白いのだ。飾っていない切実な言葉で埋められたノート、それを読み返す時間が私は好き。
とにかく夜は案外長いから、そのことに救われるひとがいるように、一方では絶望してしまうひともきっといて、私はそちらの人間なのだと思う。
特にひとりでいる夜はとても長い。
さびしい、さびしい、と思うと余計にさびしい気がしてくる。私は本当はとても満たされているのに、なんで夜はあんなに私をかなしくさせるのだろう。わからない。
けれど今年の夏ごろ、勉強や作業で遅くまで大学に残っていたり、夜ごはんを食べに行ったりして、あたりが暗くなってからアパートに帰る日が何度かあった。そのとき表を歩きながら、身体が夜の空気に浸っているのはなんだか心地よいなあ、と初めて思った。
夜は私の輪郭をぼかして、世界と私の区別がつけられないようにする。
昼間は太陽の光でくっきり分たれているものが、夜には曖昧になるのだ。光が強いと闇も濃くなる。その陰影の差、みたいなものをすべてなくして、ただぼんやりとした暗さで私を抱いてくれるのが夜だから、もしかすると朝や昼より、夜の方がずっと穏やかでやさしいのかもしれない。
だからその時間を好むひとや動物がいるのはよく分かる。夜は決して攻撃的ではない。ただそこにあるだけ。それが最近分かりつつある。
きっと夜が私をさびしくさせているのではなくて、さびしさが夜に私をさらうのだ。まだそれほどうまく向き合えないけど。
でも下手にさびしさをよいものとして受け入れようとしなくたっていいようにも思う。だってそれはすごくくたびれることなのだ。
だからゆっくり夜を味方につけていきたい。
夜が訪れるたび、すこやかに眠れますように。