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漫画の王道、『幸せカナコの殺し屋生活』

何故か魅かれる。

主人公は若い女性である。
私は年老いた男である。
でも主人公に共感し、ワクワクする。
つまりこの漫画には、ある種の普遍性がある。


・異常な状況とふつうの主人公

ごくごく漫画的な漫画なのである。
どこにでもいるふつうのOLが、殺し屋生活という異常な状況を経験するという、極めて非現実的な設定。
異常な状況に置かれた主人公が、ふつうのOLでなく、例えば魔女っ子とかだと、あまりにも空想的になってしまい、残念ながら、私のような老人にはついていけない。
しかし『幸せカナコの殺し屋生活』は、「異常」×「ふつう」という、言わば、漫画の王道の設定をつらぬく。


・主人公がリアルすぎて涙がでちゃう

かくして設定は漫画的なのだが、
その一方で、主人公の心の機微が、実に丁寧に、リアルに描かれている。
例えば、実家のお母さんとの電話、あるいはひさしぶりに実家に帰って昔の自分と向き合うところなどは、とてもリアルである。

また痴漢に対する主人公の怒りの描写にも、リアルな女性の視線がしっかりと表現されている。
どうやら漫画の作者は、男性の方らしい。
男性の作家が、女性の一人称を用いて、ここまで女性の心を描けるとは!
私は、太宰治の『女生徒』を想起した。

いずれにせよ作者が主人公を愛していることは間違いない。


・手塚治虫がいない世界

それだけではない。
『幸せカナコの殺し屋生活』は、ある意味、ストイックなまでに、漫画らしさにこだわった漫画である。

徹底して1頁4コマ。
起承転結の原則を守る。

また風景に頼らない。
例えば夕日を描いて、主人公の寂寞を表現するようなことはしない。
画面は登場人物の顔だけだ。

さらに派手なアクションシーンもない。
しかし抜群のテンポとスピード感が、登場人物の顔のカットでもってのみ、表現される。

誤解を恐れずに言えば、それは手塚治虫がいない世界である。
手塚は大胆なコマ構成とアクションシーンで、漫画にダイナミズムを導入した。
その手塚の方法を、『幸せカナコの殺し屋生活』は否定する。

しかし何故、手塚の方法が生まれたのかを想起しよう。
周知のごとく、そもそも、手塚はアニメや映画をつくりたかった。
しかしお金がなくてできなかったから、紙のうえで登場人物を動かそうとした。
そして前述のような方法を生み出した。

しかしもはや昭和ではない。
21世紀、CGもビデオも進化した。
誰でも動画をつくれるようになった。

だからまた漫画の独自性が問われるようになったのではなかろうか。
漫画という媒体でなければ描けないものに、『幸せカナコの殺し屋生活』はこだわるのだ。

例えば、
実写ではなく、アニメだからこそ描ける奇想天外な世界がある。
暗闇の中のモーション・ピクチャー(映画)によってのみ表現できる時間がある。
電話で話すのでもなく、メールに書くのでもなく、音楽にのせなければ伝わらない言葉がある。
同様に、漫画でなければ伝えられないものがある。

かくして『幸せカナコの殺し屋生活』は漫画というメディアを大事にする。
とりわけ登場人物たちの漫画的な顔。
眉毛の線の角度、頬の朱色へのこだわり。
全頁カラーなので、単調にならず、飽きずに、楽しめる。


・教養小説

さらに『幸せカナコの殺し屋生活』の醍醐味は、主人公の成長である。
OLを辞めて、殺し屋になって、いろいろなひとと接していく中で、主人公はゆっくりと成長していく。元気になっていく。
まるでロマン・ロランの教養小説『ジャン・クリストフ』だ。
ロランはこれを、「あらゆる国の悩み、闘い、それに打ち勝つ自由な魂たち」のために執筆したという。

『幸せカナコの殺し屋生活』も、どこにでもいる、傷つき、悩み、それでも頑張るひとたちのために、これからも、元気になる笑いを届けてほしいと思う。

そういえば、村上龍のエッセイに『自殺よりもセックス』というのがあったが、
元々は「自殺よりも他殺」というタイトルを考えていたそうだ。
ただあまりにも剣呑なので、「他殺」ではなくて「セックス」にしたのだとか。

確かにエッセイなら剣呑かもしれないが、漫画ならば、そう、『幸せカナコの殺し屋生活』のような、明るく楽しく、良い意味で「おばかさんな」漫画ならば、アリだろう。
いじめられて自殺まで考えたカナコが、殺し屋になって元気になっていく。幸せになっていく。
それに共感して笑えるのも、漫画ならでは、である。

漫画の可能性に乾杯!

(注)あたりまえのことですが、言わずもがなだと思うのですが、誤解されないよう注記しておきます。『幸せカナコの殺し屋生活』は殺人を推奨したマンガではありません。マンガの暴力はあくまでもイリュージョンにすぎません。マンガと言えば何でもバッシングしたくなる、あたまのかたい方々のことを考慮に入れて、あえて注記しておきます。バッシングするまえに、読んでごらんなさい。笑えるから。元気になれるから。少なくとも僕は救われました。


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