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生産的な戦いのために

どこかで、歴史家の木村尚三郎が、戦争は交流の一種だと書いていた。
ところで交流は生産的でありうる。それゆえ戦いは生産的でありうる。しかしあらゆる戦いが生産的だとは限らないだろう。戦いが生産的であるためには、色々と工夫が必要だ。

しばしば日本のリベラルさん(ポストコロニアリストさんやフェミニストさん)が戦う「勇姿」を拝見する機会があるが、残念ながら、あんまり生産的には思えない。


宗教相手に戦うか?

数年前の日本西洋史学会大会。
如何に戦争を表象するかといったテーマで小シンポジウムがあった。
質疑応答のさい、フロアから次のような意見が、壇上の報告者らに出された。
―このような問題を扱うならば、もっと靖国神社史観を批判すべきではないか。―

リベラルさんらしい御意見であった。

が、これに対し、壇上の、ある老大家が次のような趣旨のお答えをなさった。
―アレは宗教だ。自分は科学者だ。科学が宗教に対して投げかける言葉などない。―

なるほど!聴衆席にいた僕は膝を打った。
そりゃあ、そうだ!英霊の存在を信じる方々に対して、科学者である歴史家が論争を仕掛けるのはナンセンスだ。

例えば、処女の受胎を信じる方々に対して、科学者である医者が何を言えばよい。日本医師会が日本基督教団に物申したなんて話は聞いたことがない。

それと同じで、歴史家が科学者として靖国の遊就館を相手取って戦いを挑むことに、どんな意味があるのか。
もしも靖国神社史観が蔓延するなら、それは日本人の心(民度?)に原因があるだけのこと。靖国に魂の救いを求める信者の方々から、心の支えを奪うのは、イジワルな気がする。
歴史家の科学者としての本分は科学的歴史観の普及であって、宗教というものの撲滅ではない。


差別主義者相手に戦うか?

しばしば日本のリベラルさんは、自分の意見に反対するひとに差別主義者のレッテルを貼って、バッシングする。
でも気をつけたほうがよい。
とんでもない「やぶへび」になる可能性もあるから。

例えば20年ほど前のフランスでは、人種差別主義的な極右のFNが、めちゃくちゃ叩かれていた。当時のFNはまだ弱小政党だったが、大政党もメディアも、さんざん叩いた。しかしその後、FNは非常に大きな政党に急成長してしまった。
まさに「やぶへび」だったのだ!

FNの急成長には、様々な原因があろうが、そのうちのひとつはおそらく、よってたかって叩かれたたことである。
権威を持つもの(既存の政党・メディア・知識人)によって、バッシングされればされるほど、FNは「自分たちは現体制から排除された人々の味方である」というイメージを獲得した。

この事例を知っているからこそ、僕は次のように主張したい。
差別主義者たちを「敵」とみなして、バッシングしてはならない。
むしろ彼らを「生徒」とみなして、人権を「教育」してやるべきである。
注意してほしい。大事なのは洗脳ではなく、教育である。
そしてまさに教育のためには、教師が生徒を理解してやり、ある程度、リスペクトしてやる必要がある。
「これこれをしなさい」と、命令するのが教育ではない。
「何をしたらよいかしら」と、考えさせるのが教育である。

そしてもしも生徒がじゅうぶんに考えた結果、「やっぱりヒトラーは正しいと思います」という、悲しくも残念な結論に達したのならば、教師は謙虚に自分の無能と教育の限界を悔やみながらも、その生徒がいつの日か自主的に意見を変えてくれることを期待するしかない。


リベラル相手に戦うか?

僕はリベラルさんの目的・大義には必ずしも常に反対ではないが、方法・戦略にはほぼ常に反対だ。

リベラルさんは、正義が何かを既に知っていると自負しておられる。そしてその正義の名のもとに、自分とは異なる意見を、怒りの剣で一刀両断に斬り捨て、排除する。

けれどもリベラルさんの言動は、何が正義かと悩みながら生きている僕のような人間を、とても不安にさせる。
僕から見れば、リベラルさんはあまりにも暴力的なのだ。
だから僕はリベラルさんと何らかの交流を持つための前提条件として、リベラルさんに謙虚さを求めたい。
そうでなければ、実り豊かな交流は成り立ちえないであろう。

謙虚になれば、ゴリオシが消える。
そして、お互い、考えるためのゆとりが生まれる。
このゆとりをグレーゾーンと呼んでもよい。何が正しいか分からない領域だ。そのような場で交流して(=戦って)初めて、生産的でありうるのではなかろうか。

畢竟、多少の偏見など、僕もあなたもみんなだれしも持っているはず。
全地球70億人の思想調査を実施する必要もない。
だからリラックスしよう。
のんびりいこう。
硬い頭から、良いアイディアは生まれない。


蛇足 男/女相手に戦うか?

一部のフェミニストさんは、男と女が競い合って高め合うことが大事だと思いこんでいるらしい。
けど僕は、慰め合いたいなあ。

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