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フランスにおける「中庸の美徳」


政治大国フランスの政治混乱


フランスにおける6月の欧州議会議員選挙で極右RNが勝利した結果、マクロン大統領は下院の解散を宣言した。
彼は国民に問うた、国民よ、ほんとうに、あなたがたは極右の支配をお望みなのですか、と。是非、責任あるこたえをください、と。

下院選挙戦で、中道派(与党)は左派と候補者を一本化し、極右を包囲した。
これが功を奏し、最終的に左派が180議席、中道派が163議席、極右が143議席となった。
しかし極右は選挙前の議席数に比べれば、伸びている。
改選前の議席数に比較して、落ちたのは中道派だけである。

いずれにせよどの党派も過半数をとれなかった。
これがフランス国民の、責任ある声なのだろう。
なにせ今回の投票率は67%だ。21世紀では最高である。

さて過半数の党派がなくて、議会政治は成立するのか-、これが現在の問題だ。

妥協=裏切り?


過半数をとれた政党がいなければ、「妥協」して連立内閣を作ればよいというのが、ふつうの考え方である。
しかしそれは自分を選んでくれた人々に対する「裏切り」になりはしないか。もしもそれがようやく伸びた投票率(=国民の政治への関心の高まり)を落とすことになったら、どうしよう。自分たちと国民の絆は決定的に切れてしまうのではないか。
おそらく多くの議員たちは、いま、そのように危惧している。

妥協の政治文化が消滅した理由-極右


歴史をふりかえれば、19世紀末のフランスでは小政党が乱立して、議会では妥協につぐ妥協が迫られた。なぜ、現在、同じようにできないのか。
それは妥協を良しとする政治文化が消滅したからである。

理由の第一は、極右である。
ここ20年余、ほぼほぼあらゆる「まともな」政治家が否定したのが、極右との妥協であった。(それを試みた「ふつうの」右派のシオティは自分の政党から袋叩きにあった。)
極右は、人種差別主義者で、同性愛差別主義者で、死刑制度の復活と移民の排除をうたう。そんな極右との妥協は全面的に否定されるべきだった。(ちなみに1793年憲法第120条は「フランス人民は、自由のために祖国から追放された外国人に避難所を提供する」と明記している。亡命受け入れは200年以上昔からのフランスの国是だ。)

実際、大統領選挙でも、マクロン以前の「まともな」大統領候補たちは決して極右の候補とテレビ討論会をしなかった。
あいつらと討論をしたら、同じテーブルについたら、それだけで、あいつらに正当性を与えてしまう、というわけだ。
(ちなみに極右と初めて討論をしたのが、マクロンだった。)

妥協の政治文化が消滅した理由-中道の大統領の強権政治


理由の第二は、マクロン政権を成り立たせていた中道への信頼の崩壊である。
マクロンは女性、若者、同性愛者を重要なポストに次々と起用し、旧植民地を訪れて遺憾の意を表明するなど、左派が喜びそうな政策をおこなった。
しかしその一方で、大企業と富裕層を優遇する、右派が喜びそうな新自由主義的な政策をおこなった。
マクロンは、このようにして中道を進めばみんなから支持されるはず、と思ったのだろう。

たしかに中道が右も左も取り込んでいるうちはそれでよい。
しかし右も左も切り捨て、だから自分は中道だと言うのは如何なものか。マクロンはそれをやってしまった。けれどそれは「独裁」だ。
実際、2023年3月、マクロンは年金改革において、憲法第49条第3項を使った。
そして議会採決なしで、自分が推す法案を成立させた!
中道派の大統領による強権発動の結果、中庸の美徳が信用できなくなった。

リーダーシップのありかたを再考しては


かくして、大統領に強い権限を与える現行憲法をやめて、新たに憲法を起草しようという声すら出はじめた。
しかし如何なものか。現行憲法は死刑制度の廃止など、幾つもの重要な修正を重ねて、現在のかたちになった。すべて精算するのが最適解だろうか。

むしろミッテランの頃を思い出してみよう。
現在ほどまでに大統領は日々、メディアに露出していなかったはずだ。
大統領がすぐに決めてすぐに動く、そういう姿が目につくようになったのはサルコジぐらいからである。つまり21世紀になってからだ。
それ以前の大統領とは、後ろの方に引っ込んでいて、何か大問題(たとえばゼネスト)があったときに、ようやくおのれの姿を国民に見せて、「みんな仲良くね」と調停者を気取る、そういう役割だった。

しかしこんにち、国民は、素早く力強く陣頭指揮をとるリーダーを求めている。しかしその要求が、独裁を生み出す温床になっていないか。

もしも国民の選良が妥協という名の裏切りに怯えているのならば、まさに国民が「俺たちは妥協の必要性くらいわかっているし、おまえらを信じている」と言ってやる必要があろう。

もちろん他人を信じるためには強者でなければならない。
弱者は他人を信用できない。
しかしフランス国民諸君、君たちは強いはずだ。

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