見出し画像

すべてのものにだしはある|有賀薫さん×三浦哲哉さん対談レポート

だし(出汁)と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?

昆布、かつお節、煮干し、あごだし、顆粒だし、だしパック……。
だしは「料理をおいしくするための縁の下の力持ち」であることは感じつつ、同時に「なんだかめんどくさそう」「顆粒だしって、もしかして手抜き?」などと思っている方もいらっしゃるかもしれません。

当たり前のようで、じつはその正体や使い方は謎に包まれていて、料理の時に迷われている方も多いのではないでしょうか。

そんな方々に読んでいただきたいのが、『有賀薫のだしらぼ』です。

『有賀薫のだしらぼ』とは・・・
スープを作り続け、そのレシピと考え方を広く届けてきた著者が、だしとのつき合い方、日々の料理への生かし方について、生活者目線で語ります。
そして、たどりついた「すべてのものにだしはある」という発想。
料理初心者にとっては「これでいい」という安心感につながり、上級者にとってもまた、料理のポテンシャルを引き出すヒントとなる一冊です。

スープ作家として活躍する有賀薫さん。
新刊発売のタイミングで「いま一番お話ししたい方はどなたですか?」と伺ったところ、「三浦哲哉さん!」と即答されました。

三浦さんといえば、映画研究者であり食文化探究家。
近著『自炊者になるための26週』(朝日出版社)では、料理の楽しさや風味の魅力について、順を追って考えられています。
そのアプローチの仕方が何とも「だしらぼ的」なのです。

お二人に共通しているのは、ふつうの人にこそ「料理をもっと楽しんでほしい」という想い。
そんな二冊の著者によるトークイベントが東京・青山ブックセンター本店で開催されました。
だしと風味それぞれの視点から、ときに混じり合いながら、日々の料理との向き合い方についてお話しいただきました。

この記事は、2024年6月11日(火)に青山ブックセンター本店で開催された『有賀薫のだしらぼ』『自炊者になるための26週』刊行記念トークイベント「だしと風味のハーモニー ~料理をもっと楽しむための序~」の抜粋レポートです。

***

「だしらぼ」の姿勢

有賀:今までずっとスープの本ばかり出してきてたんですが、その味の「もと」になるだしについて、やっぱり一冊どこかで書いておきたいなっていう気持ちがありまして、ようやく実現しました。

「今日のごはん、何にしようかな?」って考える人はいるけれども、「今日のだし、何にしようかな?」っていう人はあんまりいないと思うんです。
それぐらい無意識にあるものというか、料理のスタートの前段階にあるものなのかなと思っていまして。
そこを一旦、意識の上にあげてもらうような本になったらいいなと。

三浦さんの『自炊者になるために26週』を読ませていただいて、非常にこう、 考え方に近しいところがあるなっていうことと、この本で三浦さんが重要視されてる「風味」というキーワードが今日のトピックになるかなと思いますし、いろいろ楽しい話ができたらうれしいです。

三浦:そうですね、だしと、それからだしのフレイバーですよね。
今日の話を聞いてくださる皆さんが、だしをこれまでよりも自由に軽い気持ちで楽しめるようになればいいかなと思っています。

有賀:三浦さんの本も私の本も、実用書のように何を覚えるっていうことではないけれども、その1冊をインストールすることによって、自炊であったりとか、日々の料理が楽になるのか、楽しくなるのか……
ちょっと変化が起きるような本なのかなというふうに思います。

三浦:私もそれを目指して書きましたが、有賀さんの『だしらぼ』はだしについての意識をほんとうにがらっと変化させてくれる本になっていると思いました。

まずタイトルが素晴らしいですよね。
ラボはlaboratoryのラボなわけですけど、実験室ですよね。
家でだしを引く……うまく作れなかったから失敗とかダメとか、 そういう発想をやめてねっていうようなことかなと思ったんです。

実験に失敗はない」っていう、精神科医の中井久夫さんの言葉が僕はすごく好きなんですけれども、実験っていうのは本来的にすごく楽しいもので、ちょっと変な結果が出ても、それはそれでデータとしてサンプルになるからまったく無駄ではない。
たとえば、青菜を煮て、ちょっと煮すぎて柔らかくなったのだとしても、へえ、こんな味になるんだっていうことを面白がる……
それがラボに臨む人の自由な姿勢なのかなっていうことが、すごい伝わってきたんですよね。

有賀:そうですね。「だしらぼ」の前身には「スープラボ」っていうのがありまして。
私は2011年からスープを作り始めて、そこから10年間、毎朝スープをずっと作ってたんです。
作り続けて2年ぐらいしてスープ作家になろうと思って、その時まで私、料理の仕事を一切やったことがなかったんですね。
家でずっと主婦として料理は作り続けてきたけれども、基本的にそれだけなんですよ。

それで、とりあえずスープに関係するものを勉強しようと思って、「スープラボ」っていう純粋に勉強のためのラボみたいなものを公開でやりました。
毎回毎回テーマを変えて、昆布には利尻昆布と真昆布と羅臼昆布があり……みたいなことをイチからやって、それをまた人に伝えることでさらに勉強できるみたいな。
今回だしの本を作ろうとなった時に、もう一回だしをやり直そうということで「だしらぼ」を立ち上げて、編集者や料理家仲間とやってきました。

三浦:そういう比較実験が楽しそうでたまらないすね。
あと、みんなでわいわいやるとよけいに楽しそう。その感じは本を読んでいて伝わってきます。

冒頭のところで、「皆さんは普段、どんな形でだしをとっていますか?」っていうアンケートをとったりもしてるじゃないですか。
あるいは「だしについてどう思いますか?」とか「ハードルが高いと感じていますか?」とか、こういう他人の話って単純に面白いんですよね。
家の習慣のことだからふだんあまり話さないことですし。

有賀:はい。このアンケートは本当にびっくりしました。
X(旧Twitter)でアンケートをとってみようか、 30人ぐらい集まればいいかなと思ったら、800人ぐらいの方がお答えくださって。
やっぱりそれだけ数があると自由回答なんかも含めて、すごくいろんなだし観が出てくるというか、 こんなにだしの世界が広いんだと学ぶところが多かったです。

三浦:最近の傾向でしょうけれど、「ハードルが高い」と感じる方がやっぱり多いということも示されているわけですよね。
なんであえてだしをとるのか意味もわからない。本によっては、きちんとだしを取らないとちゃんとした料理にはならないと教えているけど、でも正しいだしってなんなの? 本によっても違うし……みたいな。
たしかにわかりづらいから、場合によっては「なんか料理って面倒だな」、「外食とか中食でいいじゃん」ってなったりする。

有賀:日本の場合、和食のいわゆる昆布かつおだしとか、しっかりした料亭で出るようなだしみたいな、あれが家庭料理においても基本であるというふうにされちゃってるところがすごく大変だなと思っていて。
あそこをスタートにすると「ちょっとあれは無理」になる。
そうすると、それの代替えとしてだしパックとか顆粒だしなんかをみんなが使ってるんだけれども、「これが正解なのかな?」みたいに思ってる人も意外と多かったりして。

私はそんな中で「だしを使わずにスープを作りましょう」ということで受け入れられたということが大きかったんですけど。
でも、私の心の中では「だしは出てるんだけどな……」みたいなモヤモヤがずっとあったわけです。

三浦:だしについての固定観念みたいなものがあって、しかもそれが全然アップデートできなくて、それがこれから自炊しようとする人を縛ったりもしている。
『だしらぼ』はそこをもみほぐしてくれる本ですよね。

有賀:あと、やっぱり今はSNSとかネットの時代になって、皆さんの目に触れる情報が多すぎて整理できないっていうことがすごくあるのかなと思いまして。
それを一旦こう、簡単にマッピングできるようなものを何か作りたかったっていうのは大きいです。

なので、この本でいうと、私がいつもやってる「だしなし」で素材からのだしを使う。―—これを「エブリシングだし」って呼んでるんですけど。
それから、いわゆるブイヨンであるとか昆布かつおだしであるとか、そういう料理人たちが使ってるだしを「ラスボスだし」と呼びました。
あとは、顆粒だしとかコンソメキューブとか、簡易的な「インスタントだし」ですね。

とりあえず鍋に貝だの草だの入れて煮ると、それは何か風味を持ったものになっていたはずで、それが本来は「だし」と呼ばれる前のだしであったということもあると思うんですけど、それを改めて「だし」として認識しようということです。

対談イベントは青山ブックセンター本店の大教室で実施された。

すべてのものにだしはある

三浦:以前から有賀さんの本を読んでいて、スープの勉強をさせていただいて、周りにもすごく勧めてるんです。
共感する部分がたくさんあって……たとえば、野菜のスープを作る時に、コンソメキューブを入れるか入れないか問題っていうのがあるじゃないですか。
皆さんどうしてますか?

たとえば、最初に玉ねぎを炒めて、水を注いで具材のニンジンとジャガイモなどを入れますよね。
それで塩で調味してオッケーとするか、 それともやっぱりコンソメキューブがあったほうがいいと考えるか……これは人によって違います。
うちはもう夫婦喧嘩の種で(笑)。

じゃあ、どっちが正解なの、どう考えればいいのかは、なかなかに説明しがたい。
有賀さんの本ではそこがとてもわかりやすく書かれていて、なおかつ、どっちかを否定したりしない
基本的に野菜から十分に味が出ているから、入れるとしてもコンソメキューブ4分の1個とか、それで十分、と書かれています。
野菜からしっかりだしが出ると、補助のためのコンソメキューブが有用であることもわかる。

有賀:下手したら8分の1ぐらいとか、角をとってピュッと入れる。
それだけでも、実は味ってグッと上がったりするんですよね。

三浦:有賀さんの表現で膝を打ったんですけど、「迎えに行く味」と表現されています。
コンソメキューブで味を補助するとしても、足しすぎない。
旬の野菜の味、とくに私はその匂い、フレイバーが大事だと思うんですけれど、それらが塗り潰されてしまわず、ありのままに残っていれば、こっちから感度を上げて、それを前のめりに探りたくなる味になる。
静かな空間の中で囁きを聴くというか……。

有賀:そういう意味でいうと、作るのは簡単なんですけど、味わうことが意外と難しいということも人によってはあるかなと思います。
ある意味、コンソメキューブみたいなものっていうのは味をコントロールしやすいので、誰が食べてもおいしいみたいな味になっていくんですけども。

やっぱり素材から出た味っていうのは、香りとか微妙な甘さだったりとか、いろんな食感も含めて、味を感じ取れるっていう訓練をやっていかないと、ちょっと物足りないなっていうふうになる場合もあるので。
そういう意味では、三浦さんの御本の中でも素材の風味を生かした味と、強くてわかりやすい味を「コンフォート」と「ファンシー」っていう言葉で使い分けられていたところがありましたよね。

三浦:コンソメキューブとかうま味調味料で底上げし、完璧に整えた味にはその良さがあります。
そっちを「コンフォート」な味と呼んでいます。
私は外食も普通に使いますし、それこそファストフードやファミリーレストランの訴求力ばつぐんの「コンフォートフード」を食べて育ちました。
いまでも食べれば爆発的においしいと思うんですけど、でも、そればっかりだと疲れてくるなっていうのは思っていて。
家ではうまさ爆発ではなくて、素朴でも、素材の風味がそのまま残っているようなものを作りたいと思います。

「コンフォート」に対して、「フレイバリー」=風味豊か。風味を楽しむ姿勢でいると、ふきのとうのような旬ならではの匂いを珍重したり、さらには外国のちょっと変わったフレイバーにはまったりもしますから、「フレイバリー」は「ファンシー」に通じます。
「風変わりな」というような意味です。
逆にそういうものを家で作らない限り、自炊ってやんないよねっていうのがあるんですよね。

有賀:外食の味とかお惣菜の味とかももちろんそうなんですけど、今や料理家が出してるレシピそのものも、どちらかというとその外食の味に近づけるようになってて、いかにプロの味に近づけるかみたいなことを一生懸命やってるんですけど。

私はそもそもの発想が全然違って、「いや、プロとか全然目指す必要ないよね」「プロじゃ逆にできないエリアが結構あるな」というふうに思ってまして。
家庭料理はやっぱりそこを目指していく方がヘルシーというか、健やかに暮らせるのかなっていうことはすごく思っています。

それはやっぱり、自分がずっと家で料理を作り続けて、悩んだりとかしながら、家族が喜んでくれないなとか、なんでうち子は好き嫌い多いのかなとか、だしの素を入れないと味が決まらないのかなとか、いろんな悩みを持ちつつもやってきて。
やっと最近たどり着いたところ……みたいなことなんですよね。
それは、野菜なり肉なり魚なりの、なるべく素材を生かして取り入れる。
その野菜が持ってるおいしさをどういう方向に生かしていくかみたいなことで。

会場参加者には「自炊者になるための26週記録ノート」と「だしらぼオリジナル缶バッジ」が配布された。

三浦:すべてのものにだしがある」っていうサブタイトルがありますけれども、これもなんとも味わい深い言葉で。

自分の本にちょっと繋げると、あらゆるものにはそのものにしかない個性が本来あるはずなんですよね。
極論をいえば、同じ風味のトマトは世の中に一個もない
それを楽しむっていうふうに姿勢をガラっと変えてみれば、自炊は全く退屈ではなくなるというか、いろんなことを面白がることができる。
トマトスープは日によって味が微妙にちがいますし、家の中ではそのちがいを失敗だと捉える必要はまったくないし、むしろ、ゆらぎがあって飽きないですよね。

そのちがいを楽しもうと思ったら、やっぱりコンソメキューブはゼロにしようとなるかもしれないし、補助が必要な場合でも8分の1ぐらいにとどめようか、となるかもしれない。そんな自炊の方向性が、有賀さんの本には最初からずっとあって。

有賀:そこに共感いただけたっていうのは、三浦さんが「風味」に着目しているからですね。
風味に気づくことによってそういう料理が可能になると。
けど、そこに気がつけないと、やっぱり「なんか足りないな」みたいになっちゃうっていうことがあります。

そういう意味で、三浦さんの本が「パンを焼く」っていうところから、そしてその香りを楽しむっていうところからスタートするっていうのは、すごく面白いなっていうふうに思いました。
でも、パンを焼いてその香りを嗅ぐっていうのは、ある意味めちゃめちゃマニアックというか、実験的だなというふうにも思います。

香りが自炊のモチベーション

三浦:実際、自分が朝、パンを食べる喜びって、香りですよね。
熱々の湯気が充満していて、割った時にふわってなるという。噛んだら噛んだで、今度は喉の奥を通って鼻先を抜けていく感動がある。
好きなお店で買ってきたら、そのお店のパンならではの香りがありますよね。
それがフランスのパンなら、そもそもフランスの食文化圏から届いた香りだと言えますよね。
ドイツのパンならドイツ文化圏の、そこでずっと何百年も暮らしてきた人たちが嗅いでいた香りがいま自分の食卓まで届いてしまっているわけですよね。
そういう面白さや感動が自分にとっては自炊のモチベーションですね。

有賀:香りって、記憶と結びついたりしてませんか?
なんかの香りがふっとした時に、なんかこうキュリキュリって時間が巻き戻って、あの時のあの香りだっていうことがあるように、すべての食材の香りが何かと紐づいてるなとか思って。

今回、私がこの本を書く時に、いろんなだしの知見を得るためにプロの方とかにお話を聞いてきたですけれども、その中で伏木亨先生という、うま味などを研究されている先生がいらして、一番面白かった話が「人の味覚って、すごい少ない」という話です。

味覚は甘みとか塩味とかうま味とかいくつかに分かれているだけだけれども、香りはものすごい数あって、そこはなんていうか多すぎて研究しようがないと。
しかも、その香りっていうのが無数にある中で、さらに組み合わせまで関係してくるので、たとえばキャベツの香りといっても、採れたてのキャベツと萎びたキャベツは違う香りがするし、今日のキャベツと昨日のキャベツも違う香りがするし、もちろん品種とかによっても違うし。
そういうことを私たちは嗅ぎ分けている。レシピにする時には同じ「キャペツ」という文字になるけれども、実はそこにすごく差があるのかなって。
その話を聞いた瞬間に、キャベツの種類がもう、ふわーって、増えるわけですよね。
先生の話から味の世界が一気に広がったというか、そういう体験をしたんですよね。

三浦:『だしらぼ』の中のインタビューで一番大事なのは「匂い」だって伏木先生も強調しておられますよね。
同時に、まだそのことは世の中で全然理解されていないことであるとも付け加えておられます。
やっぱりみんな味だ味だっていうわけですね。
食べログなんか見ても、味のバランスに文句を言ったりしてそれで終わるコメントが多いわけじゃないですか。
舌が気に入るかどうか、「コンフォート」かどうかはもちろんおいしさにとって非常に大事ですけれど、情報量でいえば、そんなに大したものじゃないわけですよ。

それに対して、香りの世界って、ものすごく広いんですよね。
有賀さんがおっしゃった個人的な記憶も関わるから、それでさらにいっそう豊かになります。
そこを面白がることができればモチベーションも上がるし、日々の料理が楽しくなります、ということを自分の本では力説した次第なんです。


有賀:さっき私が「トーストの話って、結構マニアックですよね」っていうふうに言ったんですけど、それはやっぱり「風味」っていう言葉に対してみんながまだピンときてないような気がするんです。

たとえば、テレビだったらグルメ番組とか見ても、お肉が「柔らかい」とかいいますよね。
それから「サクサクしてる」とか「とろっとしてる」とか、食感に関してはみんなが共通して持ってて。
あとは「甘さが控えめ」とか「塩加減がちょうどいい」とか、そういうのは割と共有しやすい情報なのかなと思うんですよ。
でも、香りって本当に表現しづらいというか意外と難しいから、テレビみたいに大勢の人が見るようなところでそういう話をしだすと、わかりづらくなっちゃいますよね。
だから、言われない。でも、言われないとみんなが認識できない。

三浦:匂い研究って、ここ20年ぐらいですごく飛躍的に進んだらしいんですよね。
要するに、遺伝子解析なんかで嗅覚の機能がどんなふうに作られているのか、分子生物学レベルで次々とわかってきていて。
なんとなく人間の鼻って、犬に比べればかぎ分ける力がないとかって誤解されがちなんですけれども、そうではないと。

伏木さんも書いておられたけれども、一回嗅いだ匂いは何十年経っても忘れないような、それぐらいの解像度を持つことがはっきりしてきた。
食べ物の喜びを担うのは匂いの情報だっていうことが、わかってきてるんですよね。
それを意識して料理をする。
だしもそこから考える、ということだと思うんです。

水彩画的なスープ作り

有賀:だしっていう時に、私たちが一番注目するのは「うま味」だと思います。
グルタミン酸とかイノシン酸とか、そういううま味をいかにして上げるかということを考えるわけで。
そういう意味で一番有効なのは、インスタントだしですよね。
うま味をコントロールするという意味では非常に便利なものであるんですけど、当然ですがとりたての昆布かつおだしとは香りが違う。

その香りの部分に注目していくと、エブリシングだしのように「どんなものからもだしが出る」って言った時に、うま味にどんな風味を足していくかとか、 あるいはどんな風味を消していくということによって、いろんなだしのとり方が出てくるなっていうことをすごく感じるんですよね。
足すだけじゃなくて、引くみたいなこともあって。

三浦:スープ作り、あるいはだし作りにおいては、引くのも必要である。
欠点が出ないように、カバーすることも必要だということですよね。そこを押さえた上で風味を楽しむっていうことではあると思うんですけど、僕がやっぱり強調したいのは、有賀さんのスープの世界は、とても自由で、それが本当に素晴らしいということです。

特に、今回いろいろ読み返してきたんですけど、最初に出された『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)……
最初に出した本って、ある映画作家が最初に作った映画とか小説家が最初に書いた小説とかと同じで、なにか特別だと思うんです。
実際、とても多くのことが詰まった本だと思ったんです。
ある時スープ作家になるとお決めになって、毎日いろんなスープを作って、無限にバリエーションが出てくる。
それがこう自分の自由を実現する行為にもなっていて、もしそれをやってなかったら毎日変わり映えのしない生活だったかもしれないって書かれていて。
毎日違うスープを作るのは小さな創造行為だと思うし、自分の実現だと思うし……本当に感動的ですよね。

それで、面白いなと思ったのが、有賀さんがスープ作りの前になさっていたのが水彩画を描くことなんですよね。
キャンバスに好きな色を塗っていく、それと同様に、スープを作られたのではないか、などと想像しました。
色彩の組み合わせということだけでなくて、野菜一つひとつが持っている風味ですよね、キュウリにはキュウリの風味があって、それとショウガとワカメを合わせてみるとか。
絵には一点として同じ絵ってないじゃないですか。
スープも同じなんでしょうね。

有賀:今の絵の話で言うと、料理って水彩的な料理と油絵的な料理があって、油絵ってすごい構築的なんですね。
下地を作って上にこう乗せていって、下の色が透けるのを計算してまた被せていくとか、そういうふうにしていくんですけど。
水彩っていうのは替えが利かないので、たとえば水で濡らして色をつけて、そこにポって別の色を落とすと滲み合うんですよね。

それを自分でコントロールできない
ある程度ワーっとこう、偶然みたいなものもあって、それを見ながら次の手を考えるってことなんですけど。
私が朝のスープを作る時はまさにそうで、とりあえず起きて、冷蔵庫の中を覗きます。
パっと決まる時もあるんですけど、全然決まらないことがあるんです。
そういう時は、とりあえず野菜を刻んで、鍋の中に入れて煮てみる。
で、煮てみたらこんなになったから、 これだったら塩だけでいけるかなとか、じゃあ味噌にしようかなとか、そんなふうにしながら作っていたので、多分私は水彩型の人間なんじゃないかなと。

三浦:有賀さんの本を読むと、レシピを試したくなりますし、そうすると発見があって、やっぱり大胆だなと思う。
たとえば、キュウリのスープも好きですね。
キュウリをスライサーで切って、スープの中に入れて30秒間茹でて火を止めると、シャリシャリとした食感が残り、爽やかな青っぽい風味が立つ。
キュウリをスープに入れるって、日本料理では基本的にないですよね。
でも、有賀さんにとって家のスープ作りは全然自由で構わないというスタンスですし、飲んでみるとおいしいんです。

有賀:そういう意味では、セロリのスープとかも料理教室とかでやったりすると、あんまりセブリのスープに入れることありませんでしたって。
ミネストローネとかね、香りづけに入れたりすることはあるけれども、私なんかはもうセロリがメインでドカドカ入れるみたいなスープを作るんですけど。
生で食べる野菜をちょっと量を入れることで、香りや食感を残しつつ、生とはまたちょっと違ったようなものができるっていう。

三浦:何をやってもいいっていうか、減点法というより、バランスが取れる範囲ではある程度何をやっても加点法になる感じがする。
ちがいを楽しめばいいわけだから。それが水彩画的なスープということの意味かもしれないですね。

質問タイムも盛り上がりました!

お客さん:私はレシピがないと料理ができないタイプなので、工場のようだなって。
ラボみたいに料理を楽しめるようになりたいな……なんて思いながら、お話しを伺ってました。
風味とかだしの揺らぎを楽しむのって、結構技術が必要だなっていうような印象を受けていて、味の違いを感じるとか、それを言葉にするとか、そのスキルがないから自分はみんながおいしいと思う市販のものを食べるというところがあるんです。
そういう感じ取る力をどういうふうに磨いたらいいのかなって、もしいい方法とかあればお伺いしたいです。

有賀:まさに三浦さんの本って、そういうトレーニングかなって思ってます。
一個一個読んで実践して、いろんな違いを感じ取るだけでも全然違うから。さっき私、スープラボの話をしましたよね。
昆布って四種類あるんですけど、それって一回ずつ使っても全然わかんないんですよ。
だけど、四つ並べて味比べすると、やっぱり違いがわかるっていうことがあるので。
そうやって時々、ほかにもトマトを二種類買って食べ比べてみるとかっていうのは、意外とトレーニングになるかなと思います。
あとは、とれたての野菜や魚みたいなフレッシュなものを食べるとやっぱり全然違うので、それで感覚が磨かれていくっていうことはあるかなと思います。

ファッションとか美術とか、そういうものも見ていくうちに目が肥えることとかありますよね。
そういういろんな味があるっていうことを感じ取ること。
いつも同じ味を求めているとそこから出られなくなってしまうので、いろんな味の世界に飛び立つと楽しいことがあるかなと思います。

三浦:あとこれも関係すると思うんですけど、音楽的な発想で味を捉える人と写真的に捉える人がいるのではないかという仮説を私は持っておりまして……
ひょっとしてずっと音楽教育を受けてらっしゃったりとかしませんか?
和音がピタッと決まってないと気持ち悪い、バイオリンなら音程の合った音がちゃんと出てないと矯正されるっていう、そういう感覚で芸術全般だけではなくて世界と向き合うタイプの人っていらっしゃると思うんです。

僕は映画が専門だから写真的に発想するんですよ。
スナップショットは世界の断片だから、それだけで豊かで、複雑な意味に満ち満ちているわけですよね。
人の顔の写真でも動植物の写真でも、見ればみるほど発見が尽きない。
作品にするには、多少引き算をして整えればそれでよいというか……。
おいしさを求めるとき、この2つの傾向があるのかなと思うんですよね。

有賀:私、それすごい発見だなって思いました。
確かに料理していると、調味料とか小さじ一杯とかきっちり計らないと作れないっていう人と、もう教えてもその通りにやらない人の二通りあるんですよね。
完全に分かれるので、今おっしゃったように、料理の方法がどんなふうに味を捉えてるかってことによるんだっていうのは、目から鱗な感じがしました。

三浦:音楽教育の基礎の場合のように、調性やハーモニーをきちんとしようとする性向をお持ちなのだとしたら、料理においてもそれはそれで素晴らしいことだと思うんです。
それをベースに活かしつつ、さらにスナップ写真の美学のようなものをちょっと添えていくと、もうちょっと気楽に、個性的なおいしい料理ができるようになるかもしれませんね。

お客さん:ありがとうございました!

***

<イベント概要>
『有賀薫のだしらぼ』『自炊者になるための26週』刊行記念トークイベント
だしと風味のハーモニー~料理をもっと楽しむための序~

日時:2024年6月11日(火)19時~20時半
場所:青山ブックセンター本店

有賀 薫(ありが かおる)
スープ作家。家族の朝食にスープを作りはじめ、10年間毎朝、SNSでスープのレシピを発信。シンプルで役に立つ料理や家事の考え方を生活者目線で伝えている。著作多数。料理レシピ本大賞に入賞した『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)と『朝10分でできるスープ弁当』(マガジンハウス)のほか、『私のおいしい味噌汁』(新星出版社)、『ライフ・スープ』(プレジデント社)など。

三浦哲哉(みうら てつや)
青山学院大学文学部比較芸術学科教授。映画批評・研究、表象文化論。食についての執筆もおこなう。1976年福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。著書に『サスペンス映画史』(みすず書房、2012年)『映画とは何か――フランス映画思想史』(筑摩選書、2014年)『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店、2018年)『食べたくなる本』(みすず書房、2019年)『LAフード・ダイアリー』(講談社、2021年)。共編著に『オーバー・ザ・シネマ――映画「超」討議』(フィルムアート社、2018年)。訳書に『ジム・ジャームッシュ・インタビューズ――映画監督ジム・ジャームッシュの歴史』(東邦出版、2006年)。

<関連書籍>