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人という華が枯れるとき。/散らかる文。青紗蘭

ももまろちゃんの記事を読んでいたら刺激を受けて書きたくなり、いま書いている。


さて、人という華があるとするならば。美しい華とは?醜い華とは?何か考えてみたくなった。

私の考えからすれば醜さとは、相手を見下したときから始まる。

相手の容姿から始まり。心を全て知ったかのような口振りで、蔑み、貶し、辱めるならば。
その人間の華は、残念ながら醜さを自身で選びながら、毒を吐くように腐り落ちてゆくだろう。最後には枯れたことにすら気が付かないという一番恐ろしい姿が、残るのであろうなと考えている。

一方、美しい華とは、相手の異なりや良さを認めるとも決して比べたりしない。唯一の華であるのだから、比べる必要がないのである。そして、自身をよく見つめ自身を知り、受容とともに自分の美しさとは何かを探究するものである。

私は、美しさとは醜さを知り、それに対してどう接するのかによって変化するのだろうと今のところ考えている。

誰が何と囁こうが。
それは、その人の限定された範囲での感想に過ぎない。

美しさとは、(あなた自身の)心と振る舞いによって磨かれてゆくのだろうと思っている。

美しいものは、時によっての変化をもってしても奪うことはできない。寧ろ、唯一の華を輝かせてくれる最高の後押しとなるだろう。

枯れぬ華になることは、容易くは無いが不可能では無い。



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