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私がライターになったわけ
私は今年でライター歴が8年目に突入しました。
ライターといっても、それこそルポや評論、コラムなんかを書くのではありません。Webで検索してみても、自分の名前が出てくるなんてことはなく。
ただ客先に依頼された文書を作り上げる、それが私の仕事です。
私がこの仕事を始めた一番の大きな理由、それは「自宅でできること」でした。
私は元々文章を書くのが好きでした。読書感想文でも1人で3枚も4枚も書くような子どもで、大人になってはそれが高じてアマチュア放送演劇の脚本書いたりもしていました。
しかし、それはあくまで趣味の話。仕事は別に持っていたのです。
それが、全くできなくなった。
理由は簡単です、”病気になったから”。
それは誰しもなり得る、現代病、「うつ」です。
うつになった話はまた別に書くとして、とりあえず、仕事にはいけなくなりました。
自宅から一歩も出られれない時もありました。ただ、日がな寝ているだけ。
一気に体重はうなぎのぼり。あっという間にデブまっしぐら。
まぁ、それは置いといて、とにかく社会との隔離生活が何年か続きました。
そうこうしているうちにうつがだいぶ良くなってきた、と感じられた頃でしょうか、パソコンでとある求人サイトを知ったのは。
そこには自宅でできる仕事と思わしきものが、いくつも並んでいました。
私はそれを見ているうちに、社会と隔離されている生活から抜け出したい、なんとか自分も自分の稼ぎを作りたいと思うようになっていったのです。
元々持っている性質からか、一度こうと思い立ったら、やらなきゃ気が済まないのが私の悪いクセ。
自分にできそうなことはないかと目を皿のようにして、そのサイトを見ました。
そこにあったのが「リライト」の仕事です。
私がやったリライトは、元々ある文章を書き換えて、同じ意味なんだけど違う文にするというものです。
1つの文章を5パターンに書き換えて、という依頼だったと思います。
「これなら私にも書ける」
私はその仕事に飛びつきました。
やってみると、それは意外とすんなりと受け入れられ、私は幾ばくかのお金を手にすることができたのです。
「これなら自宅にいながらも、社会と繋がれる」
一筋の光明を見たような気がしました。
それからは、同じようなリライトの仕事や簡単なライティングの仕事を探して、請け負う日々が始まりました。
ですが、まだその頃は自分がライターという仕事をしているのだという認識はなかったのです。(単なる内職的な感覚)
ライターとは、それこそ雑誌や新聞、本などに寄稿する人だけだと思っていたから。
しかしとある企業と出会って、そうではないということを知ったのです。
私はその企業の仕事を請け負うことができるチャンスを得ました。
ただ単にネット上で「これ宜しく!」「できました!」「お金払うよ!」というやりとりしかしてこなかった私が、その企業とちゃんとした契約を結ぶことになったのです。
その契約書には、報酬のことから守秘義務のことまでしっかりと書かれていました。
私はこの時、自分が「ライター」という立場にいるのだということを知ったのです。
私はそれまで仕事のことを聞かれたら「内職」としか言ってきませんでした。
しかしその契約をキッカケに、私は自分の仕事を「ライターの端くれ」と言うようになりました。
その企業との仕事は2年前に終わりましたが、別口で同じような事をする企業を知り、そちらとのお仕事は今でも続いています。
そして今年、個人事業主=フリーランスのライターで独立することになりました。
今は色んな仲介サイトを回って、新しい仕事を手にするべく、営業活動をしています。
私がライターになったわけ、それは病気からスタートしました。
しかし、今はこの仕事に出会えて良かったと思っています。
自分がどこまでできるかわからない、けれどできる限りのことをやろう。
そう思って、今日もパソコンと向かい合う日々を過ごしています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。