ピクサー作品「WALL・E」感想
この作品、リアリズム色の強いSF。
AIが発達しまくった情勢が最悪の方向へ進んでいくと、今作の世界になり得るのだろうな、と考えている。今、我々が暮らしている地球が、700年後には本当にああなってしまうかもしれないという、好奇心と恐怖心を掻き立てられる。
劇中内でペーパーレスや、ネット・テクノロジー依存の現代を表現しているかのように思える描写がある。WALL・Eで描かれた2800年代の世界においては、人間たちの住まいは宇宙空間。移動手段は「浮く椅子(ホバーチェア?)」なのだ。コミュニケーションや売買も全てホバーチェアに付属しているホログラム上で完結させている。その結果、運動すら疎かにして足腰を極限まで使わず、やがて肥満体質となり、挙句の果てに人間としての骨格が変形してしまっている。無重力状態による骨格変化が伴っていると言えども進化の過程をすっ飛ばしている過剰演出なのではないだろうか。しかしこれが足腰を使わなくなった人間の進化の末路だと想像することは容易い。
そもそもスマホが主流ではなかった2008年公開の映画にも関わらず現代のネット社会を反映させつつ、起こり得るおぞましい未来を描いていることに衝撃を受けた。
荒廃した地球に聳え立つゴミの塔、全てウォーリーの手柄なのだろうか、そう考えると何十年どころか、何百年もこうして働かされていたのだろうか。(あらすじを参照すると、700年間ゴミを圧縮し続けたらしい)
2800年代のロボットは、全員感情を持っているように見える。現にウォーリーに関しては音楽を嗜み、恋愛感情も司る、感情豊かなロボットのようだ。ただ、どうやらウォーリーは量産型のようで、主人公の個体が荒んだ道を走っている傍らでは、既に魂が抜けたように故障した何十もの別個体ウォーリーが映っている。
劇中で稼働しているのは主人公の個体のみだったため、おそらく彼は彼自身で修理をし続け、任務を遂行する毎日を根気強く生きていたのだろう。逆に、もしも既に動かなくなってしまった個体に、感情が宿っていたのであれば、、、この荒廃した地球に対する呆れや失望、刺激の無い単純作業の毎日に嫌気がさすなどして、ロボットの生からリタイアしたのだろうか。そう考えるとまた、主人公の個体に対して益々切ない気持ちを抱いてしまう。
そんな主人公ウォーリーの感情表現は、Pixar作品の中でも群を抜いている。同じくロボットであるイヴは液晶で作られた目で、笑顔や怒り顔などデジタル的に表現しているのに対し、ウォーリーはというと、目がカメラのレンズ。イヴと比較するとアナログ的に、カメラという''モノ''で感情の移り変わりを描写しなければならない。しかし、レンズのズーム機能やレンズに映るハイライトを駆使し、見事に感情を宿している。切なげでもう撫で撫でしたくなるような哀愁が漂っている。そして、彼が''ハロードーリー''の手を繋ぐシーンを見ている時、明らかに、羨望の眼差しになっている。カメラでできた目のはずなのに、ウォーリーが感動しているのをしっかりと表現しており度肝を抜かれた。
あと、かわいい。ウォーリーかわいい。
今にも壊れそうなオンボロロボットから発される純真無垢で拙い言語を聞くと心が持たない。
イヴとウォーリーが宇宙空間でダンスするシーン、良すぎ。オンボロロボットだけど実は高性能なウォーリーの学習機能は長けているようだった。地上でガラクタ集めをしていた際に消火器をブシャーってぶちまけて身体が吹っ飛びそうになるという散々な目にあわされたのを学習し、消火器の噴出を駆使して無重力空間での移動を可能にしているのだ。
消火剤が織り成す歪な軌道もまた、ウォーリーのちょっと抜けた性格を表しているようで、スマートでインテリジェンスなイヴの直線的な軌道との対比も感じられる。
お互いのおでこを触れ合わせ、静電気が僅かに発生するシーンは、ロボットの恋愛におけるキスなのだろうか。それを食らったウォーリーは一気に身体の力が抜け、放心状態になり、無重力に逆らうことなく、宇宙空間を数秒漂ってしまっていた。悦に浸った際の''フワフワ浮いた感覚''という比喩表現が、無重力状態だからこそ直接的に映像表現がなされている。宇宙空間とラブコメディの相性の良さを感じた。
このWALL・Eという世界は、全てBNL社(Buy and Large)という会社が取り巻いていると言っても過言ではない。
荒廃した地上には、ゴミの塔の他にもスーパーマーケットやガソリンスタンドなど、廃屋がいくつも映っているが、そのどれにも「BNL」というロゴを掲げている。驚くべきは、地面に落ちている紙幣らしきものにもBNLという表記が。
ゴミ圧縮機であるウォーリーを量産したのもBNL。宇宙への逃避行を実行したのも、宇宙船を作り上げたのもBNL。
そして、先述のテクノロジーに特化した宇宙船内の生活を提供しているのもBNL。
世の中のすべてを運営している、政府と肩を並べる程の巨大組織のBNLは、宇宙船内で不足なく生活できる、テクノロジーに特化したユートピアを作り上げた。裏を返せば、このユートピアはテクノロジーの支配下にあった。
''支配''について印象深い描写が2つある。
まず1つ目は艦長とロボット(オート)の関係性
宇宙船の艦長の起床時は「みんな集合」という一言だけで艦長直属のロボットたちが、化粧や肩たたき、帽子を被らす等、もはや人間の四肢を極限まで使わないようにさせてあるのでは?というレベルのサービスを施している。そんな艦長の仕事は時報のみであり、船の操縦はというと、舵輪の見た目をした「オート」というAIに任せている。また、艦長がオートに向けてなにかを指示をすると、アレクサのように受け入れ、実行する。映画の終盤では、艦長とオートの立場が逆転する場面があるが、ここで艦長も「このままではいけない」と自覚したのだろう。
2つ目は数秒の教育シーン
保育園のような場所で、ロボットがおしゃぶりを加えた赤ちゃんたちに対してアルファベットを教えている。その内容が
「A、Axiom(宇宙船)。あなたの家」
「B、BNL。あなたの友達」
というものだ。
廃れた地球の存在を抹消させるかのように、テクノロジーで造り固められた宇宙船内の世界に溶け込ませる洗脳教育を施しているのがまたおぞましい。
この世界は、BNLが普及させたテクノロジーによって支配されている。
幸い、ロボットによる反乱がありつつも、WALL・Eという作品はハッピーエンドに帰着し、地球での文明の再発展を連想させるエンドロールが流れて後日譚は終わる。ディズニーとピクサーのロゴが最後に映されて「はぁ、よかった」と一息付いていたら最後
「BNL〜〜〜〜〜〜〜♪」
とサウンドロゴが流れる。
は、、、、、、、??????
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なんなんだよこの映画!!!!!
となりました。
「ウォーリーとイヴ、宇宙船アクシオムと、、、うちの企業すごいでしょ?」
と自社を宣伝しているような
または
「アクシオム船内の住人のように、今この作品を見たことによって娯楽に時間を消費されてしまったな?」
と煽っているような
はたまた
「WALL・E、怖かったね。じゃあお前はどうなんだ?この映画を観ている媒体はなんだ?」
と警鐘を鳴らしているような
なんともいじらしく、嫌味ったらしい終わり方だった。自分のこの作品に抱いた感情すべてが「この映画は、BNLの提供でお送りいたしました」 と言わんばかりのサウンドロゴに吸い込まれ、BNLの手のひらで踊らされていた感覚に陥った。
総じて、この作品はSF屈指のラブストーリーであり、ピクサー屈指のディストピア映画だとおもう。そして最後、直接的に「じゃあお前はどうなんだ?」と視聴者にまで語りかけてくるような演出で最後まで気が抜けない。
こんな未来にならないように、今、AIに支配されないような人間らしい生を歩んでいかなければならない。そんな気がする。
という文章を書いている間も、「BNL〜♪」が頭から離れず、こんな事に時間費やして大丈夫か?ともどかしい気持ちになりました。
WALL・E好き。WALL・E怖い。
おわり