私の人生・・

人生50年(敦盛‼か⁇)

公立の幼稚園ー期生 昭和26年社会福祉事業法公布で5歳児で入園
当時入園費は取られなかった・・と思う 送迎バスも無く給食もなく
本当に託児所だった、保母さんは教職員で公務員で年齢は高かった
朝の八時からお昼まで四時間・今では珍しく道徳の時間があったのを
思い出す、何でもGHQの肝入りで公布されたらしい
園何て気の利いた建物もなく市町村の建物の空いてる処に設立された私の
町内では伝武殿と呼ぶ武道所に間借りしていた、此処は町内の若者に
柔道・空手・剣道・茶道などを指導する場所で、その日予定のない場所が
園だった、伝武殿の看板の横にそぐわない○○町立幼稚園なんて看板が
出てたのを何の戸惑いも感じず毎日見ていたものだ 主だった指導者に
お世話になりました・・と園児一同で挨拶したのを覚えている
柔道・茶道 は畳敷きの部屋だったが剣道・空手は板張りの道場そのもの
こんな環境で二年間 此の頃は楽しかった毎日演武が見れたのだから・・
明日は卒園という時に練習生が皆で見送ってくれた・・良き時代だつた

さあ修行の始まりです・・

この町は東西南北に学区が分かれて居て 学区毎に東・西・南・北 ○○町立
東小学校等と呼称していた、因みに私は南小学校 伝武殿の隣だ
幼稚園の二年間、間近で見ていた剣道に憧れて この道場に通いたい・・と
思ってた、母にその旨話すると母は女子師範卒で薙刀を遣ってたそうで
あの道場で剣道をおしえてる人が母の友人(この方も母の薙刀友)の旦那
とかで話はその日の内に決まった
しかし難問が出てきた、小学生の練習着が無いとか、私は私服で遣ると意地を張る、じゃあ普段着で来なさいと承知してくれた
さぁそれからは大変、小学校一年生は午前中で終わる 家に帰るが早く道場に
道場では先ず一礼 畳の間で座って土下座(最上級の座礼)です聞く処では
この礼に対しては道場・流派毎に違いが有るそうです
次いで板の間を拭き掃除、これが思ってた以上に大変 濡れ雑巾を硬く絞り
拭き後に水一滴も残してはいけない、残ってるとその場から来た方向へ戻り
再度同じ位置の拭き掃除、最初の拭き掃除は50帖ほどの道場を拭き終わると
小一時間その後 入り口を背に畳の座にで正面(神棚)に向かって正座これも
辛かった、こうして剣道の修行が始まりました         (次回)


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