初詣したくても遠出は無理・・なので地元の善光寺へ出かけた、凄い人出だ 一時間待つも一寸たりとも動かない やはり二年参りは無理だ と諦め三が日も 諦めて四日過ぎの参拝に切り替えた、正解だ あの時の人出は嘘の様に空いてる 必要なお札も買えたし、茶店で暖かい お汁粉喰えたし ‼
人生50年(敦盛‼か⁇)公立の幼稚園ー期生 昭和26年社会福祉事業法公布で5歳児で入園 当時入園費は取られなかった・・と思う 送迎バスも無く給食もなく 本当に託児所だった、保母さんは教職員で公務員で年齢は高かった 朝の八時からお昼まで四時間・今では珍しく道徳の時間があったのを 思い出す、何でもGHQの肝入りで公布されたらしい 園何て気の利いた建物もなく市町村の建物の空いてる処に設立された私の 町内では伝武殿と呼ぶ武道所に間借りしていた、此処は町内の若者に 柔道・空手・剣道・茶
出雲大社は平成の大遷宮です、遷宮落成記念として御本殿の天井画の公開 が平成二十年 八月 十五日 朝九時より三十分毎に催行されます 前日若狭の 美浜に宿泊し 今日の午後三時の予約の時間までに出雲大社に着く予定です 今夜宿泊予定の旅館で着替え(平服では参拝は駄目) 旅館で着替えて大社へ 拝殿横の仮設のテントで受け付け・参拝の時間を待ちます 御本殿の天井画は八雲之図・八雲之図と言いながら七つしか描かれてません 諸説あるものの、納得できる説は未だ未完成・通常は御本殿内は参拝できず
2022/02 PCの先生にNOTEを勧められ始める様になった 右も左も分からぬ侭に10か月を無駄に過ごした 沢山の先輩方を手本に此れからは進めて行こう 2023は心機一転 頑張ろうと決心した、果たして如何なるか挑戦だ‼
生まれは1944年 戦中派か⁇戦後派か、終戦が1945年だから戦中派 昭和生まれで気性は頑固で融通の利かない一徹者で難儀しました‼ 故あって社協で高齢者介護に関わり、現在も市の福祉課とはお付き合い させて戴いてます、福祉課の職員に同行し(福祉住環境コーディネーター) としてのアドバイスをしてます、この職種は高齢者の自宅改修などの際 必要なもので、設計・施行には必須な資格です 年に二回の試験を独学で 三回目で合格しました、ハンディ・キャブの講習も受け現在に至ります
まさか私が・・ 1993年10月18日 満50歳の誕生日の夜、寝てると息苦しさを覚え 階下の キッチンで水を飲む、実はひと月位前から不眠と食欲不振に悩ませ られてました、知合が勧めてくれた町医者に罹ってましたが 症状は変わらず 寧ろ悪化してるようで気にはなってました その年の暮れには二階の寝室でベッドで寝れなくて階下のテーブルに 腕枕で寝てました・・この方が寝れるのです・因みに二階への階段も 息苦しさ(動悸)で登れなくなってました 耐かねて年明けの新年早々に 日赤の窓口を
二十年前の私
行政の立場 以上の観点は国の立ち位置から、では当の市区町村の反応は・・ #私だけかもしれないレア体
伊勢志摩の海はコバルトブルー 伊勢志摩と言えば賢島、確かに志摩半島の真ん中だから仕方ない でもその外側は的矢湾です、私の目指すのは その湾に小さく突き出た 汐岬 ここに目的のホテル・サンベルラ志摩が在ります 一応 温泉と言ってますが天然温泉では無く 何とか⁇言う鉱泉です 天然温泉では無く、鉱泉を沸かしたもので準温泉と称してます‼ 唯唯一残念な点です、さすが伊勢 魚介類の豊富さ 又その旨さ スタッフの接客も 至れり尽くせりで 文句の付けようがない だけに 残念 ・・勿論 景色
伊勢神宮参拝 参拝に順序が有るなんて知ってました⁇ 先ず二見神社・外宮・そして内宮参拝 内宮と外宮は若干距離があるが何方か一つだけの 参拝は片参りとして、御利益も少ないとか 熊野三山 巡ります・・とは言え簡単では無いんです、そう戸津川へ 出なければならない、其処迄の道は かの有名な酷道 死にGO (国道425号) 竜神を出てから牛廻峠までは 右手に川を見ながら林道⁇を走ります 峠を越えた途端に路肩に 落ちたら死ぬ なんて看板が出てます、路肩の ガードレールすら無いんです
車で行くと四泊五日です、勿論あつちへ行ったり、こっちへ行ったり 高速で福井県敦賀ICで下りて小浜・舞鶴・宮津へと向かう、宮津は 日本三景の一つ松島・天橋立・安芸の宮島・・海の中道・・これが砂州とは 宮津の対岸に籠神社が立ってます、元伊勢と言うんですね その名の通り 伊勢の伊勢神宮は此処から伊勢へ移ったのです、でも目的地は未だ先です 行った時は雨でした籠神社には宮津側から乗り合いのモーターボートで行き 参拝しました、ウミガメに乗った神様とか
#旅のフォトアルバム 大阪南港より新門司へ上陸後レトロな門司港へ行きビール工場を見学レンガ造りでレトロ感最高‼