第二部完 あとがき『夢をかなえたら本当の夢をかなえよう』【長編物語】
日本二周の旅がほぼ完結しました。
ここまでのおつきあい、みなさんありがとうございました。
この物語を書き進めるにあたって、ぼくは当時のメモ帳を見て記憶を掘り起こしつつ綴っています。
嬉しかった発見は、通算ヒッチハイク台数は今まで198台と思っていましたが、数え間違えていたことが分かり、200台でした。
どうでもいいことですが。でも、きりがいい数字になってよかったです。
ところでメモ帳を見ていると、東京にようやく戻ってきたあたりから急激に記録がなくなります。
「〇月〇日 〇〇で、〇〇と飲み会」
「〇月〇日 ライブの打ち合わせ」
数日おきにその程度の記録。
メモだけでなく写真もほとんどありません。
これは何を意味するかというと、ホームでの生活がいかに変化のない生活なのかということです。
ホーム東京での日々は、記録したいと思うことがなかったのだと、メモ帳を見ながら思います。
反対に言うと、一歩家を出ると、それは毎日出会いと事件の連続になる。
移動をするということは、それ自体が最低限の興味を引く記録の対象となるということです。
記録が少ないもう一つの原因は旅のモチベーションです。
ホームにいること自体がどうしても安住の地であるために旅のモチベーションを削っていきます。
東京でも様々なことはそれなりにありました。でもあったとしても、書き留めて行こうという気も起きにくくなったのだと思います。
だって、東京で何かしても、みんな以前から知っている人とばかり会うわけです。
それに神奈川や埼玉などに行くにしてもヒッチハイクもほとんどなし。毎回勇気を出して張りつめた気持ちで行っていたヒッチハイク。それをしないことで、どうしても逃げの姿勢に流れていきやすい。
記録にしてしまうと逃げている自分がばれてしまう。そういう心理もあったと思います。
当時から「いつかこのメモを物語にしてやるんだ」と決めていたら違っていたかもしれません。
その気持ちが当時ゼロだったかというとそうでもないのですが、そもそもこの当時気持ちが落ちていたということも記録がないことの一因だと思っています。
そして、東京に戻ってきたぼくは、ホームでの変化に乏しい生活を味わいつつ、「この先旅を続けるのか、東京に戻るのか、はたまたどこかに移住するのか」ということを嫌でも考えざるをえなくなっていきました。
いや、それは必要なことです。次のステップへ行く段階に来ていたのは間違いないので。
しかし、「日本二周がもうすぐ完結するぞ!やったー!達成だー!」などという陽気なモードではなく、「この先どうしよう。でもまだ完結していないし。気が重いなあ。でも、とにかく目の前のことをしっかりやろう。」と、そんな感じだったのです。
そして沖縄へ再び渡り、そこから完全に旅の記録はなくなりました。
残っているのは、もう一つのノート。これは事実を書くノートではなくて、心に浮かんでくる言葉を書き綴るためだけの、歌の創作につなげたい方のノートです。
この当時、いかに精神的な方へ傾いていたかが伝わってきます。
ここからぼくは旅の現実をこなしていくことが終わり、旅人という鎧を失った後の裸の自分、「旅を終えたらどうするか」ということと向き合っていくことになるのです。
第3部はその中で心が流転していくSEGEの物語になります。
また、この物語は第1部、第2部はノンフィクションでお送りしてきましたが、第3部は一部フィクションをまじえてお送りしていく予定です。
いよいよこの長編の本題に入っていきます。
しばらく公開までには時間をいただきますが、ぜひ楽しみにしてお待ちください。
最後に。当時「猿旅動向日記」としてホームページでぼくの動向をアップしてくださったアマナットさん。ありがとうございました。
すでにnoteの連載を始めている際中にその存在を思いだし、ホームページを探しましたがとっくに閉鎖されており、「でも自分で持っているかも」と思いデータを探したところ、自分でちゃっかり保管していました。
おかげで、自分がノートに記録していない情報もそこにたっぷりと載っていて、失われた旅のピースや出来事の順番がよみがえる助けとなりました。
途中からはそちらの記録も参考にしながら書かせていただきました。
本当に感謝しています。
記録って本当にすごい力ですね。
ではみなさん、またそのうちお会いしましょう。
SEGE
※この物語における人物名は夢有民牧場のムーミンさんなどの数名を除いて仮名です。