マスメディアで書くということ
「あぁ。瀬川さんも、その課題にぶつかりましたか」
僕が、このところずっと感じていたライターとしての課題を話したところ、編集者のAさんはこう言った。
なるほど、いま僕が持っている課題はマスメディアで書く多くの書き手がぶつかる課題なのかと、すぐに悟った。
僕は、せっかく書いた記事は、多くの方々に読んでもらいたいし、次にまた読んでもらうためにも、一人でも多くの人に認められたいと願う。
だけど、いわゆる不特定多数の読者がいるマスメディアで書いていると、記事を公開して、沢山の人に読んでもらったとしても、それで自分に何が残り、何が積み上がっているのかが、よくわからなくなるのが、ここ最近の大きな課題だった。
この課題と向き合うことが、僕がnoteを始めた理由の一つでもあるのだが、その編集者は、マスメディアで記事を書くことを、
「谷に向かって小石を投げるようなもの」
と例えた。その真意を確めたところ、つまりは、ライターである自分に跳ね返ってくることは、ほぼ無いということだった。
じゃあ、ライターは、どうやって自分の価値を上げるのか、を問うと、その編集者は、
「スクープしかない」
と返してきた。
また出てきたこのスクープという言葉。僕はこの時、ちょっとした違和感を覚えた。
その編集者との会話に噛み合わない溝のようなものを感じたのだ。
その溝の原因は、すぐにわかった。この編集者は、「マスメディアで書く上でのライターの課題」に対して答えたのであり、僕は、まだまだ、「マスメディアで書く」ということの意味や役割を理解していなかったことに気づいたのだ。
僕らは、人になにかを伝える時、声を出したり、身振り手振りで伝えることができる。つまり、人間そのものがメディアとしての役割を持つ。さらに、活字や写真というツールを介して伝える事も出来るし、それを、インターネットやテレビや紙などのネットワークを媒体にして、知り合いやファンに伝えることもできるし、マス媒体にのせて、多くの不特定多数の人に伝えていくこともできる。
なるほど。本来人間は、メディアとしての役割を全員が持っている。にも関わらず、不特定多数の人に伝えるために、マスメディアに寄稿しているのが今の僕の状況であるとするならば、その活動の中で、自分の価値をあげようと思うのは、たしかに、谷に向かって投げた小石が戻ってくるのを期待するような話なのだ。
マス媒体では、自分の価値を上げる場所ではない。不特定多数の人たちに届くように伝えることがマスメディアで書くライターの使命なのだろう。
僕は、少し前に、noteでスクープに興味はないと書いた。
不倫騒動などの低俗な興味・関心ごとを、あたかも、賢そうに情報を付加して報じることには、興味はない。このところ噴出しているパワハラをはじめとするスポーツ界のコンプライアンス・ガバナンス問題を、一斉に批判することにもあまり興味はなかった。
だが、それらは、いずれもマスメディアの役割の一部でもある。
自分自身のライターとしての価値はもっと上げていく必要はあるが、一方でマスメディアで書くということは、マスメディアの役割を全うするという使命があり、そこには、僕が感じている課題を介在させる余地はないのだ。
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瀬川泰祐の記事を気にかけていただき、どうもありがとうございます。いただいたサポートは、今後の取材や執筆に活用させていただき、さらによい記事を生み出していけたらと思います。