翻訳における補語の重要性(ふたたび)
中日の翻訳者さんにお聞きしたいのですが、中国語を日本語に翻訳していて一番苦労するところはどこかと聞かれたら、皆さんならどう答えますか?
私ならば、真っ先に思い浮かぶのは「時制の見分けかた」なのですが、その次ぐらいに来るのが「中国語の補語の処理の仕方」と答えるのではないかと思っています。
特にいま総書記・国家主席をしている習近平氏。演説の言葉の中で、この中日翻訳者さんの手を焼かせるような補語を度々使ってきます。その一つが、以前お伝えした「~出来」の使い方でした。
ここで私は習近平さんがよく使うフレーズとして「幸福都是奋斗出来的」という一文をご紹介しました。私はこれを「幸せは奮闘の結果得られるものだ」と訳したとお伝えしました。
このフレーズの解説については前回の記事を参照してもらうことにして、この他にも習近平総書記はよく一筋縄ではいかない補語の使い方をしてきます。先日発見したのは次のようなフレーズでした。
このフレーズ。皆さんならどう訳しますか。カギとなるのは「~不得」の処理の仕方ですね。
ネットの中日辞典は可能補語として使う場合の「~不得」の解釈として、「(一部の動詞の後に用い;能力・条件からいって)…することができない,(道理・状況からいって)…することが許されない,…してはならない」と説明しています。
では最初の解釈である「(一部の動詞の後に用い;能力・条件からいって)…することができない」と訳していいのでしょうか?
「この一部の動詞の後に」という知識を私は知らなかったのですが、最初にこの習近平総書記のフレーズを見た時、「最初の解釈はありえないな」と直感しました。なぜか。
一般的な常識から言って、世界を見ると核兵器を保有し、核戦争を発動できる能力を備えた国は米国、ロシア、中国など何カ国か存在します。ですから、「核兵器を使うことができない」と訳すのはロジック的におかしいということが分かります。
このためここでは、2番目の解釈である「(道理・状況からいって)…することが許されない,…してはならない」を適用するのが正しいと私は判断しました。
このため私は、この習近平総書記のフレーズにこういう訳を当てました。
加えて言うならば、原文中にある「打」をどう処理するかも、自然な日本語訳を導き出すための重要点だと私は考えています。
中国語の「打」はいくつかの意味があるのですが、ここの「打」はやはり「戦う」という訳が最適でしょう。しかし直前に「核戦争」という言葉がある以上、「戦争を戦う」と訳してしまうと「二重表現」になってしまいます。
これを避けるために「戦争をする」という表現にあえてしてみました。このような気配りこそが、「自然体な日本語訳」を導く上で重要なのだと私は考えています。
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ここまで解説してきましたが、中日のニュース翻訳をする場合にとにかく必要なのは「辞書の中だけの常識にとらわれないこと」だと思っています。
中国語を勉強した日本語ネイティブの人だととかく「動詞+得+補語」は「~できる」であり、「動詞+不+補語」は「~できない」だと理解しがちですが、翻訳の世界では「そうとは限らない」ケースもあるのだということです。
実は上述した「~不得」は、実際に中国語ネイティブの場合、「してはならない」「することが許されない」の用法として使うことが多いというのを私は事前に知っていました。ですから今回の習近平さんの言葉でも、「~できない」ではなく、「することが許されない」の用法を頭の中でスムーズに引き出すことができたわけです。
言葉はあくまでも生身の人間が発するもの。辞書に書いてあることがすべてではなく、生身の人間が発するものがすべてだということを頭に入れておきましょう。