ピンインを学ぶ意義はあるのか
今日は久しぶりに初級者向けの話をしましょう。
多くの人は、「漢字を使用している中国語の習得は、日本人にとって敷居が低い」ということを口にします。実際に初めて中国語文を目にした日本人は、漢字ばかりの文章を見て、多かれ少なかれ親しみを感じるのではないでしょうか(もちろん、「漢字ばっかりだぁ(泣)」と拒否反応を示す人もいるのは知っています)
しかし一方で、これは中国語を習得する上で日本人特有の問題が存在していることを意味します。
普通英語や韓国語を勉強するときは、見慣れない字を前にして多くの人は「これは外国語なんだ」という意識を強くするはずです。
しかし、日本人にも親しみやすい漢字を使用する中国語は、ほかの言語と比べて日本人の初学者にとって入りやすい一方、「外国語」という意識が定着しにくい言語でもあります。
例えば、実際の中国語の漢字を見て真っ先に別の日本語の意味を思い浮かべてしまったり、日本語読みの発音が先に口をついてしまったりするという感覚は、入門レベルの日本人学習者なら誰でも経験したことでしょう。
発音のみならず、日本語の漢字の語句の意味も、多くは中国語のそれとで異なっています。これは皆さんもご存知だと思います。
さらにこれと関連して、「中国人と接するときに、いざとなったら筆談でも通じるし」とか、「意味分からなくても漢字は日本語と大体同じだから、日本語の意味を連想すればいいし」といった一種の錯覚みたいなものが、意識の奥に多かれ少なかれあることも、入門レベルの日本人中国語学習者の心を惑わせる1つの要因になっているように思えます。
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かくいうわたしも、高校の外国語学習クラブで英仏中独と複数言語を勉強していましたが、最終的に3年間続いたのは中国語だけでした。以前のnoteの記事でもお伝えしたかもしれませんが、その理由が「漢字ばかりでおもしろかったから」だったのです。
しかし一方で、漢字が特に苦手だった私が、高校の3年間も中国語を続けることができた理由は他にもあったと思っています。それはピンインという「未知の記号」を通じて「中国語は外国語なのだ」という意識を徹底的に植え付けられたことでした。
国語は苦手だったものの、英語などの外国語学習は好きで、得意だったわたしにとってこの意識は中国語を続ける格好のモチベーションとなりました。
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この私の体験から言えることは何か。
中国語の初学者が漢字から入らずに、ピンインをまず学ぶことについては賛否両論あるでしょう。ただピンインはアルファベットでできています。アルファベットはやはり日本人にとって「外国語を学ぶ」という意識を真っ先に植え付けるには最適だと私は考えます。つまりピンインは日本人にとって、中国語の標準的な発音の習得を通じて「中国語は外国語なのだ」という意識を持たせる格好の教材だと言えるでしょう。
もちろん「ピンインは便宜上に作られた発音記号であって、中国で日常的に使われている文字ではありません」。もっというと、街中で市民がピンイン通りに発音しているかと言えば、これも実は違います。
このため、ピンインを極めることに意義があるかと聞かれれば、「違う」と私は答えるでしょう。
しかし一方で、ピンインを学ぶ意義はあるのかと問われたのならば私は「ある」と答えます。理由は先述したとおり、初学の段階で、発音をマスターすることで「中国語は外国語と言う意識」を持たせてくれる格好の教材だからです。
ピンインによる発音をある程度習得できたなら、次のステップであるピンインの発音と中国語の文字との結びつけに移ることになります。
ピンインについては「のめりこまず」、でも自分の意識づけをして、中国語の発音をマスターするために「しっかり活用する」。
これが大切だとわたしは思います。