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うたのシーソー 6通目

トモヨさんへ

こんばんは。私としてはとてもめずらしく、夜中に起きていますよ。
夜中は静かですね。しかし、私だけがざわざわとざわめいていて、耳障りです。

私の周囲、つまり半径の小さな範囲の景色は変わらないのだけれど、距離を倍へ倍へと伸ばしてゆくほど景色は未曾有となり、いよいよ地球の半径ほどに達したあたりで、途方にくれます。結果、地球の半径からすればただの点以下である私が、なぜか不用意にざわめいているのです。

正直、どうにもざわめきが煩わしい。だから、飼いならしてしまえと思っています。どれだけざわめきが不用意であろうとも、所詮は私のなかにあるものですから。

トモヨさんからいただいた旅のお土産のマスタード。早速、ポテトサラダに入れてみました。まずは、肉汁あふれるベーコンやソーセージと合わせていただこうと思っていたのですが、我慢ができず。

そう、私は隠し味がすきなのです。つい、はちみつやナッツ類や牛乳、マスタードや生姜やわさび、こしょうやクミンなどのスパイス類などを、ほぼ定まっている味付けの中へしれっと加えてしまいます。今回もしれっと加えてみたら、うんとおいしくなりました。ありがとう。

この「隠し味好き」は「部分萌え」に通じるところがあります。そもそも「“部分萌え”とはなんぞや」とお思いかもしれません。私の解釈では「フェティシズムとは似て非なるもの」となります。イメージしやすく例えますと「あなたの指先がたまらない」というような現象です。フェティシズムであれば、対象が誰であれ(“誰”にある程度の好みはあるでしょうけれど)、たまらないのは「指先」のみでしょう。一方、「部分萌え」は、「Aさんの眉毛がたまらない」「Bさんの鎖骨がたまらない」「Cさんの挨拶をするとき目を逸らすのがたまらない」というように、たまらない部分は対象によって変化する。

なぜ、こんな話を長々としたのかといいますと、トモヨさんの短歌における私の「部分萌え」を列挙していきたいな♡と思いついたからです!そう、マスタードから!

短歌を読む際、とりわけ「助詞に萌える」とか、「名詞に萌える」などといった傾向は、私にはないみたいです。おそらく、大好物なのは「雰囲気」なのだけれど、「部分萌え」もしばしば発動します。「ここのこれ、すっごく好きだから、好きな短歌だけど、より好き!」というようなかんじです。

トモヨさんの短歌の「ここのこれ、すっごく好きだから、好きな短歌だけど、より好き!」を本能の赴くまま並べますね。ロジックもへったくれもありませんけど、許してほしいです。

透けるより映ってしまう川だった 氾濫、すぐ見にいくね

「氾濫、」よき。とりわけ「、」ね。たまらなくいい。「氾濫」との相性もいい。ここに文字数分の余韻が明らかにあるところがいい。

チョコミントアイスクリーム食べないですり傷に塗る 草原になる

「すり傷に塗る」がたまらないね。チョコミントアイスクリームをよ?「すり傷に塗る」、「すり傷に塗る」のよ?そりゃ、草原にもなります。

この道の先がつづいて春になるベランダにおふとんの整列

「おふとん」!!!ひらがな萌えのすべてがこの歌のここにある!「おふとん」!!!「おふとん」の整列!!!

願ってもいいよねそこに落ちている石が隕石かもしれないし

この場合はね、「かも」。「かも」ときたら「かもしれない」しかないのはわかるのだけれど、「隕石」のあとにくる音としての「かも」の「か」がいいのよね。ハイ、冒頭から流れるように音読してみて。——うん!そう!「隕石」の「いん」もいいのだけれどね。でも、私は「かも」推しです。

切り株の上に木があるように抱く 望まなくても夕暮れる空

この歌はおそらく、すでに多くの人の心を打っていて、言及される機会も多かったと思います。実際、私もこの歌だけで短編小説が書けそうだと思うくらい好きで、「部分萌え」とか言っている場合では全然ないの。でも、あえて部分萌えしました。

「夕暮れる」です。「暮れていく空」ではなく、「夕暮れの空」でもなく、「夕暮れる空」。「ぐれる」の音感が最っ高ですよ、最っ高。最&高。

べっぴんの鯉のもようの服を着ておどるおどる池がうまれる

「鯉」!!?「鯉」なの!??べっぴんの「鯉」よ!!?「鯉」のもようの服よ!!?好き!!!!!!!!(注:「べっぴんの鯉のもようの服」が好きなわけではないよ!!)

プチトマトの湯剥きすっごくあっけない 消したりつけたりする換気扇

「っ」です。特に「すっごく」の「っ」。これが「すごく」と跳ねていなかったら、あっけないにもほどがあるんです。いや、あっけなさとしては「すごくあっけない」より「すっごくあっけない」の方が更にあっけないわけですが、この場合は、歌としてです。「す」と「ご」の間に「っ」が入っていなかったら、歌としてあっけないにもほどがある。「っ」があることで、エモーショナルになる。「っ」があってよかった。

英語はもう話せないけど冷蔵庫の中身はそらで言える ゆるして

はぁ、いい歌。体のとても深いところから息をついてしまう、いい歌です。「ゆるして」がすっごくいいのだけれど、もちろんいいのだけれど、「そらで言える」がいい。句またがりなのに、スポットライトが当たるようにまぶしいです。まぶしい。


めずらしく夜中まで起きていたテンションのまま書いてしまいました。ぶわぁあっと「部分萌え」を吐き出してみたら、少し、ざわめきが落ち着いたような気がします。

でも、以前のお手紙で「死んでしまうまで、まるで同じお天気の日などない」と書いたでしょう?このざわめきも、やはりそういうことなのだとは思っているの。

だから、次のお手紙までにはざわめきを飼いならし、余裕のある私でありたいです。

冊子の完成をたのしみにしていますね。
一足先に読ませていただいたトモヨさんの新しい連作、とてもあたたかかったです。

マイ

※引用した短歌の作者:椛沢知世

note: 椛沢知世

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