瞑想に挫折しまくってた人間が、解脱の第一歩を踏み出せたコペルニクス的方法
瞑想って難しい
と、実践してみたことがある人なら全員が最初に感じたと思います。
(瞑想って宗教みたいで怪しい、的なフェーズの話まですると長くなるので今は触れませんが、その段階の人はおそらくこんな記事には辿り着いてないと思います)
かくいう自分も20代の頃から、瞑想頑張ろうと意気込んでは、その度に挫折しているタイプでした。
心を無にするのは、確かにかなり困難です。
瞑想しようとして静かに目を閉じていると
あの時あの人がああ言ったのは何でだろ
そういえばトイレットペーパーもうなくなりそう
あー、あの時あそこまで言わなきゃ良かったかなー、でも嘘じゃないからいっか
あ、豆腐の賞味期限そろそろだから夜ご飯に食べちゃおう
などなど、謎にいろいろと浮かんできます。
自分は、これを無くそうとして挫折を繰り返していました。
この[謎にいろいろ浮かんでくる思考]は
自動思考やモンキーマインドと呼ばれ、誰にでもオートで起きている動作
もう少し深く言うと、左脳がデフォでおこなっている作業です。
随分くだらない作業しているように見えますが、これも左脳の重要なタスクのうちの一つです。
でも、この自動思考、普段生活してたら、そこまで酷く意識に上がってこなくないですか?
むっちゃ忙しく、難しい作業をしてる時は、こんなくだらないこと意識してる暇はなく
この自動思考が顕在意識に顕著に上がってきちゃうのって、特に何もしてない時
ボーッとしている時や、瞑想のように静かに座っている時じゃないでしょうか。
で、ここで改めて、瞑想ってなんのためにしているのか、改めて考えてみます。
禅僧みたいに静かに坐禅を組んで、カッコ良く黙って己を滅するパフォーマンスをしたい人なら話は別ですが
多くの人は、感情の波を鎮めて心を穏やかに保ち、瞑想後も楽しく有意義な生活をするため、ではないでしょうか。
それなら、黙って座って挫折を繰り返す必要はないです。
瞑想=普段無意識でやっている事を、あえて意識しながらやってみる
に、やり方を切り替えれば良いだけの話でした。
巷では[マインドフルネス]と言われている方法です。
ただ、自分はこれを[瞑想]として時間を決めて取り組むのではなく、氣付いたら意識する
いつもほとんどの動作を自動モードの無意識で再生しているので、氣付いたら意識してみる
またすぐに無意識に戻っているので、氣付いたら意識、氣付いたら意識、としつこく繰り返します。
自分はこの方法に切り替え、日常のあらゆる動作を氣付いた時に意識してやるようにしたら、ほんの半年ほどで悟りの2丁目に到達できました。
(仕上がりと期間には個人差があります)
しかしこれは別に、自動思考やモンキーマインドが滅せられたわけではなく
単純に[他のことに意識を向けて、無意識の自動モードをできるだけやめた]ってだけです。
そもそも左脳が壊死など機能停止しない限り自動思考は無くならないし、むしろ無くなられたら社会生活では困ることが多いです。
左脳はこうして過去の経験を整理して、記憶をデータとして保存し、次に使う機会に引き出して活用できるようにしてくれているので
自動思考やネガティブな記憶や揺り戻しを悪者のように扱うのは、自分はオススメしません。
ただそこに意識を持っていかないで、ミュートにしてしまえば良いだけの話です。
しかも面倒くさがりで、立派な学歴も職歴もない人間でも、誰でも悟りの一歩目には到達できる方法です。
悟りや心の平安など、この辺をスピの要素はナシで詳しく知りたい場合は、講座で説明してるので、ライン公式アカウントまでご連絡ください。
そうは言っても、悪者ではないけど、やはり自動思考は意識に積極的に上がってこられるとウザいです。
だから、仏陀やイエスをはじめ過去の賢人たちもどうにかしようと工夫していらしたんだと思われます。
その方法の説明が、当時は瞑想や祈りしかなかったから小難しくなってしまっただけで
現代は脳の機能も構造も解明されていることが多いので、それらのツールを使って
やり方をアップデートするのは過去の賢人たちにも喜んで頂ける氣がしています。
しかし2000年以上前の限られたツールの中で、瞑想と祈り一本でかなりの境地まで到達された賢人の皆さんは
やはり相当スゴい人たちなんだと改めて感じざるを得ませんね。