りんごがボケるという方言
長野県には、りんごがボケるという方言がある。
長野県はりんごの産地である。秋冬はスーパーや直売所にりんごがたくさん並ぶし、りんご狩りも盛んだ。長野県民は、りんごをたくさん食べる。
蜜が入った、瑞々しくてシャキッとしたりんご。それを期待してひとくち齧る。
すると覚える違和感。噛みごたえが、ない。柔らかくても美味しいりんごはある。けれどもこれは、そういうのではない。りんごを食べたときにする、あの小気味いい音は確かに聞こえる。それなのに、口に含んだ時に爽やかに抜けるあの水感が感じられない。なんだか柔らかくて、抜けた味がする。
これが、りんごがボケるという方言の意味だ。
何となくのニュアンスは伝わっただろうか。
確かに柔らかいのだが、ただ柔らかいわけではない。瑞々しさがないわけではないのだが、ひとくち目の悦びがない。そんな感じだ。
ところで、長野県民はりんごのボケ加減に敏感である(これはあくまで個人的な意見だ)。
美味しいりんご、ボケていないりんご(普通のりんご)、ボケかけのりんご、半分ぼけているリンゴ、完全にボケているりんごの5段階くらいは余裕で使いわける。
そしてこのボケかけのりんごというのが厄介である。切っている段階では見分けがつかないのだ。
ボケてしまったりんごは、包丁の入り方で分かる。
だが、ボケかけのりんごは、柔らかめのボケていないりんごとの見分けがつきにくい。だから、ボケかけのりんごを食べた時が1番がっかりする。
長野県民にとって、ボケたりんごほど残念なものはないのかもしれない(これもあくまで個人の感想である)。
今日は、りんごがボケるという方言について紹介した。
これは、りんごの産地ならではの表現ではないだろうか。
りんごがボケる、私が唯一使える長野県民らしい方言である。
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