地動説で現代医療を考察する。この世界は美しいか?
『チ。ー地球の運動についてー』(NHK,2024年)が熱いです。
天文がテーマなので星空の描写の美しさにも魅かれますが、それ以上にストーリーが面白い、というか色々と感じさせられています。
天動説が常識とされている世界で、地動説に向き合う人物たちが異教徒とされ迫害されながらも命を賭しながら研究を繋いでいく様が描かれています。
ちょっと難しそう?(確かにハマるハマらない分かれるかも)
でも学問的な知識は不要かもしれません、大事なのは登場人物の“信念”が理解できるかどうか。
大袈裟ですが、私は、自分が「どう生きたいか」を考えさせられながら観ています。
というのは、天動説が絶対であった中世と、現代の『医療の常識』が重なって感じられているからなんですね。
地動説は美しい
作品では、地動説を信じていない人が、異教徒との関わりで地動説に感化されていく様が丁寧に描かれています。
以下は登場人物の、神童のラファウと異教徒のフベルトの会話より。
この会話の後、ラファウは地動説を検証し、その"美しさ”に感動を覚えます。
何が美しいかと言うと、地球が中心で天体が動いている(天動説)世界より、太陽を中心に地球を含む星が動いている(地動説)世界の方がより規則的で秩序立っているのです。
数学者や理論物理学者が、よりシンプルな数式を美しいとする感覚に近いかもしれません。一見無秩序で複雑な事象が、実は一定の規則の相互関係で成立すると知った時、それは美しい和音に感じられるのです。
地動説の美しさに感化されたフベルトやラファウの生き様は、ぜひ作品でご覧ください。
現代医療は天動説か
さて現代の医療について。
とても科学的であるのですが、その方法は個々の星を観測しているように私は感じています。
病気の原因物質が何でどこにどのように作用しているのかまで究明されていて、それは解像度の高い望遠鏡で座標を正確に測るような印象です。
それは天動説に似て、それぞれの星(病気)は共通の秩序を持たず、バラバラに動く(発症する)。
医療では内科、外科、皮膚科、眼科といった診療科があって、内科でもさらに循環器内科、消化器内科、呼吸器内科といった具合に専門が細分化されていますね。そこで診断される病気には多くのデータが蓄積されています。
そして、それぞれの病気にはエビデンスに基づいた治療が確立されています。
複数の病気を患う患者は、それぞれに薬を処方されているのではないでしょうか。共通の原因を追究して、病気の根本へアプローチすることは一般的ではありません。
地球はそこに留まり動くことはないとされているように、患者の体調や体質の変化は加味されず、医療者が診ているのは病気が進行しているか治癒しているかです。
地球が動く=体質が変わる
では、地動説で病気を観測するとどうでしょう。
地球は太陽を中心に動いていて、星々の動きは地球の自転や公転によってもたらされていますね。
同様に、病気になったり治ったりするのは患者自身の体調や体質によってもたらされていると解釈できそうです。つまり、病気の原因は患者側にある。
どう思われますか?
昨日まで元気にしていた人がある日急に病気になるから、気をつけて予防(観測)していないと防げない《天動説》でしょうか?
あるいは、病気になる前に体調や体質の変化が予兆にあるから、病気予防は自身の状態に目を向けるのが良い《地動説》でしょうか?
私は地動説を信じたい
もちろん病気を知る(星を観測する)ことは重要で、それを意識することで自身の健康状態を測るバロメーターになります。
大切なのは、『同じ病名の患者に等しく同じ治療が適応される』ことが、当たり前ではないかもしれないと考えてみること。
多くの人に有効であるとされる標準治療が自分には合わなかったり、稀にしか効かない民間療法が以外に相性よかったりすくことはあり得る話です。
例えば犬では牛肉にアレルギーがあると、混合ワクチンで具合が悪くなるかもしれませんし、ストレスに弱い猫は入院で病状が悪化することもありますね。
体質を知って変化を注視していれば、ワクチン接種より抗体価検査を選択したり、入院が必要になるほど悪化する前に受診するといった風に、考え方や行動が変わるのではないでしょうか。
また動物は人間に言葉で伝えることはしませんが、時々食事を拒否したり、物陰でじっとしていたりするのは、自身の状態に合わせて活動を調整していることでもあります。
体調や体質を感じて、直感や本能的に病気を回避する生物本来の機能を、私は"美しい”と感じています。
そしてその美しさに感化されたことから、アレルギーや腸内フローラ、栄養といった《体質》へアプローチした診療を行うようになりました。
そのアプローチで、治療前より状態がよくなることを度々経験すると、さらにその美しさが鮮明に視えてくるのです。
『チ。』を熱いと感じている私は地動説に魅了されている異教徒なのでしょうね。
コペルニクスが現れるまで
『チ。』に登場する異教徒たちは自身が処刑されることを知っており、研究を他者に託しすことで地動説を残そうとします。
歴史上、地動説を発見したのはコペルニクスとされていますが、その背景には大小の知識の積み重ねがあったのかもしれません。
私自身も、たくさんの情報に触れて、治療に応用して、考察を繰り返しながら、今の考えに至りました。
私は研究者のように、ひとつの事象を根気強く深く探求する性質ではなく、広く浅い知識を利用し、その応用範囲を広げていく性質です。
どこかにいるかもしれないコペルニクスに、興味の種を渡す人になりたい。
“病気になっても薬で治す”から、
“病気を自然治癒力で回避する” が定説の世界が訪れますように。