「だんじりよ、永遠に」(岸和田編)
2024年9月14日、岸和田だんじり祭り・宵宮。
南海の電車内は、いつもより浮足立っていた。南海岸和田駅を降りると、人、人、人。
見せ場となるやり回しが行われる交差点にも人だかりができている。
組み立て式の小さな脚立を持っている人もちらほら見かけた。
少し様子を見ていたが、だんじりは来る気配がない。
お囃子の音を頼りに探しに行く。しかし、見つからないまま駅に戻ってきた。
ちょうどその時だった。お囃子の音が少し大きくなってきた。どこからかだんじりの来訪を告げる声が聞こえてきた。
徐々にそーりゃぁ、そーりゃぁという掛け声と太鼓の音が大きくなってくる。道路も人払いがされて、観衆も今か今かと待ち受ける。
商店街のアーケードを走り抜けて交差点に躍り出ただんじり。一気に注目を引き寄せた。
きっと軋む音がして、動きを止める。
一瞬の間。走る緊張。
固唾を呑んで見守る観客。
中腰で次の動きに備える曳き手を、男らが「気持ちやぁ」「耐えろ」と煽って回る。
「行くぞぉ」とどこからか上がる掛け声。
歯を食いしばり、ぐっと目を見開く曳き手ら。歌舞伎の見得のようだ。
そして、場全体に力が漲る。
ゆっくりと動き出しただんじりが曳き手と一体になって徐々に勢いをあげる。その様は飛翔する一柱の龍。屋根の下を飾る枡組や枡合が鱗のように見えた。
だんじりがぐんと角を回った。何かが擦れる音がしたが、問題なかったらしい。後ろについていた曳き手が勢いにつられて大きく弧を描いてから追いかける。
沿道の献灯台すれすれを通ってゆくのを見届けるまで息を詰めてしまう。
観衆の間の張り詰めていた空気も少し緩んだ。
急に雨が強く降り出した。
雨に抗うようにおとがいをくいっと上げた大工方は法被を翻して舞い続ける。
一路、天を目指して走るだんじり。
雷鳴のように響く掛け声。
大工方を、曳き手を、雨が濡らす。額に光る滴。
ざわめきと余韻を残してだんじりは去ってゆく。心地良い高揚感に身を浸しながら、これが祭りの魅力かと感じた。
今回、細い路地にだんじりが入っていく場面にも目を奪われた。
ゆっくりと角を回り、家と家の間の細い路地を豪快なやり回しで魅せたばかりのだんじりがそろりそろりと軒先すれすれを進む。
その姿にはどこか可笑しみさえあった。
しかし、無事にやり遂げてみせるという意地や地域との歴史の積み重ねが垣間見えた。
髪を固めて格好をつけた男に地獄編みと呼ばれる細かい編み込みを髪に施した少女、小さい法被を着こなした可愛らしい子供らが走る。
地獄編みはその名の通り、激しい痛みを伴ううえに、祭りが終わるまでほどかないらしい。
それに耐えるからこその粋だろうか。
筆者が帰りに乗った電車では、だんじりのお囃子を真似る少年も見た。
時代は変わった。考え方も潮流も、そして、祭りも変わった。
若い女性が綱を引っ張る姿が見られるようになったのも大きな変化だっただろう。
しかし、それでも変わらない芯がある。
耳に残るお囃子と掛け声。
否が応でも沸き立つ血と上がってゆく熱量。
大きい声に凭れ、易きに流れ。そんな自分への叱咤激励のようにさえ感じるのは何故だろう。
祭りがもたらすものは、活力だけではない。本流に抗って生きる反骨心や死語になりつつある粋という言葉の本質を思い出させてくれるようにも思う。
沿道では幼い子どもと肩を並べてお年寄りもだんじりを見上げていた。
だんじりといえば曳行だけが目に付くが、年齢が上がるにつれて組や若頭など責任者や後進の育成に回り、それを経て世話人や相談役など更に責任が重くなってゆく。
だからこそ、三百年もの間、祭りが続いてきたのだろう。
そうして祭りの魂が引き継がれていく姿を見ていると、未来永劫、この祭りが続いていってほしいと思う。
これから泉州各地で行われてゆくだんじり祭り。
次はどこを見に行こうか。
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