『魔女り狩(まじょりか)』第二話
事件が起きた学校からほど近い住宅街にて。
母親に連れられた子供が不思議そうに塀の上を見つめている。
その視線の先では、猫が苛立たしそうに虚空を睨みフシャーと鳴いている。
「ねえ、ママ。猫さん、何に怒ってるのかな?」
「さあ、何だろね~」
去っていく親子をよそに、塀の上では赤山羊レイと猫がにらみ合っている。
レイはパーカーのフードを目深にかぶっている。
その奥で、冷たい眼光がきらりと光る。
「ふにゃ!」
猫はレイの眼光に恐れをなして、逃げていく。
「……」
レイは何事もなかったかのように塀を歩く。
魔女たちの迷彩は人の認識能力に働きかける。
常人に対しては催眠に近い絶対的な効果を発揮するが、カメラやセンサー、動物などを騙すことはできない。
この問題に対して赤山羊レイが見い出した対策は、実に単純なものだった。
レイは塀から民家の屋根へ、さらに建物の屋上から屋上へ飛び移り、人々の頭の上を飛び越えていく。
レイはとあるビルの屋上から地上を見下ろすと、そのまま飛び降りた。
隣接したビルの壁を蹴り、交互に壁を蹴りながらゆっくりと地上へ向かう。
地上に難なく着地すると、レイは自分がやってきた方角を見やった。
遠くに、パトカーと救急車のサイレンが響いている。
「この辺りまで来れば平気か」
ガサッ。
つぶやいたレイの背後で、物音がした。
「動かないで」
ビルの谷間、路地裏の暗闇からヌッと拳銃が飛び出し、レイの背後に突き付けられた。
「義姉さん、何のつもり?」
暗闇の中から女刑事『飼原ヒツジ』が現れる。
「今のあなたが怪人の能力に操作されていないと証明して、レイ」
「証明なんて必要ないよ義姉さん。監視カメラを避ける街の歩き方、私以外にできると思う?」
「……」
飼原は、ため息交じりに銃を下ろした。
「近くに車を回してあるわ。帰るわよ」
「了解」
◆
飼原の運転する軽自動車の後部座席にレイは座っている。
前を向いて運転を続けながら、飼原は話を切り出す。
「ねえレイ。日本で最初の異能バトルものって何か、知ってる?」
「何の話?」
「お説教の前振り」
「……最初期のマンガ作品とか?」
「一説には山田風太郎の小説『甲賀忍法帖』がそれだと言われているわ。伊賀と甲賀、二つの里の忍者たちが忍法で戦う傑作で、漫画やアニメ、映画化もされている人気作よ」
「それが、どうしたの?」
「私ね、作中に出てくる忍者たちが鉄砲を持った兵には勝てないところが好きなのよ。凄腕の忍法の使い手でも、文明が生み出した兵器には敵わない」
飼原は、運転しながら口元に笑みを浮かべた。
「私たち魔女や怪人たちも、銃や戦車、爆弾、そういう社会の剥き出しの殺意を向けられたらとても敵わない。私たちの本当の武器は『秘密』そのもの。正体を隠し、社会に溶け込んでこその魔女なのよ」
車が、信号待ちで止まった。
「レイ、私の言いたいこと分かる?」
「分かりたくない」
「分かりなさい」
信号を待っている間に、飼原はスマホを取り出して後ろ手にレイへと差し出した。
スマホには、動画サイトが表示されている。
動画タイトルは『魔女……?』。
そこには、怪人『鬱ノ木』殺害後、校庭に現れたレイの姿が遠景から捉えられていた。
「わざと、透明化を解いて全校生徒に姿を晒したでしょう? 自殺行為どころじゃない。魔女の存在を明るみに出しかねない違反行為よ」
「……」
「どうしてわざわざこんなことをしたの?」
「例の、いじめを受けていた女子。同級生を呪い殺した魔女の疑いを受けていた。放っておいたら、イジメどころじゃない目に遭っていたはず」
「だから、自ら魔女の役を、死んだ三人の分まで罪を被ったと?」
「……そうだけど。悪い?」
ぶっすりと、不機嫌そうにレイはつぶやいた。
「悪くはないわ。ただ、ね」
信号が変わり、車が発信した。
「間違いなく、あなたの介入が怪人たちに知れ渡ったわ。しばらく付け狙われることになるわよ」
「好都合。片っ端から狩ってけば、いつかは『みんなの仇』の手がかりもつかめるはず」
「いくらレイでも、無茶よ。本隊から増援を呼んであげるから、しばらくは大人しく……」
その時、スマホが鳴った。
着信画面には、『64期 大原』と表示されている。
「義姉さん、大原さんから」
「貸して」
後ろ手にスマホを受け取ったマキは、通話に出た。
「もしもし、大原センパイ? すみません、運転中なので後でこちらから……」
かけ直します。
そう言おうとした飼原が、スマホの向こう側から聞こえてきた言葉に、
「え?」
と言葉を漏らした。
「……了解。まだ近くなので、私たちで対応します」
通話を切ると、飼原はハンドルを切って通りをUターンした。
「どうしたの義姉さん」
「怪人『鬱ノ木』の死体が、安置所から消えたそうよ。しかも、『鬱ノ木』本人が動いた姿を複数の警官が目撃している」
レイは、眉をしかめた。
「死んでいなかった……? 確かにトドメは刺したはず……」
「かけつけた所轄も、確かに死亡を確認していたはず。だとすれば、新たな怪人の可能性も……」
飼原はごくりと息を呑むと、アクセルを強く踏み込んだ。
◆
「……ごちそうさま」
食事を残し、贄村リカは食卓の前で手を合わせた。
その様子をみて、リカの母は眉をしかめる。
「リカ、顔色ひどいわよ。病院に行った方が」
「平気。ちょっと食欲ないだけだから」
「……悪いことは言わないから、とにかく明日は学校休みなさい」
母親の言葉に、リカはむっとした。
「平気。平気だから。もう寝る」
「ちょっと、リカ!」
母親の言うことを無視する形で部屋に上がったリカは、暗い部屋に寝転がってスマホで『魔女……?』の動画を見ている。
(『魔女』……みんなを、鬱ノ木くんを殺した、仇……)
その脳裏に、突如鬱ノ木の死体がフラッシュバックする。
「うっ……」
リカは床にうずくまってえずいた。
苦しみ悶えながらも、リカは歯を食いしばる。
「負けるもんか。私が絶対に仇を……っ!」
その時、ピロリンとスマホが鳴った。
「え……?」
メッセージアプリに着信があった。
差出人は、『鬱ノ木ユウヤ』。
内容は『外を見て』となっている。
「どうして、鬱ノ木くんから……」
メッセージのままに窓から外を見やると、家の前に見知った人影が立っている。
鬱ノ木だった。
「ウソ……」
慌てて家を飛び出したリカは、街灯に照らされた鬱ノ木の姿を見てギョッとした。
「やあ、贄村さん」
鬱ノ木は血塗れだった。
傷ついた目には包帯を巻き、肩には大きな鴉を乗せている。
「鬱ノ木くん、どうして生きて……っ!?」
「言っただろう。世の中には人の理解を超えた力があるんだよ。もっとも、これは僕の力じゃないんだけどね」
「大丈夫なの……?」
「ああ、目(これ)? 大丈夫じゃないよ。不本意だけど、鴉の視覚を借りてるんだ。あの魔女のせいで『奴』に色々と借りを作ってしまった」
「魔女……あの子が、みんなを……?」
「ああ。奴だけは許すわけにはいかない」
鬱ノ木は、頷いた。
「わ、私も! できることがあれば協力するわ。みんなの仇、どうにかしてやっつけないと」
「……ありがとう、贄村さん」
鬱ノ木はリカの方へと歩み寄ると、おもむろに彼女を抱き締めた。
「ちょっ!? 鬱ノ木くん、何を……!?」
「贄村さんは優しいね。そんな君に、頼みがあるんだ」
リカは、鬱ノ木の異変に眉をしかめた。
(鬱ノ木くん、体温がまるで感じられない。それに、何だか腐ったみたいなニオイ……)
「ねえ贄村さん。一緒に魔女を狩って、僕と死んでくれるかい?」
鬱ノ木は、リカの前で蛇口を閉じた。
「うっ……!」
気を失ったリカを鬱ノ木が抱きかかえる。
その時、肩に乗ったカラスがくちばしを開き、しゃべり始めた。
「あまり無茶をするなよ。お前の身体は蘇ったばかり。傷が塞がってないんだからな」
「心にもないこと言うなよ。この蘇生、そう長くは持たないんだろ」
「……だったら、どうする?」
「やることは、変わらないさ。魔女を殺して、僕自身の仇を討つ。協力してもらうよ、犬養」
鬱ノ木はリカを担ぎ上げると、夜の闇へと消えていった。