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親を心配する日が来るなんて
これまでどおりが続くと思っていた
両親から聞く話は、ここ十数年変わらない。
友だちとランチに行った話、趣味の歴史講座の話。
明るい声で電話がかかってくる。
「庭のトマトを送るわ、いつなら受け取れる?」
膝に水が溜まるだの、腰が痛いだの。
80前後の両親には年齢なりの不便も出てきた。
だけど、まだまだ元気。
だから初詣では毎年同じことを祈ってきた。
どうか、こんな日々が続きますように。
いつまでも元気なわけではないけれど
とはいえ人は不老不死ではない。
いつまでも元気なわけじゃない。
周囲でも介護の話を聞くようになった。
でも、うちの両親は大丈夫。
食事や運動に気をつけてきたし。
何かと予定があって外に出ているし。
だから、いまを大切にしよう。
とりあえず自分のことをしよう。
明日の朝も早いことだし。
いつかの老後より、とにかくいま。
私が幸せ、が両親の幸せ!
その日はふいにやって来た
ところが実家に帰省中のある日、父が言った。
「おれ、やばいぞ。忘れ方がいままでとは違う」
いやいや、大丈夫でしょ。
2か月おきに会っているけど違和感ないもの。
老いるって弱気になるんだなぁ。
だがその翌日、大丈夫ではないと知る。
ご近所での車中、父が晴れやかに言った。
「あれ、こんな道できたのか。知らなかったな」
それは5年くらい前にできた道。
できた頃、父は何度も口にしていた。
「ここに道ができて便利になったんだよな」
前触れってないもんなんだな
父が言ってたのは、これか。
母に訊いてみた。
「お父さんが道忘れるなんてことある?」
「最近あるのよ、あんなに道に詳しいのにね」
母はすんなり受け止めていた。
人ってど忘れするものね、と。
母がそう思うのは当然だ。
父はこういうことは絶対に忘れないタイプだ。
とすれば、ど忘れとしか考えようがない。
これか。
こんなのずっと先のことだと思っていた。
いや、その日は来ないと思っていたのだ。