見出し画像


#KENMAYA です。

今日は少し抽象的なお話をしたいと思います。

『地獄』と聞いてイメージする光景は何でしょう。宗教観に基づく現世で悪行を働いた者が永遠に罰せられるとされるあの世でしょうか。それとも仕事に追われまともに休むこともままならない程の忙しさでしょうか。あるいはもっと別の出口の見えない不安や恐怖に苛まれる状態のことでしょうか。

人それぞれ『地獄』と聞いて思い浮かべる情景は様々でしょう。

しかし、そのどれもに『恐怖』が根源的に共通しています。死に対する恐怖、忙殺されることへの恐怖、悩み事や不平不満が未来永劫解消されないことの恐怖などです。そう、人は漠然とした恐怖を常に抱えながら生きています。

恐れのない人間などいません。例え一騎当千の強者や、世界を動かすことのできる巨万の富を抱えた大富豪であっても、皆何かしらの恐れを抱いています。むしろ、強くなればなるほど、名声があがればあがるほど、財をなせばなすほどにその恐れも巨大になっていきます。

それは成功者が成功者たる所以として、成功の裏側に必ず蹴落としてきた存在がいて、彼ら敗者からの恨みや僻みを買っていることを知っているからです。ですから一般的に成功者というものは、世間一般の評価を下げるような言動や振る舞いを慎み、社会貢献や弱者救済を率先して行うようになるわけです。誰だって『地獄』を見るのは嫌ですし、多くの人間から『地獄』行きを所望されるような人間にはなりたくないものですからね。


さて、話を戻しましょう。『地獄』とは何でしょう。

わたしは『地獄』とは【愚者の考えた信賞必罰の世界観であり、権力者や成功者の暴走抑止機関】だと考えています。信じたものは救われ、努力したものは評価され、仁義礼智信をわきまえた徳のあるものは称賛される世界。その中で悪行を積み重ねた者はいつか必ず天罰が下る、という勧善懲悪の希望的観測を元にした、性悪説から生み出されたものが『地獄』という存在だと思っています。

つまり、社会を平和で秩序的に保つために、本来は押し合い、蹴り落とし合う競争社会、階級社会であることを、巧妙に覆い隠すための倫理的ベールなのです。ですから、その倫理的ベールを剥がされた瞬間、人々は私利私欲のための争いを始めますし、結果的に他人を破滅させても人よりも上に立つ人間が勝つ、という非常に野蛮な社会になるでしょう。


現状を振り返ってみると世界はかろうじて倫理的ベールで覆われていますが、もはやそれは薄氷の如き薄さで、人間の本性は段々と明らかにされてきています。果たして倫理的ベールが完全に崩壊したとき、人間社会は秩序を維持できるでしょうか。そしてわたしたちは人間としての尊厳を保つことができるでしょうか。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
Twitter、YouTubeもやってます。よかったらチャンネル登録も是非。
🔽Twitter
https://twitter.com/sechica1

🔽YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCeAh6Y8B3DwKRqChlCgnwpA

10.仏具おりんの磨き掃除(サムネ)


いいなと思ったら応援しよう!

KENMAYA │ 刺さない鍼・国産研磨剤ストア@毎日Noteだった(遺物)
サポートは不要です