#KENMAYA です。
昨今、家庭環境による教育レベルや倫理観などの格差を揶揄し、『親ガチャ』と呼ばれる恵まれた家庭に産まれるかそうでないか、という言葉が広がりを見せています。
確かに資産のある家庭に生まれた子とそうでない子では得られる教育レベルが異なり、成績にも大きな影響があるという実際のデータがあります。
このコロナ禍でさらに教育環境の格差は広がり、パソコンやタブレットを活用したオンライン学習を進める進学校に比べ、公立校での動きは鈍くやはり親の収入によって受けられる教育水準に格差が生まれてしまっているのは残念ながら事実です。
極端な事例ですが、医者の家庭に生まれた子と生活保護の家庭に生まれた子とでは、衣食住をはじめ生活リズムやスタイルすらも変わってくるでしょうし、教育に対する姿勢も大きく異なってくるでしょう。
しかし、本質的な問題はそこではないとわたしは感じていて、『親ガチャ』の真なる意味は親の収入格差ではなく、親の人格的格差だと思っています。
親が自分の子に対しての接し方について、あまり議論になることはありません。当たり前のことですが、【よそはよそ、うちはうち】というプライベートに関わる部分をずかずかと他人が口出しすることではないからです。
しかしながら、多くの親は自分の子に対して「子ども」や「所有物」という観念を持っています。
自分の子なんだから「所有物」とまではいかないまでも「子ども」で何も間違いはないじゃないか?
こう思われる方も多いのではないでしょうか?親から見れば子は愛すべき「子ども」であり、自分のなりたかった自分を自己投影した「子ども」なんです。
こういう考え方は(親から見れば良かれと思って)愛情をもって、自信をもって育ててきた親が多く、いわゆる【過干渉】となってしまうことがあります。もちろん、愛情をもって子に接することは間違いではありません。
ただ忘れないで頂きたいのは子はあくまでも「ひとりの人間」だということです。
親として「子ども」と接していく中で徐々に「子ども」は大人になっていきます。その過程で一人の人格を持った人間へと成長していくのです。いわゆる【物心がつく】時期には「子ども」はちゃんと自分の頭でモノを考え、自分の頭で判断しようとします。親から見て明らかに反倫理的であったり、反社会的であることであれば、間違いを正してあげる必要はありますが、親が「子ども」の自発的行動を何でもかんでも縛り付けてしまえば、「子ども」は自分で考えることをやめてしまいます。
親はあくまでも子が、ひとりの人間として成長するための手助けをし、人を愛すること、人に感謝すること、誤ちを正すことを教える存在です。それに見返りなど必要なく、ひとりの人間と成長してくれたことに親が感謝する側なのです。
『親ガチャ』という言葉に違和感を感じたのはわたし自身、一人の親だからに他なりませんが、ただ『親ガチャ』という言葉が生まれてしまった環境を作ってしまったのは、他ならぬ、わたしたち大人自身なんです。子どもは生まれた環境を選ぶことはできませんし、わたしたち大人こそが子どもたちから学ばなければならない時でもあります。
大人でさえ明日が見えない環境の中、どのように子どもがモノを考え、そしてどのような判断をするのか、それをしっかりと尊重してあげることこそが『親ガチャ』でSSRを引き当ててもらうことになるのではないでしょうか。
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