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比治山散歩と広島市現代美術館(1/23)

朝の散歩コースに最適な比治山公園(世武調べ)には広島市現代美術館があって「とびたつとき/池田満寿夫とデモクラートの作家」展が始まっていたので入館。これは観たいと思っていたやつだ。平日の午前中の美術館の静けさについ長居してしまった。まだまだ朝活界の新人なものだから「やっぱり早起きは三文の徳なんだ!」などと簡単に酔いしれた。

目に見えるところを描くことで見えないところを描くのが絵画の好きなところ。指が鍵盤に触れていない時の"音"を、鍵盤に触れている間にコントロールする演奏の面白さに似ているのかも。そういうことを絶えず考えている。

私は幼い頃から絵画教室に通っていて、仙人のような先生に色彩の才を讃えられ、小学生にも関わらず「君は中学生か高校生になったらパリに留学するといい」と言われたことを幼心に覚えている。仙人先生も昔パリに留学していて、たまに話を聞かせてくれた。私が「パリ」の存在を朧げに認識した最初の出会いだったと思う。
正直言って手先は不器用だし絵は上手くなかったが、色付けをする時間だけは異様な集中力で異様に没頭していた。学校でも同様に、美術の時間が終わってもお昼休みも帰りの会も延々と色を重ねることばかりやっていて、先生にいい加減に絵の具をしまいなさいと怒られた。

作曲する時もおそらく近いものがあって、優等生のように優れて緻密な交響曲は書けないがハーモニー一本勝負でこの世界を生き残ってきたようなところがあり、あのまま絵の道に進んでいても同じような歩みを辿っていたのかも知れない(とは言っても、絵の才能は本当になかったと思うが)

"パリ留学"という先生の言葉に自分の幼い娘が誑(たぶら)かされている!と不安に取り憑かれた母に絵画教室を辞めさせられてしばらく恨んでいたが(私は音楽教室より絵画教室の方が好きだった)、のちに音楽でアメリカ留学したかった私は結果的にパリへ留学することになり、宿命的な匂いを少しばかり感じてしまう。

そんな結果論に辿り着く前は「パリなんて気取ってカッコつけてるキザな男性と女性っぽさを全面的に出して鼻にかけてる女性ばかりが行きたがるチャラついた場所だ」と本気で思って嫌っていた(思春期の無知な田舎者の無知な発想でした)。その頃の私は兎に角ドイツの機能美的なものに夢中だったし。

さて現美(毎度、自己邂逅絵巻甚だしいな!)に話を戻すと、1960年代の吉原英雄氏のリトグラフ作品、ヴェネチア・ビエンナーレの版画部門で国際大賞を受賞された頃の池田満寿夫氏の作品群、それから瑛久氏の以下の言葉など改めて表現者としての飽くなき挑戦に期待感が高まる。

- 現実に対する批判の精神なしに芸術が成立するだろうか?すくなくとも現代芸術が成立するために、現実の我々のすむ社会に対して何等の批判なしに、何等の自己主張なしに、したがって世界観なしに不可能である。我々は現代をみることなく、現代芸術を生むことはできない。

個人的な嗜好も相まって大変見応えのある展示だったが、それでも一番強く肉体の核心に焼きついたのは、広島の原爆でご両親を亡くした殿敷侃氏のインタビュー(当時の新聞の記録・常設展内)だった。生涯作品に向かっていくことで徹底して自分の内なるものや世界と戦い続けた殿敷氏の生は、これこそが歴史なのだと思う鬼迫であった。

外に出るとぱらぱらと雪が降り始めていて、ああ、私はこのキンっと冷たくて私を自由にしてくれる冬の空気が好きなんだったなぁと、歴史の続きをそのまま歩き出すように仕事場に戻った。


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