人生は友人が証明する (1/11)
私にしては珍しく、かなりの時間を人との会話で過ごした一日だった。朝起きてから今日も相変わらずVISAの件で各所にメールを出し、電話を入れた。居住契約にせよ事業計画書にせよ幾人もの友人がとても協力的で、恩ばかりが増えていく。フランスのアーティストVISA取得はかなりシビアで、その性質上、社会情勢や政治に左右されるところも多い。やはり取得できるまで全く心が落ち着かない。
CVや事業計画書に目処が立ち、ポートフォリオに取り掛かる。これまでの自分の実績や成果等をまとめるのだが、学生時代からのそれなりに莫大な量の自分の歴史を解体している時より遥かに、友人の「協力するよ」の言葉、その時間や手間が「私はどうやって生きてきた人間なのか」を証明してくれるのだと知る。徳川家康や織田信長のような人生でなくとも、人が一人生きることのエネルギーは凄まじい。それなりの割合の人が、知名度を人間の優劣や重要度と結びつけていることが改めて不思議でならない。
「このように私の突出した音楽能力と稀少価値が、貴国には必要なのであります!」と作文する苦痛と滑稽さは正気を激しく消費するものだが、同時に、友人に肯定された人生をこの上なく実感することは壮大な救いだ。
そんな感情の消耗が激しい日々だが、午後はカメラをやっている友人と新年のご挨拶。聞きたかった話も聞けたし、ハワイアンハワイアンとうるさい私にお誕生日のポケ丼をご馳走してくれた。よくわからない公園の鹿ブロンズ像(かっこいい)に遭遇し、また写真も撮ってもらった。色んな年齢の私を撮ってもらえたらいいなと思っている。
帰り道に、名前だけ知っていたお好み焼き店 "もり" を発見した。中華そばなしのものをテイクアウト。改修工事で馴染みの店舗はもうすぐなくなるのだそうだ。
常連さんたちの寂しさを想像しつつも、災害の多い日本だから、少しでも丈夫な建物で営業を続けられるのならば命には何も代えられないものな、と思いながら、美味しく頂いた。